第2章 子供と言われても<2>

 夜遅くでも向かわざるを得なかった。


 大丈夫なの? と愛莉紗めりしゃが心配そうに尋ねてくる。つい今さっきまで気を失っていたのだから無理もない。


 大丈夫です、と天風てんぷうは返事した。仆瑪都ふめつにもそうだが、なぜか安心させようと力を入れれば入れるほど不安そうにさせてしまう。自宅から現場へ直行できるよう用意していた戦闘用コンバットスーツに着替えれば、「大丈夫です」と同じ台詞を繰り返す。気が利いていないにもほどがある。


 天風がドアを押した際だった。


 ごめんねっ、と愛莉紗が言ってくる。怒ったような強めの口調だからこそ本心だと感じられる。ならば何がなんでも無事に帰ってこなければならない。固い決意を持って廊下へ飛び出した。


 マンションの下には迎えのジープが待っていた。屋根のないオープンとする、いかにも軍用体裁だ。

 運転席には初めて見る人物が座っていた。中肉中背の三十代すぎくらいだろうか、同じ戦闘用スーツで身を包んでいれば特務隊の一員なのは間違いない。だけどどこの所属か解らない。


 天風なら右胸に『7』の文字がスーツに走るストライプ同様のグリーンをもって記されている。彼には部隊を記す数字もなければ色もない。


 相手も不審を持たれることは充分に承知していたようで、率先して自己紹介してきた。

 名は、胡奕ふー いー。以前は第六分隊に所属していたそうである。


 天風は了解した。第六分隊の名称に事情は汲んだ。すでに無き分隊であった。生き残った者も一人しかいないと聞いている。

 どうして壊滅したか、詳細は知らない。知る必要も、今はない。


 お願いします、と天風は助手席へ乗り込んだ。優先すべきは現場で対応している第七分隊隊員の状況だ。所属以外の戦闘員がいきなり参加など、悪い予感しかしない。


 訊く前に、ステアリングを握る胡奕からもたらされた。


「ジェヴォーダンが出たそうです」


 天風の目許が険しく寄ってしまう。


 ジェヴォーダン。新暦とする前の紀年法である『西暦』時代において、仏蘭西ふらんすに出現した伝説の野生獣から名付けた魍獣もうじゅうである。巨大な狼に似た外観であり、口から大きくはみ出た牙と前脚の鋭い爪で襲いかかる。最大の特徴は攻撃する際に敵の頭部狙うところだ。いきなり致命傷を狙う凶悪な行動から、風貌と相まって付された。


 ただしジェヴォーダンの獣とする伝説と魍獣の間では決定的に違う点がある。

  

「なんで人里まで降りてきたか、原因は判明していますか?」


 基本は山中奥深くに生息しており、人間を襲いに降りてはこない。

 天風の問いに、胡奕は淡々とである。


「なぜここまで降りてきたかは不明ですが、向かった戦闘員が光弾を射ったせいで現在の状況が生まれたようです」


 天風は声を失う。対応に当たった第七分隊の完全なミスである。


「……僕が一緒にいかなかったばっかりに……」

「違いますね、それは」


 風を切るオープンの車内で抑揚のない胡奕の声が続く。


「ジェヴォーダンに関しては我々特務隊に所属するならば頭に叩き込んでおく項目です。それを暗闇で遭遇したとはいえ、恐怖のあまり発砲など、しかも光弾と撃つなどあり得ない。今回の件でいかにこの仕事に向いていないか、身をもって知るいい機会になったのかも知れません」 

「で、でもそれはチーフの僕にも責任の一端があります。ちゃんと注意事項を徹底していれば……」

「無理ですね。存在を確実に認知されているジェヴォーダンにも関わらず、目前にしたらパニックを起こすなんて普段からの訓練を蔑ろにしている証拠です。自分の身は自身で守る意識を持てない者は別の職種を求めたたほうがいい。もっとも命があればの話しですが」


 アクセルが踏み込まれた。

 スピードを上げるジープの席を吹き抜ける風はより強くなる。

 すみませんでした、と運転する胡奕は前方へ顔を向けたまま言う。


「少し喋りすぎました。第七分隊のチーフに不躾も甚だしい限りです」

「あ、いえ。仰ることはよく分かります。でもやっぱり僕の責任だと思っています」


 ちらりと送ってくる運転席からの目は興味深そうな光りを放っている。


「第七分隊のチーフは面白い方ですね」

「なにがです」

「役職を与えられた者は余程でなければ自己の責任などと言い出しませんよ」


 そういうものなのかな、と天風は思う。なにせ上司といえば仆瑪都しか知らず、身体の特殊性から特務隊に所属する経緯も通常とは異なっている。

 やっぱり僕なんかがチーフなんて早かったです、と口に仕掛けた時だ。


 見えましたよ、と胡奕が知らせてくる。


 今は迫る凶行の現場へ集中しなければならない天風は、胡奕が何を得意とする戦闘員なのか確かめることが先決だった。

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