第2章 子供と言われても<4>

 現場を一望した時点で、絶望しかなかった。


 胡奕ふーいーが運転するジープから降りるまでもなく状況が把握できた。肉片があちこちに散らばる血みどろの光景だ。


 酷いな、と天風てんぷうは思わず洩らしたほどである。


「どうやら息のありそうな者がいるようです」


 運転席からの声に、助手席にいた天風は停車する前に飛び降りた。倒れた一人の傍まで行けば膝を折る。


「大丈夫か、順昇じゅんしょう。返事しろ」


 右手に銃を握り締めた背中に大きな爪痕を残した部下の肩を揺さぶる。

 ううっと呻いている。どうやら命はまだあるらしい。 


「どうやら、山のほうへ向かったようです」


 惨状を前にしても胡奕は淡々と報告してくる。


 疑う余地もないジェヴォーダンとする足跡に、血の跡が点々と樹々が生い茂るなかへ続いている。


「ここはお任せしても、よろしいですか」


 立ち上がった天風の依頼に、胡奕は僅かながら表情を動かす。


「まさかお一人で行かれるつもりですか」

「手負いだけに、このまま別の場所へ行く可能性を高いです。生存者もいるし、まだ無事な者だっているかもしれませんので、そちらのほうをお願いしたいです」

「ずっと、このような形でやってきたのですか」


 えっ? と天風が返答に詰まる。

 胡奕の問う声はなお鋭く続く。


「第七分隊は咸固乃みなもとのチーフの鉄腕を最大の武器とします。だがあくまで魍獣もうじゅう対策における一つの長所にすぎない。独断専行がすぎるのは考えものです」

「でもずっとこうしてやってきました。現在は怪我人の発見と手当てを必要とし、これ以上の犠牲を出さないためにも、これが最善だと思います」


 天風の変わらない意志に、胡奕は肩をすくめた。


「対応策として世間的見地からすれば立派でしょう。これで何かあったとしても非難をかわせる行動です。しかし現場に当たる者の安全を考えれば褒められたものではありません」


 助勢とするゲスト参戦の立場にありながら遠慮なしの直言とくる。

 胡奕当人も覚悟しての諫言だったから、次の展開は驚くとした感情の揺らぎを初めて見せるはめへなった。


 ありがとうございます、と天風がきた。


「そうですよ、そうです。やはり僕も怪我人を第一にすべきでした。ジェヴォーダンが街へ向かう可能性はこれまでの例から考えれば低い。今、助けられる人を優先すべきでした」


 苦笑を顔いっぱい湛えた胡奕である。参りましたね、と前置きしてからだ。


「チーフ自身の身の安全を計って欲しいとする話しをしたつもりでしたが、怪我人の心配ときましたか。でも結果としては助言を受け入れられたに等しい」


 天風もまた照れたようにもじゃもじゃの頭をかいた。指摘された通り、意味を思いっきり履き違えていた。けれど何を最優先にすべきか、結果的には間違えずにすんだ。


 では急いで……、と天風が言いかけた、その時だった。


 きゃー、と樹々の向こうから悲鳴が聞こえてくる。少女のものであり、聞き覚えがあるような気がする。先日のリスに似た魍獣を飼っていた子かも、とする疑いが過ぎる。


 急ぎましょう、と言う胡奕に、天風がうなずく。


 二人で走りだそうしたところで声がした。


「……は、早く、病院へ連れていってくれ……」


 地面に倒れていた順昇が助けを乞うように腕を伸ばしてくる。


 ぐずぐずしていられない天風は決断した。


「やっぱり僕一人でいきます。負傷した者の面倒と本部に協力要請の連絡を頼みます」 

「仕方がありませんね、了解しました。でもどうか無事の帰還を果たしてください」


 すんなり受け入れる胡奕に、天風からすればやや意外だった。これまでの流れから少しは反駁は上がるかと思っていた。聞いてみたくなる謎を振り撒いてくる同行者である。

 でも頼り甲斐はある。現状においては、それで申し分ない。 


 お願いします、と言い残して天風は駆けだす。


 樹々の間へ飛び込めば、街の灯りが嘘のようだ。真っ暗で音もなく、不気味この上ない。

 いくらフロンティア側に属する森林地帯とはいえ、シティに隣接していれば穏やかな区域である。知性を持つあやかしばかりはでなく魍獣もまたおとなしい種属ばかりなはずだ。


 今晩はいっせいに息を潜めた気配が充満していた。

 凶暴化したジェヴォーダンの存在がもたらしたものだろう。

 だがこれで近くにいると確証が持てる。


 急ぐ天風は樹々の間を抜けた。

 森林地帯にぽっかり穴を開けたような広場に出た。

 夜空の丸い月が青い光で皓々と地上を照らしだす。

 明るい晩だったから、確認を必要としなかった。


 ああ、と天風は嘆息を吐き、唇を噛む。


 ……間に合わなかった。

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