第4章 説得だと言われても<3>
汚れた身体を洗い、新たな武装
「おい、天風。おまえ、エロくなったなー」
もちろん天風が黙ってはいられない。
「そ、そんなんじゃないです。僕はそんなに下品でありません」
「ウソつけ。嫁さんがいながら、他の女にも反応して鼻血出してひっくり返るなんてな。でもいいんだぞ、それこそ健康な男ってなもんだ」
明らかに
顔を真っ赤にして誤解だと訴えた。決して女性戦闘員に対してではなく、つい
息を切らしての熱弁に、仆瑪都は重々しくきた。
「それ、必死さが却って浮気心を誤魔化しいるように取られかねないぞ。それに第一、言い訳にしろ真実にしろ嫁にだけに話す内容であって、他人へ伝えなくいいことだ」
うう、となる天風である。そうなんですね、と返す素直さが、上司たる者に私事でも放っておけなくさせるようだ。
「家族実習するくらいなんだから、スケベって言われても笑って流すでいいんだぞ」
「でもエッチな男だなんて、メリさんが軽蔑するかもしれません」
「しないしない。あの手の女は経験が豊富そうじゃないか」
言ってから、しまったとする顔の仆瑪都だ。
天風が暗くて重い顔つきをしている。男女関係にうぶなヤツである。良からぬ解釈をしていてもおかしくない。
「経験豊富といっても、別に肉体的ではなく精神的なほうだからな。けっこう恋愛経験は積んでそうじゃないか。転生する悪役令嬢なんて自分で言うくらいだしな」
ですよね、と答える天風は肩を落とす。
どうやら仆瑪都の見立ては外れていなかったらしい。
「そもそもだな。天風が家族を実習でなく真実へ移行したいなら、エッチと気にするどころか必要な営みとなるんだぞ。むしろ一般家庭においては、長い夫婦関係において妻に欲情できるかどうかが問題となってくるんだからな」
ふむふむ、と今度は納得している天風である。
少し気を良くして仆瑪都はこれが結論だとばかりに強く出た。
「ともかく天風は興奮したら鼻血をどうにかしないとな。戦闘中でも夫婦の営みを考えるたんびに気を失うほど血を噴いていたら、どうにもならんだろ」
「あ、その点なら良い方法を思いつきました」
なぜだろう、仆瑪都に不吉な予感が走る。子供の頃からの付き合いだから分かる。天風が何事でもないような態度で披露する思いつきは受け入れ難い内容が多い。
この時も例外ではなかった。
「おまえ、何を思いついたんだ」
恐る怖る尋ねた仆瑪都に対して、天風は日常会話の延長みたいな口調で告げた。
「僕、
今、滅多にないがたまにある絶句をさせられた第七分隊を管轄下に置く本部長であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
酷い体臭も興奮で出る鼻血も武装人工器官を装着する副作用だろう、とされている。
特務隊を辞すれば、身に着ける必要はない。これで大騒ぎする必要もなくなった、と心を軽くする天風であった。副作用ではないか、とする推測から出ていない事象にすぎないのだが、人間は希望を事実としてしまうことは往々にある。
これで家族問題、特に妻役との間柄における障害は取っ払えた。
なんだかウキウキしてしまった天風である。
それに仆瑪都が放っておけるはずもなく、釘を刺しておく。
実習中という結婚前の関係で職を失った男に相手の女性がついていくか、よく考えたほうがいい。たいていは捨てられる例へなっていくものだ。
けれども昔から続いているかのような朝のリビングにおける風景が自然と口を開かせた。
天風は辞職を考えている旨を打ち明けさせていた。
もっとも口にしてからである。急に失職した男が捨てられるという話しが強く思い出される。で、でも……、と汗をかきそうな慌て方で否定の言葉を紡ごうとした。
「いいわよ、別に。天風がそう決めたなら、それに付いていくわ」
すぐには反応が出来なかった天風だ。
波風どころか弛まぬ日常に身を任せる空気に呑まれた。普段と変わらない声で返答し何事もなかったかのように食器を下げて洗う
天風こそ事の重大さを自覚しては騒がずにいられない。
数瞬後にキッチンのシンクで泡立てたスポンジを動かしている妻役の元へ急ぐ。
「いいんですか、メリさん。失職した夫など、ただの穀潰しです。しかも僕は腕もなければ脚もない。それに目だって……」
はい、と愛莉紗が天風の目前へ差し出す。洗い終えた皿である。
「それを拭いてから、食器乾燥機に入れて。これから経済的に締めなきゃいけないから、少しでも電気代がかからないよう、まとめてね」
メリさん……、と呟く天風だ。本当はもっと言いたいことがあるのに、なぜか出てこない。
水が流れ、食器が磨かれるなか、愛莉紗の声が立つ。
「顔も良くて経済力もあって性格も良い。そんな素敵な男性とたくさん出会ってきたわ。でもね、あたしと共有していく部分がなかったの。まぁ、役割りがヒロインを立てる悪役令嬢だからしょうがないんだけどね」
はい、と愛莉紗が言葉の途中ながら水で流した食器を差し出してくる。
天風は慌てて手にした皿を拭いて食器乾燥機に置き、新たな食器を受け取った。
続きは新たな洗剤をスポンジに含ませながらだ。
「そんなあたしだから一緒に分かち合える生活は嬉しい。それが精神的なものがなくてもいい、経済的苦労でも構わない。だから天風は余計な気を使わず、自分がどうしたいか、考えていいのよ。ずっと他の可能性を考える余裕すらない生活を送ってきたんでしょ」
天風は皿を拭く手が止まった。
だけど家族実習で帰りたいと強く願うようになっていた。ずっと一緒にいたい。
当たり前に帰宅できる生活にしよう、そう思った。
「メリさんの言う通り、僕、真剣に考えてみます。情けないですけど、魍獣から人を守る任務を頑張ったのも周りに評価されたいというのは大きかったです。何をどうしたいか、僕自身で考えた結論を出します」
はい、と愛莉紗は差し出すものは食器だけではない。笑顔も、だった。
「いいんじゃない、天風の人生はこれからだもの。あっ、だけど。ずっと働きもせず家でだらだらしているだけだったら追い出すけどね」
「家に帰りたくて
皿を手にして畏まった天風の言い分に、愛莉紗は声を上げての笑いとなった。
「なに、その理屈。でも天風らしいわ」
ずいぶんウケているからか。なんだか天風も笑わずにいられない。
実習とはいえ夫婦そろっての笑い声をキッチンからリビングにまで響かせた。
天風にとっては、
とても幸せだった。
だけど今回は湧き上がってくる言葉がある。伝えずにはいられない気持ちが無性にある。
はっきり言葉にしよう。天風が口を開きかけた。
来訪を告げる玄関のチャイムが鳴った。
「あら、誰かしら」
手際よく洗い物を置いて手をタオルで拭う愛莉紗はキッチンから出るのも早い。
うーん、と天風は高まった気持ちの置き所に困って複雑である。
しかもインターホンのモニターを覗いた愛莉紗が言う。
「ついにヒロイン登場というわけね」
謎の言葉が皿を持ったままの天風に届けられた。
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