第4章 説得だと言われても<5>

 ぐしゃり潰れた車は交通事故の趣がある。

 単なる衝突ではないのは、ボンネットが真上から抉られている点だ。エンジンルームまで、ぼっこり大きくへこんでいる。


「て、てめぇ、なにしやがる」


 悪態を吐く運転席に助手席側も続いた。どちらも顔つきといい格好といい、いかにもチンピラといった風情だ。それぞれが鉄パイプと匕首を手にしている。平気で人を傷つけられる世界に属しているようだ。


 一方車を潰しては前に立ちはだかる人物は武器を手にしていない。ただし身体の造りが通常と違う。 


「おまえたち、生かしておけない」


 普段からはおよそ想像もつかない凶々しい天風てんぷうが、そこにいた。


 一旦は逃げ出そうとした誘拐犯だ。踏み留まったのは、放棄できない背景があったのだろう。


「いいのか、てめぇー。ハーフノイドが一般人を傷つけてよー」


 暴力沙汰となった場合、武装人工器官プロテーゼを装着している者が法制上不利となる。事故の場合、歩行者や自転車に非があっても車を運転する側が悪いとする同じ原理である。

 そしていくら魍獣もうじゅうの脅威から身を呈して守っても、悪意もしくは歪んだ自意識ゆえに陰口を叩かれる存在だ。身体の一部が機械仕掛けというところから半分だけのヒューマノイド、ハーフノイドとする蔑称が世間に流布していた。


 天風はまさに該当すべき人物だ。

 誘拐犯の牽強付会けんきょうふかいな台詞であっても多少の配慮を働かせただろう、いつもだったら。


「文句は生き残れたら、言えばいい」


 完全に怒りで頭に血が昇っていた。

 平気で奪おうとする連中は、魍獣であっても怪異であっても、人間だって許さない。


 ふと左肩に重みを感じた。何か、確かめるまでもない。耳元へ囁いてくる猫など一匹しかない。


「熱くなりすぎじゃも。犯人は捕まえて証言の引き出さなければならぬし、希愛のあ殿を怖がらせる真似は控えるじゃもな」


 先日の失態を思い出す。つい自分のトラウマから魍獣を無惨極まる殺害をして、救いだしたはずの少女を怯えさせてしまった。希愛と同じくらいの年齢だった。


「ありがとう、ニンじゃも。ちゃんと捕らえます」


 じゃもじゃもー、と三毛猫ニンは特有の鳴き声を快活を響かせた。ただし話し好きな一面を持っている。ところでニンの呼び方は丹波という由緒ある姓名を意識していただきたく……、と口が止まらない。


 武器を持った誘拐犯が向かってくれば、天風は構っていられない。どうでもいい話しは今度聞いてあげます、と無意識なせいか遠慮がない。

 天風殿、容赦ないじゃもな……、と三毛猫ニンの哀しみに彩られたがっかり感である。


 車から出てきた犯人の二人は同時に襲撃してきた。相手が武装人工器官を備えていれば、手加減はない。本気で殺すべく鉄パイプや匕首を振りかざしてきた。


 三つも数えるまでもなく、倒れていく。

 振り下ろされる凶器をかい潜って出した天風の右腕と左脚が犯人たちの急所を突いた。武器を手から落とす男たちは声も上げられず意識を失う。攻撃に強化された左腕と右脚を使うまでもない。


 まだ気を緩めるわけにはいかない天風だ。

 車に寄れば、後部座席に猿轡をかまされ縛られた希愛を見つけられた。

 隣りには犯人の一味に違いない男がいる。怯えた顔つきで人質の首元にナイフを突きつけ、何か叫んでいる。車は閉め切りであるから、声はしても何を言っているか不明だ。でも聞こえずとも、どんな台詞を吐いているかは想像がつく。


 冷静を忘れずに、と言い聞かすほど天風の胸のうちには火が点っていた。

 その証拠に取った行動は慎重とは真逆の電光石火だ。


 激しく砕けて散っていく。


 天風の鋼鉄とする左腕が後部座席の窓をぶち破る。そのまま伸びた手のひらが男の顔面をつかんだ。


「いいか、もし少しでも希愛を傷つけるようなおかしな動きをしてみろ。その顔を捻り潰す。苦しみが長引くようゆっくり、顔だったなんてわからないくらいまでやる」


 脅す立場は完全に入れ替わっていた。

 犯人はナイフを落としただけではない。股間を濡らしていた。


 天風が手を離せば、涎を垂らしてぐったりしている男だ。失禁するほど気を失っていれば、もう大丈夫だろう。

 反対側に回ってドアを開けるというよりもぎ取った。急ぐ気持ちが力のこもった鉄腕のほうで把手をつかませた。魍獣と互角以上に渡り合える怪力なれば、日用機器では抗せない。天風も気にしない。後部ドアを背後に投げ捨てて、車内へ飛び込む。


「大丈夫かい、希愛。怪我とかない? 遅くなって、ごめん」


 猿轡さるぐつわを外し、拘束する縄を引きちぎった。


 ふわり、首に巻きつく温もりだ。


「……たすけに……きてくれた……」  


 抱きつく耳元で囁かれる泣きそうな声に、天風は笑って答えた。


「当たり前の当たり前。僕が希愛を助けにくるのは当然です」


 車外まで轟く泣き声が立った。


 余程怖かったみたいだ、もっと早く来られなかったかと天風は気落ちするほど反省してしまう。それでも希愛を胸に抱きかかえ、外へ出れば胸の内は晴れていく。


 天風〜、と呼んで駆け寄ってくる愛莉紗めりしゃを目にすればやりきった感が湧き上がる。希愛は大丈夫〜、と心配する叫びに、本当に優しい女性だと思う。


 娘の涙した真実の意味はまだ理解できていない天風であった。

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