第4章 説得だと言われても<6>

 警察、遅いですね、と栞里しおりが投げかけてくる。誘拐の報に居合わせて放っておけるはずもなく愛莉紗めりしゃと一緒にやってきた。


「まだ犯人たちが目を覚ますまで当分かかりそうです。起きても逃しません」


 天風てんぷうによる犯人たちの処遇など歯牙にも掛けない発言は、誰もを納得させた。路上に倒れる二人だけでなく車の後部座席で失禁している一人も、ぴくりとさえしない。例え意識を回復しても下手な動きは命取りになると自覚しているだろう。


 そんな天風が興味を奪われる光景に出会した。


 愛莉紗が感激している。もしかして泣き出すんじゃないかと思わせる顔で、希愛のあを抱きしめている。

 理由は、初めて呼んでもらえたことにあるらしい。


 誘拐された車から希愛を抱え上げて出てきた天風へ、愛莉紗は髪を振り乱して走ってきた。


「ねぇ、希愛は大丈夫なの。怪我とかしてない?」


 気を落ち着かせようと天風が安心の旨を口にする前だった。


「……ダイジョブ……めりしゃん……」


 いつの間にか希愛が顔を上げている。

 うるうる目が潤んでいく愛莉紗だ。天風にすれば初めて見る妻役の表情である。思いもかけずは、さらに続いた。

 まさしく天風の手から引っ拐う。ぎゅっと抱き締める。


「やっと、やっと希愛があたしの名を呼んでくれたぁー」


 激しく頬ずりまですれば、ちょっと困惑した目つきの希愛ではあるが嬉しそうだ。


 いいシーンです、と天風は笑みを浮かびかけたところで、気がついた。ドーンと一気に暗い影を全身に落とす。


「どうしたんですか、チーフ。なにか気がかりな点が発生しました?」


 見咎めた栞里は訊かずにいられない。

 僕はダメなヤツです、と前置きしてからだ。


「メリさんが希愛との間で悩んでいたことを、これっぽちも気づいてあげられなかった。夫役、失格です」


 今の今まで希愛が愛莉紗の名を呼んでいなかったなんて気づかなかった。任せっきりの無神経な自分がなんとも情けない。こんな調子では、いつ実習解消とされてもおかしくない。


 はぁー、と天風は近くに他人がいるのを承知で、ため息を吐かずにいられない。


 ふふふ、となぜか栞里が笑う。愉しそうに、チーフと呼ぶ。


「本当に真面目な方だったんですね。印象通りでした」

「鈍いだけです」

「そうですね、鈍いです。でも今の気持ちを正直に奥様へ伝えて謝ったら、きっと嬉しい気持ちへさせられますよ。結婚どころか実習さえ経験のない私が言うのもなんですけど」


 助言をくれた相手へ、天風は改めた表情を向けた。


「そんなこと、ないです。ありがとう」


 いえ、と小さく返事する栞里の頬が染まった。なにも問題が起こらなかったら鈍い天風でも態度の変化に気づいただろう。


「ワインみたいな名前じゃもー」


 と、化け猫疑惑のペットがやらかしてくれたから安穏としていられない。


「あれ、なんか今、変な声しませんでした?」


 栞里の訝しげな声に、大慌ての咸固乃みなもとの家である。


 そ、そ、そうですか〜、と天風はしらを切る。

 ふぎゃ、と三毛猫ニンを鳴かせるほど踏みつけた愛莉紗は、ほほほーと困ったような笑いを立てている。


「……じゃも……しゃべった……」


 希愛のばらしに、青ざめる天風と愛莉紗の実習夫婦だ。


 じゃも? と栞里が訊いてくれば、天風は観念したように愛莉紗が踏みつけている三毛猫ニンを指差す。


 栞里が見定めにかかる。普段は可愛らしい若い女性も、職業は凶暴な魍獣退治の専門家である。じっと送る目つきの圧は凄まじい。


 思わず息を詰める天風と愛莉紗に、希愛までも含むだった。


 いきなりだった。

 栞里が相好を崩し、いやですよーと手をひらひら振ってくる。


「こんなかわいくもない猫が、なにかあるなんて思えません」


 酷いことを言ったとする気持ちが生まれたのだろう。慌てて栞里は頭を下げるような口調へ変えた。


「すみません。子供の言うことを真に受けてペットの悪口を言うなんて、私ったら……」

「いーのよ。うちだってこんなブサイク猫、飼いたくて飼っているわけじゃないの。ちょっとした流れで仕方なく居候させているようなもんだから」


 受けた愛莉紗も容赦ない。しかも栞里が乗ってきた。


「そうですよね。猫派の私でもちょっとこの三毛猫は、と思いますもん。せめてブサ可愛かわくらいに思えたらいいんですけど」

「変にふてぶてしいくせに、これでしょ。いいところ見つけられなくて困るわよねぇ〜なくらいよ」


 女性陣の会話に、さすがの天風でも気の毒になってきた。でもだからと言って、フォローできるだけの言葉が見つからない。せめて拐われた希愛の発見に導いた功績を称えてもいい場面だが、そこまでは気が回らない実習で夫の役割りを務める男だった。


「やっと来たみたいですね」


 栞里の気づきに、ほっとする天風だ。たぶん酷い悪態にしょげ返っている三毛猫ニンもだろう。犯人を受け渡しが行われ、ようやくこの場から解放されそうだ。

 これで希愛の無事が祝えるし、今後の身の振り方について考える時間も取れる。


「なに、あれは!」


 緊迫を運ぶ栞里の声だった。


 なんだ、と天風もまた目を向ける。


 やって来るのは警察だけではない。パトカーは付き従う感じだ。

 主な車両は装甲車であった。まるで魍獣もうじゅうに対する陣容だ。


「なんで特務第二分隊が」


 車両に施されたペイントから栞里が指摘するなか、すぅと天風は前へ出る。自然と愛莉紗たちをかばう態勢を取っていた。


 尋常ではない、嫌な予感しかしない。

 勘が働く以前の物々しさだ。

 反対側からも装甲車がやって来ていた。文字通り挟撃の陣形だ。逃す気はないとする意思表示にも採れた。


 天風が鉄腕とされる左腕の拳を握り締めた時だった。


 砲台を要す最も大型な装甲車の上部ハッチが開く。

 姿を現す人物は、年配の男性だった。精悍な顔立ちに刻まれた深い皺が危険な激務を長年に渡ってこなしてきたことを物語っていた。

 天風にすれば旧くから知る人であり、現在の上司と面影が重なる人だ。大恩の方でもある。でもだからといって、今は気を許せない。


 特務第二分隊チーフ『渓多柊惺たにた しゅうせい』は拒否を許さない頑とした調子で言う。


「希愛という名の娘は、あやかしであることが判明した。こちらへ引き渡すよう要求する」


 天風にすれば、そう簡単には信じらないし、受け入れられなかった。

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