第2章 子供と言われても<7>

 素人と思えないハサミさばきには感心しかない。


「凄いですね、メリさん。床屋さん、やっていたことがあるのですか」


 天風てんぷうの無邪気全開でしてくる質問に、愛莉紗めりしゃは苦笑いしている。


「せめて床屋じゃなくて美容師くらいに言ってよ。でも独学の身としては、そこまで褒めてもらえると嬉しいかも」

「褒めるもなにも凄い、凄いです。メリさんは何でもデキますね」

「オーバーねー。悪役令嬢としては相手や兄弟に取り入るため、髪切ってあげるは有効な手段になる場合もあったの。元からこういうのが好きというのもあるけど、幽閉されてあんまりにも暇だったから、というのもあったかな」


 へぇ〜、と天風の解っているのかいないのか知れない返事である。


 ある程度まで短くなったところで、「う〜ん」と愛莉紗が唸る。


「天風の髪って天然パーマかと思っていたけれど、そこまでじゃないわね。くせっ毛が強い感じかしら。さて、どうしましょ」

「僕なんて、なにしたって大したようにはならないです。テキトーで構いません」

「それは無理ね。いちおうお試し期間とはいえ、旦那さんを適当になんか出来ないわ。髪型くらいのことでもね」


 とても嬉しくなる言葉だった。だからこそ天風に悪い意味でスイッチが入った。


「いいんです、僕なんかテキトーで。メリさんに優しくしてもらう価値などないです。僕のせいで同じ分隊だった人たちのほとんどが亡くなりました」 


 愛莉紗のハサミを使う手が止まった。

 姿見用スタンド鏡にケープ姿の天風が顔を落として泣いているさまが映し出されていた。頬から落ちるほど涙を溢している。


 しばらく咽び泣きがリビングを支配した後だ。


「あたしと天風が初めて会った時……」


 スタンド鏡には顔が映っていない愛莉紗が唐突に切り出す。

 涙に濡れた顔を上げた天風が鏡で確認できる。

 だからだろう。愛莉紗は引き続き口を開く。


「天風が鼻血出しすぎの貧血で意識不明になって倒れたじゃない。そこへ来た四人の戦闘員がさ、バカにするみたいに言うのよ。確かに臭くて女の下着姿くらいで卒倒しているんだもの。笑いたくなる部分はあるでしょう。でもね……」


 声が途切れれば、壁掛け時計の針が動く音が届いてきそうな静謐さだ。


 愛莉紗の言葉を待とうとする意識が天風に頬へ伝う涙を止めさせた。


「天風が防備を外してまで怪物の懐へ飛び込んだのは、あたしを助けるため身軽にしなければならなかったのよね? そんな危険を冒している時にあんたら何をしてたわけ。安全な場所から眺めていただけじゃない。助勢する素振りさえしなかったくせに笑うことだけはするのね、て言いたかったわ」


 天風は正面にある鏡を覗き込んだ。愛莉紗の顔を見たいと思った。はっきりした理由はなく、なんとなくだが無性に見たくなっただけだ。

 鏡には映っていなかった。振り返ればいいだけのことが、なぜか出来ない。見たいと願いながら、顔を合わせるのがなぜか気恥ずかしい。自分でも不思議な気持ちに支配されていた。

 結局は愛莉紗の発言を待って聞くだけだ。


「ま、素人なりの見解だから、天風からすれば浅はかに聞こえるかもしれないけど。でもね、実習中とはいえあたしは帰ってきて欲しいと待つ身だから。傲慢ごうまんって言われても他のヤツより天風が無事でいて欲しいの」


 天風にとってそれは初めて味わう気持ちだった。何か言いたい、凄く伝えたいのに肝心の言葉が浮かばない。


 だけど、はっきりしていることがある。


 今、ここで湧いた感情を決して忘れはしない。


 さぁ、始めるか、と愛莉紗は再びハサミを動かしだす。髪を切り落としていく軽快な音を立てながら、顔を向けず声だけを後方へ投げる。


「もうちょっと待ってて。じきに終わるから」


 天風は鏡越しに、のあ、と口にした女の子がドア付近に立っている姿を確認した。愛莉紗は背中に目が付いているのか、と思わせる察しの良さである。


 愛莉紗の探知がさらに優れものであることを、天風は続けて知らされる。


「ところで、うちに子供はいいとして、ペットはどうしたもんかしらね」


 ん? と首を傾げそうになった天風の耳へ届けられる。


 ごろにゃ〜じゃも、とする猫の鳴き声が飛び込んできた。

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