第1章 名前がイヤと言われても<5>

 結局は頼みこむ天風てんぷうであった。


「本部長、どうにかなりませんか?」


 三日連続で仆瑪都ふめつの執務室へやって来ていた。しかも用件の基本的部分は同じときている。


「そりゃー、困るなー。管轄外すぎて無理ムリ」


 仆瑪都が顔の前で手を振る仕草は口調より強い否定を滲ませていた。


 ですよね、と天風もあっさりかもしれないが引き下がるしかない。


「お役所なんて就いた部署以外は、なんの権限もないからな。特務隊のトップにあったって、市民課の、しかも戸籍関連なんて首を突っ込めないぞ。その辺りの事情はよくわかっているはずだろ、天風なら」


 そうなんですけどね、と答える天風は少し苦い想いを味わっていた。自分だって書類上で存在を消された過去がある。


 にやり、人の悪い笑みを仆瑪都が浮かべた。


「しかしあの天風が、こんなどうでもいいことを頼んでくるとはな。もう尻に敷かれたか」

「こうなるくらい、本部長なら予想していたはずです」


 多少いじけ気味となった部下へ、本部長はフォローするようにである。


「だけど苗字を夫と同じにしたいなんて、けっこう惚れられているんじゃないのか」

「理由は名前と一緒です。平凡すぎるネーミングが嫌なようです」


 なんか難しいな、と今度こそ仆瑪都が同情を示した。


 ぐっと天風は両手を握り締めて訴える。


「だから名前も何とかしてあげたいな、と思ったのです」 

「でも別に悪い名前じゃないと思うけどな。まぁ、ワインみたいではあるが」

「それですよ、それ。同じようなこと、言ってました」


 ひときわ張り上げた天風の意を、仆瑪都は切れ者らしく汲んだ。


「へぇ〜、彼女。そこは反応するんだ」

「はい、メル◯ャンみたいじゃない、と言ってました」


 何でもなければ笑いに変えたい内容も、彼女は普通ではない。

 当人いわく『転生悪役令嬢』なのである。


 ふーん、と唸る仆瑪都は顎に手を当てた。考え込む風情だ。


「どうやら現代社会にも通じているみたいだな。中世のような世界でしか生きてこなかったというわけではない、と」

「でも名前の件とか、そうそう、世界が地域別になっていることも、知らなかったみたいですよ」

「本来なら記憶の喪失もしくは混乱で片付けたいが、セクシーな体型になった点が説明つかないからな。もしかしてヤバげな違法薬を使用したせいで、ああなったか」

「おっぱいが大きくなったりお尻が小さくなったりする薬なんか、あるのですか」


 天風はとても真面目に訊いたつもりだ。


 だがなぜか上司は再び人の悪い笑みを作った。


「おまえ、ヤラしくなったな。胸じゃなくて、おっぱいなんて言い方、この場でなければセクハラで訴えられるぞ」

「ほ、本部長と二人だけだからです。いいいつもは、そんな言い方しません」


 顔を真っ赤にして吃りながら訴える天風である。


 ははは、と今度は心から愉快そうに笑う仆瑪都だ。顎に当てていた手を外せばである。


「現在の状況で結論を急いでも仕方がないしな。ただ思っていた以上に事情は複雑かもしれない可能性は出てきた」


 ごくりと息を呑んだ天風である。

 すっかり緊張の面持ちを湛えた部下の気をほぐすように、ポンっと肩に手を置いた仆瑪都だ。


「あくまでも可能性の話しだ。天風は普通に実習を頑張ってくれ」


 はい、と元気よく返事したところで天風は気がついた。肝心な点を聞き届けてもらっていない。


「ところで本部長。彼女の名前なんですが、どうか……」

「諦めろ」


 一言で切り捨てられれば、これ以上の交渉は無理だ。仆瑪都が言葉を弄さない時は、意見を変えない。長年の付き合いだから、承知している。


 こうして彼女が希望した『メリッサ』は、無理に当てられた漢字『愛莉紗』の読みに従う『めりしゃ』となった。

 なんだか申し訳ないです、と思う天風であった。

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