第4章 説得だと言われても<4>

 いきなり怒られてしまった。


「あのー、すみません。どちらさまでしょうか」 


 天風てんぷうとぼけた感じが良くなかったかもしれない。

 ややブラウンがかったミディアムヘアの美少女が玄関口で激昂する。


「どうして、どうしてわからないんですか。よくあれだけのことをしておきながら、知らないなんて言えますね!」


 そうは言われても、とする天風の肩に、ポンっと手が置かれる。目を向ければ、愛莉紗めりしゃの呆れ返った顔があった。


「天風、正直に言いなさい」

「なにをです」

「あんた、ずいぶん純情そうにしてきたわね。いいわよ、いろいろあったって。でもね、嘘はイヤだわ。口説くためなら平気で女を騙す男は主人公になれないわよ」


 相変わらず愛莉紗の喩えは天風に難解だ。ただ誤解はされているようなのは察しがつく。


「ちょ、ちょっと待ってください。僕はこれまで女性とお付き合いしたことがないどころか、下着姿だってメリさん以外の人は見たことがありません」


 きゃあー、と今度はお客人の女子が叫ぶ。


「な、な、なんですか。し、下着を見ただなんて。エッチです、セクハラです、私はチーフを軽蔑します」

「あ、あ、あれは事故というか、ノーブラというか……」


 焦るあまりに出た天風の煩悩を表す単語が、口にした当人へ跳ね返ってくる。たらり、鼻から伝ってきた絶妙のタイミングで、愛莉紗がさらりと言う。


「ちょっとー、下着くらいで騒がないでよ。せめておっぱいくらい見……」


 天風が言い切られるまで耐えられるはずもない。鼻血を噴き立たせながら意識は暗い沼へ沈んでいった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 詩加波栞里うたかわ しおり。それが訪問者の名前であった。

 先日の戦闘を絡めてされた説明に、天風はすっかり了解した。


「ロケットランチャーを、しかも片手で正確無比に撃てるのには驚きました。凄かったです」


 テーブルに置かれた紅茶の湯気を顎に当てる天風は感心しきりである。


 そうですか、とリビングテーブルの対面に座る栞里しおりがちょっと照れている。


「ただ銃の扱いだけじゃ支援の役割りだけで終わっちゃうな、と思ったんです。だから前衛に出られるだけの火力を操れるようになりたいって。そうしたらちょうどよくランチャー専門の訓練所が出来たので、そこへ潜り込んだんです」

「詩加波さんはニセコシティから来たんですか」

「はい、出身もそこなので、生まれて初めて故郷を離れて暮らしています」

「ならば不安も多いでしょう」

「いえ、子供の頃からの親友と一緒にこちらへ来ているんで。むしろ地元に残されていたら寂しくなっていたかもですよ」


 それは良かったです、と天風が心から笑顔を向ける。


 はい、と栞里の快い返事だ。失礼します、と断りを入れて初めてカップへ口をつける。おいし、と口元に手を当てて感想を述べていた。


「ありがと。褒められたついでにおかわりをよそおいたいんだけど、いいかしら?」


 紅茶ポットを手にしてやってきた愛莉紗の申し出に、栞里は少しためらいながらも受けた。注いでもらえば、今度はすぐに一口飲む。


「本当に美味しい。こんな上手に淹れられるなんて、チーフの奥様は素敵です」

「そうなんですよー、メリさんは僕にもったいないくらいの方なんです」


 とても嬉しそうに力を込めて天風は言う。

 なぜか慌てて愛莉紗が栞里へ向かう。


「でもあたしたち夫婦って、実習上の関係だから。ただ一緒に暮らしているだけなの」

「それでも将来を見据えた真剣な実習なんですよね」

「そうは簡単じゃないの。いろいろ問題があって、実際の夫婦関係には程遠いのよ」


 いろいろあるんですか、と栞里が畏まって返している、その横でである。


 ずーんと音を立てそうなほど天風は落ち込んでいた。

 どうやら愛莉紗からすれば、夫とするにはまだまだらしい。これはなにもかも自分が至らないせいだ。実習に見切りをつけられたら、娘役の希愛のあにも申し訳ない限りである。

 ともかくまずは鼻血だ、と天風は胸のうちで叫んでいた。目前にいる客人そっちのけで決意をしていた。だから異変に気づくまで多少の時間を要してしまう。


 なにやら栞里がテーブルに置いた両手を握り締めている。顔はうつむいており、肩もわなわな震えているような気がしないでもない。

 実際に気を激らせていることと知るまで、はっきり声に出してもらうまで気づけなかった。それが天風である。


「どういうことですか、チーフ!」


 顔を上げた栞里がえらい剣幕で喰ってかかってくる。

 天風の目はぱちくりである。


「どうかしたの、詩加波さん」

「今日は無駄を承知でお伺いしてきたんですよ」


 そうなんですか、と天風は取り敢えずの返事をする。訳わからないからと言って適当に返せば、さらに火をあおる例はよくある。今もまた、そうだった。

 イラッとした顔の栞里であれば、口調も荒れている。


「奥様や子供のために危険と隣り合わせの仕事から離れたい気持ちはわかります。ううん、本当はわからないけれど、大事な人との固い結び付きが決心させたこと。私には経験ないことだからこそ理解したくて、勇気を振り絞ってご自宅までやってきたんですよ」

「そ、それはすみません」


 相手の言っていることを理解していないまま謝ってしまう。天風の悪い癖である。勢いづかせるだけだ。


「謝らないでください。チーフには家族を犠牲にしてでも特務隊とくむたいを続けるよう言いにきたんです。咸固乃天風みなもとの てんぷうという我々戦闘員の多くが憧れる鉄人がいなくなるなんて残念で仕方がないんです」


 今度こそ言われていることに意識が回った天風だ。


「そうか、そうなんだ。僕の存在をそんなふうに捉える人たちがいるんですね」

「そうですよ。チーフほど武装プロテーゼに馴染み、かつ折れない心を持った人はいません。そんな方の下で働けると思って配属されたら、いきなり辞めるなんですもの。それはもうがっかりなんです」


 本音を出し切り、すっきりしたことで我に返ったか。慌てて栞里は椅子に座り直す。


「すみません、チーフ。これは私の勝手な言い分です。忘れてください」

「勝手だなんて、そんなことありません。勝手なのは僕のほうこそです。だけど……」


 その勝手を通したいが、天風の素直な気持ちである。


 だが栞里に伝えようとしたらだ。


 ベランダのガラス戸をがりがり爪を立ててくる。じゃもじゃも、鳴いている。


 おかしな猫でしょー、と愛莉紗が誤魔化し笑いを浮かべて向かっていく。


 天風もまた栞里の気を逸らさなければいけない。人語を解す三毛猫など、下手すれば実験施設で解剖なんて事態も有り得る。

 咸固乃家に居座るペットへおかしな疑念を抱かせないための言動を模索していた。


 すぐに戻ってきた愛莉紗が珍しく動揺も露わに伝えてくる。


「希愛が拐われたみたい」


 その場で立ち上がった天風は、三毛猫ニンの首を引っ掴みベランダから飛び出ていった。

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