第3章 あやかしじゃないと言われても<2>

 天風てんぷうは感動していた。


 三毛猫が床に両手と頭をつけている。土下座する猫など見たこともなければ聞いたこともない。初めて見る光景に好奇心を躍らせていた。


 もっとも女性陣は現実的だ。


魍獣もうじゅうでもあやかしでもないって言うけど、結局はバケネコじゃない。ご近所さまの手前、いかがわしいものは飼っておけないし。後々なんか言われるようなことになったら困るから、さっさと処分してしまいましょ」


 胸の前で両腕を組んではふん反り返っている愛莉紗めりしゃは容赦ない。


 顔を上げた三毛猫はすがりつくような目を希愛のあへ送っている。子供に頼るなんて、どうやら困るとプライドは簡単に捨てられるタイプらしい。


「……じゃも、しゃべれるの……ずっと隠してた……ひどい」


 希愛が放つ、ここ一連の流れで最も厳しい言葉だった。


 必死の命乞いで絞殺から逃れたものの窮地は続く三毛猫である。打ちひしがれる姿に、ちょっと気の毒になった天風である。


「でも、ほらさ。そんなに悪い人、じゃなくて猫ではなさそうな気がしませんか?」

「そーお? 家に来た早々こっそり酒を盗み呑むなんて、タチが悪すぎじゃない。どうせ猫の死体一匹くらい黙って川に流したって別に問題ならないでしょ」


 怒り心頭が解けない愛莉紗の提案は段々残酷になっていく。


 ひぇええ〜、と猫だけど真っ青といった態を目にすれば可哀想になってくるのが天風だ。我慢できないほど酒が好きなんじゃも〜、と訴えてくれば、なんとなく愛嬌も感じる。許してあげてもいいかな、なんて考える。


「でも人語を解すということは、話せば解るっていうことですよね。ちゃんと注意すれば大丈夫なのではないでしょうか」

「それは良い方に解釈すればね。逆に言えば、口先三寸が働くとも言えない?」

「ああ、そうか。さすがメリさん、その通りです。凄いです」


 そ、そーお? と思わぬ称賛にたじろぐ愛莉紗である。


 場を読んだのだろう。ここぞとばかり三毛猫は訴える。


「ニンの酒好きで仕出かしたことは反省するじゃも。じゃが天風殿の仰ってくださったことも事実。家族方々のお言葉にはきちんと耳を傾けるじゃも」

「あんたさー、まともっぽくしゃべってくるけど、そもそも社会常識を理解しているなら、夜中に誰にも知られず酒を呑むなんて単なるアル中じゃない。その場限りの言い逃れとしか思えないわ」


 愛莉紗の厳しい対応に、天風は「そうですね」と感心している。

 まるで汗をかかんばかりに慌てふためく三毛猫だ。立ち上がっては、肉球を見せた両手を振り力説する。


「こう見えても、もの凄く長生きしてるじゃも。何千年か何万年か、もうニンとて解らないくらい生きておれば、楽しみなんて酒しかないじゃも。じゃがフロンティア暮らしでは種類も限られておるじゃも」

「だからいろいろなお酒が呑める、シティのどこかの家に潜りこもうというさもしい判断をしたわけね。で、たまたまうちだったと」


 依然として愛莉紗は腕を組んだままだ。


 三毛猫ながら表情を引き締め、低い声で答える。


「お二人の会話を盗み聞きして相すみませぬが、どうやら天風殿の体質改善にあらゆるアルコールを試してみるとのこと。量は求めませぬ、ただ様々な種類の酒のご相伴を、いつ命果てるか知れぬ老齢の我が身にも施してくれませぬか。頼むじゃも」


 そう言って三毛猫は肉球と肉球を合わせる。つまり拝む格好を取ったわけである。かわいいとまでしなくても、愛嬌は確かにある。


「しょうがないかな」と、口にする天風だった。


 えっ? となる愛莉紗に、無反応の希愛だ。


 ありがとうじゃもー、と天風の足にすがりつく三毛猫だ。本音を言わせてもらえば一人は寂しいからじゃもー、と泣きを入れてくる。

 聞いた天風は、猫なんだから一人じゃなくて一匹じゃないのかな、と思う程度である。


 はぁ、と愛莉紗が諦めた息を吐いていた。


「でもメリさんの言うことは、きちんと聞いてください。それがうちにペットとして置く条件です」


 天風なりの愛莉紗に対する気遣いも含めたお達しである。


 もちろんじゃも〜、とする気持ちいい返答があった。


 本筋が決定すれば、天風にとって残る確認は一つだ。


「ところで呼び名は『じゃも』でいいのですか」


 足下から離れた三毛猫は姿勢を正して立つ。コホンっと、なぜかもったいぶるように咳払いをした。


「儂の名前は『丹波任左衛門たんばにんざえもん』愛称として『ニン』とお呼びいただいてけっこうじゃも。ただ親しく呼ぶ際でも『丹波』の姓を抱いたニンがいかに由緒正しき名誉ある場所で育ったことを意識していただきたく……」


 寝る、と希愛の鋭い一言が、ニンとする三毛猫の講釈を断ち切った。

 もう遅いしね、と天風も優しく追随すれば、ニンは往生際悪くである。


「では続きは天風殿とメリ殿に……」

「大丈夫、大丈夫。呼び方は了解できたから。これからよろしく、ニンじゃも」 


 そう言い残して天風は希愛の手を取った。もう夜も遅いしね、と連れ立ってリビングを出ていく。


 あははは、と残された愛莉紗が笑いだした。

 どうしたじゃも? とニンは訊かずにいられない。


「天風のど天然ぶりには驚かされるけど、大したものでもあるのよね。もうお父さんぶりが板についちゃって。とても女性と無縁だったどころか、任務以外のことは知らない生活を送ってきたなんて思えないわ」

「元来の根が優しいじゃもな。世間体やら礼儀といったこととは関係なく親切できる良い男じゃも」


 あーあ、と愛莉紗は伸びをした。


「あたし、悪役令嬢なのよね」


 じゃも? とニンが不思議そうに挙げる。


 なんでもない、とするが愛莉紗の回答だった。


「あたしも寝るけど、バケネコは今晩は座布団ね。明日にでも寝床は用意するわ」

「有り難い申し出に感謝するじゃも。ところで呼び方はバケネコじゃもか」


 不服はあっさりスルーして、「じゃね」と愛莉紗はリビングのドアに手をかけた。


「愛莉紗殿、寝る前に一つだけニンから頼み事を聞いてくれじゃも」


 なに? と振り返る愛莉紗だ。無視しても良かったが、いつになく真面目な声だったから応じた。


「晩酌のおつまみに、キャットフードはやめてくだされ。あれはどうも味気なくて、食事としても遠慮したいじゃも。ちなみにニンはエビやカニなら種類は問わず、魚なら脂の乗った赤身であれば贅沢は……」


 希愛を寝かしつけた天風が子供部屋を出るなりである。

 リビングから、がらっと窓が乱暴に開く音が響いてきたと思ったらだ。


 じゃもー、と空の彼方へ飛んでいくニンの叫び声が届けられてくるのであった。

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