第2章 子供と言われても<1>

 ヒステリックな文句が部屋中に響いていた。

 爽やかな好人物そのもので対応した仆瑪都ふめつはクレーム相手が帰るなりだ。

 がらり悪相へ豹変させた。


天風てんぷうはいかなくていいぞ。適当なヤツを行かせて、ダメだったら死んでもらえ。そうすれば、てめぇたちの綺麗事がいかに理不尽か知るだろうしな」


 今日は第七特務隊とくむたい庁舎の応接室である。二人きりでなければ仆瑪都が問題を生じさせかねない悪態を吐くはずもない。

 でもおかげで天風は気を落ち着けられた。感情の暴発を目の当たりすることで冷静になれた。まぁまぁ、となだめられたほどである。


「でも確かに娘さんの目前でやっていいやり方ではなかったです」


 クレームは魍獣もうじゅうが暴れていると通報を受けて赴いた先だっての案件だ。

 トキオシティ郊外にある公園に、複数いた。

 ふさふさした毛を持つ愛らしいリスみたいだ。もし目が燃え盛るような赤で、口元から血を滴らせていなかったら、愛玩動物として捕獲したいほどである。近くに身体の数箇所を食いちぎられた婦人がいなければ、保護を検討したかもしれない。


 人間の味を覚えた魍獣はその場で殺処分しなければならない。


 ファイヤーナックル! とする音声入力で灼熱する拳を天風は振るう。複数いたはずのリスに似た魍獣はたった一発で焼き消されていく。


 けれど一匹だけ取り逃した。


 被害へ遭われた方々を部下たちに任せ、天風は独りで追う。

 公園を出てしばらく行った路上で、ぴょんぴょん跳ねて逃げる姿を捉える。後ろから見る分には、ずいぶん可愛らしい。魍獣でなければ、いや仮に魍獣であっても共存できる種別は多くいる。


 だが人の味を覚えてしまった魍獣は、どうにもならない。

 人類と交わってならない存在へなっている。

 逃亡するリスに似た魍獣の口元は赤く濡れていた。

 禁断を犯したものとして処分は必須だった。


 追う魍獣がある民家の柵を越えて庭へ飛び込んでいく。

 いけない、と天風も慌てて入っていく。

 少女がいた。まだ未就学児と思しき年齢だ。

 胸にリスに似た魍獣を抱えている。

 急いで天風が腕を伸ばしかけた。


「ナッツをいじめちゃ、ダメ」


 少女が拒否して身体を捻ってくる。


 名前まで付けているようであれば、飼っていたか。ペットとする場合、申請は義務とされているものの有名無実化しているうちの一つだ。特にシティの外れで一戸建てを住まいとする人々には多い。

 滅多に問題まで発展しないだけでなく、防犯として犬などよりずっと頼りになる。何より飼う家族に癒しを与え、孤独な住人には家族となる。魍獣をペットにする無断の行為は後を絶たないだけの理由があった。


 天風は規則を遵守していないとがなり立てる気はない。

 少女の場合は、たまたま運が悪かった。

 そう思う。 


 だが必死に守ろうとする少女の顔の後ろで、目が光るように赤くなった。リスに似た魍獣が獲物を前にした牙を覗かせた。細く小さなうなじへ喰らいつこうとしている。

 幼い子供であれば、最悪も考えられた。

 ともかく守ることが先決だった。


 天風は代わりとばかり腕を差し出す。位置的に届くほうは右だった。生身側だった。


 がぶりと噛みつかれた。

 痛みはあったが酷いものではなく、突き立てられた牙も推測していたよりだいぶ小ぶりだ。毒素の注入などなければ問題ないかすり傷だ。


 ここからクレームを発生させる出来事へ繋がっていく。


 魍獣といっても、たかがリスに似た小型だ。一般の動物と違って牙に力がある。けれど訓練された身であれば、すぐに首根っこを押さえればいい。


 天風は鋼鉄の右腕を伸ばした。

 不意にリスに似た魍獣が巨大化した。

 狐に変化した。

 体毛は雪のように白く、赤く隈取られ目許と同様な彩りが耳と鼻にもなされている。まるで縁日で売られるお面みたいだ。

 作りものと決定的に違う点は、口が開くことだ。覗く歯は恐ろしげに唾液を滴らせ尖っている。後方では九つの尻尾が揺れていた。

 なぜか左腕に喰いつかれていた。いつの間にか義手が生身に変わっていた。噛みつかれて血潮が吹いていた。


 そして……腕ごと食いちぎられた。


 天風が白昼夢を見ていたことに気づいた時は、リスに似た魍獣は跡形もない。飛び出た内臓までが形を失くすほど、ぐしゃぐしゃに潰れている。

 救ったはずの少女は恐怖のあまり泣き声すら上げられないようだった。

 これに少女の両親が不服を申し立ててきた。救助するにも、やり方があったはずだ。まだ幼い娘の前でトラウマを植え付ける残虐な殺傷など言語同断ではないか。

 素直に天風は頭を下げた。仕方がないならともかく、我を忘れて余計な攻撃を執拗に繰り返してしまった。確かに子供の前でやっていいことではない。


「天風、そこまで思い詰めなくていいぞ。特務隊なんて生死をかかわる業務内容なんだ。仕事だからって、他業種と同様な配慮なんて求められても困るんだよ」


 やや憤っている仆瑪都は、天風には良い上司だ。おかげで遣瀬ない気持ちを表に出すまでには至らない。


 ただフラッシュバックした記憶にしばらく苦慮しそうな気がする。

 家にいる人には心配をかけたくない。

 僕は大丈夫です、と口にすることで気持ちを整える天風だった。


 あまり納得していないような仆瑪都だったが、話題を変えた。


「そういえば、彼女とはどうだ? うまくやっているんだろ」


 気分直しのつもりで振られた話題は、天風には効果覿面であった。彼女、料理が上手なんですよー、と始めては、出された食事のメニューを全てそらんじた。


「おまえたち、上手くやっているんだな。手配した俺が言うのもなんだが、意外だよ」


 仆瑪都の感心ぶりに、天風は思い切り照れながらである。


「いやぁ、僕がなんにも出来ないから、しょうがなく頑張っているんだと思います」

「そうか? 今聞いた料理はどれもけっこう手が込んだものだぞ。食っている時なんか、愛情を感じたりしてるんじゃないか」


 愛情……、その言葉に天風の鼻から、たらり血が垂れてくる。本人が気づけば、慌てて取り出したハンカチで押さえた。


「顔を真っ赤にしながら鼻血出されるのは、ツッコミが難しいぞ」


 仆瑪都が真面目に戸惑っている。


 すみません、と天風も返すほかない。


「実習で体臭のほうはクリアできたが、性的興奮に対する問題は悪化しているんじゃないか、これ」

「そう言いますけど、メリさんと二人きりなんてなれば、意識するなってほうが無理です」


 と、答えた天風の鼻はハンカチでも塞ぎきれないないほどの血を噴く。あわわ、と慌てても止まらない。結局は応接室に予備で置いておいたタオルへ出番を求めるほどだった。


「あまり酷いようだったら、実習自体を続けること考え直すか。別れを簡単にした制度だしな」


 鼻血で苦しむ部下へ、仆瑪都は気遣いを示す。


 けれども天風にとって、ビクッと身体を震わす意見だった。


 愛莉紗めりしゃとの生活が終わる……それはとても残念なことだ。

 そう考えるようになっていた天風だ。

 でもこのまま鼻血を出し続けていては終わりとする選択が前方に出現しそうだ。意味のない実習だと周囲ばかりでなく、愛莉紗が考えるようになるかもしれない。


 どうしよう、と自宅への帰路でも真剣に模索する天風だ。もちろん良いアイディアなど湧き上がってこない。


 二人きりというのがまずいんだよな、と独り言をもらす天風は自身の体質改善に意識を向けなかった。

 環境に理由を求めたゆえに事態は大変を招くこととなる。

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