ジョークス

・ジョークス

とうとうこの曲について書くのか、という個人的な思いもあり。初めて聴いた緑仙の歌だったと思う、たしか。その時は、この曲に込められたものを何一つ理解できなかった覚えがある。

電波を受信したぼろさんがゲストとしてかっけーギターを披露してた曲。何で言っていたのかは忘れたけど、前に緑仙が「ぼろさんの曲には救いがある。最後に救ってくれる」と話していた。ぼろさんの音楽がそもそもそうなのかもしれないし、緑仙のことを救いたいという思いも確かにあるはずだ、と自分は考えている。

ふわふわ公開収録の時、ジョークスをノリノリで歌っている緑仙を見ていて違和感を覚えた。これってそんなに明るい曲か?と。わかりやすく明るい曲ではないけど、ジョークスは前を向いて進んでいく決意を歌った曲。だからステージ上の緑仙は、あんな姿だったんだろう。


「期待してもしょうがない

だなんてずっとわかっていたのに

とうに未来図なんて意味ないのに

本心なんて自分でわかんないものに

抱きついてしまうこの心臓にバイバイ」


ノイズまじりの声で始まる。「期待してもしょうがない」、イツライの最初と同じ歌詞。

「期待してもしょうがないだなんて、ずっとわかってた」、緑仙はずっと誰かに期待していた。「しょうがない」と思うのはその裏返し。「未来図」は、自分が期待していたこと。例えば、友だち100人つくること、とか。

誰かに知ってほしくて、でも自分ですらよくわからなくなってしまった「本心」は「本当の自分」。そんなものにすがる自分にさようならしてしまおう。

MVだと、ここで緑仙(白)が生まれる。現実世界の緑仙と、心臓を撃ち抜かれる緑仙(黒)は、仙河緑と言って差し支えないと思う。だから、自分の本心を隠す存在としての緑仙が緑仙(白)=VTuberとしての緑仙。ややこしい。

緑仙(黒)=仙河緑

緑仙(白)=緑仙

もちろん、2人とも同じ人物であるから、はっきりと二つに分けられるようなものではない。

緑仙(白)は初期の頃の衣装だから、過去の緑仙を指しているとも考えられる。

MVの担当は「ロウワー」のハルシギさん。「自分を守る存在」「踊る2人」とか、共通するモチーフが多い。ロウワーからの影響が大きいんじゃないか、と思っている。

ライブだと、照明が紫色で、他に青と赤が使われてる。青と赤は混ぜると紫になる。だから、二つに分かれた緑仙をイメージした照明のはず。


「不確かな現象がどうもこうも

気になっちゃう性分でさ

想像 いらないもんばっか考えちゃってさ

思想 もっと単純に生きていられりゃ

きみをわかったかな」


大学で知らない人から声をかけられ、「え、僕を呼んでる?」と思いきや後ろに別の人が。よくある。

不確かな現象が気になって、あれこれといらないことまで想像してしまう。もっと単純な考え方で生きていられたら、「きみ」をわかったかな。

緑仙、というか仙河緑がどういう人間なのか。その紹介をしてるAメロ。「きみをわかったかな」は、「君になれたかな」という意味と捉えてもいいはず。言うまでもないと思うけど、「君」は「VTuber緑仙」。


…そう考えていたけど、ジョークスには「きみ」と「君」が両方出てくる。曲の頭では「本心なんて自分でわかんないものに」と、自分(仙河緑)の本心がわからなくなった、と歌っている。「君になりたいから」だと、仙河緑にとっての「君」は「緑仙」だし。じゃあこの「きみ」はどっち?

この場面では、やっぱり「きみ=緑仙」だと思う。けど、ジョークスでの緑仙は「君になりたいから」でイメージされてた緑仙とはかなり別物で、より「仙河緑自身に近い存在」になっていると思う。


「すれ違って 伝わらずに

海に沈んでいったっけ

その涙で 溺れるまで

本当のこと話そう」


「嘘ついて 間違って 誰もわかってくれない」、これは「君になりたいから」の歌詞。

自分のことを伝えようとするけど、素直になれない自分や、好奇心だけの人間たち、ピント外れの見方をする人間たちの間で生まれるコミュニケーションは、上手くいかない。

「涙で流れていく今日だ」

「べそかいて 顔真っ赤」

泣いて周りが海になって、1人で沈んでいく。「君になりたいから」は2021年リリースだから、ジョークス公開時点で約2年が経過してる。「海に沈んでいったっけ」と過去を振り返ってる。

現実世界の仙河緑が、緑仙としての自分を思い浮かべながら歌ってると、徐々に下ハモを歌っている誰かの姿が。

「本当のこと話そう」を、緑仙(黒)より先に歌う誰か。赤い手書きの文字。後ろから「話そう」と言ったのは、もう一人の自分。


ライブだと、Bメロの音の厚みが違う。ギター3人いるし、あとはシンセサイザーの音色も加わってるせいだと思う。すごくドラマチックに聴こえる。

「話そう!」と緑仙が叫んでる。「テンション上がったらやります」と言っていたとか。この「話そう」は、ライブを観に来てくれたお客さんに対して。自分を観てくれる人、視聴者、ファンへ向けた言葉かな、と思う。


「勘違いしてもいい 僕ら愛するなら

正義なんて意味はない 再開

千度の願い 叶わない夜でも

介して愛した

間違えた日々も 空を切った声も

吐き出した歌も 全部纏って

退路も無用 イバラに塗れて

ちゃんと歩くから

なんて冗談さ」


心臓をぶち抜かれる緑仙(黒)。

サビの歌詞はラストで全く同じまま繰り返されるけど、1回目と2回目とでは違う意味を持って聴こえる。

「観ている人たちが僕たちのことを勘違いしていたとしても、『誰かに見られること、(勘違いでも)肯定してもらうこと』で、自分のことを愛すことが出来ればいいじゃん」

「幾千もの落胆」千度の願いが叶わなかった時も、緑仙という存在を通して、自分を肯定した。

「振る舞い方を間違った。誰にも聞いてもらえなかった話。辛い想いを吐き出すために歌ったこと」それら全部引っくるめて、背負って行くんだ、そんな思いは自分自身に一蹴される。

「そんなの冗談でしょ?」と。

ライブではここで照明が青に落ちる。ジョークスを歌う時の緑仙は、楽しそうというか、明るく見える。


MVでは、我に帰った仙河緑の眼に、客席に紛れた緑仙(白)が映る。ライブの緑仙もダブルピース。


「「本当のミーを知ってほしいザマス」

だなんて考えてんのかい 空想

どう見たってぶっ飛んだストーリーね

夕景 赤い歩道橋が滲んでいて

飛んでったカラス」


もう一人の自分が言う。「本当の自分を知ってほしいだなんて、本気で言ってるの?今までのことを忘れたの?」

すれ違い、伝わらなかった過去がある。でも、「ぶっ飛んだストーリーね」とは言うけれど、「それは不可能だよ」というニュアンスの言葉は選ばれてない。


「漫画のようにページ捲り

涙乾いてほしかった

せめて最後のハッピーエンド

それくらいは頂戴」


1番のBメロの歌詞と重ねてみると、「すれ違いの日々の中で流した涙が、乾いてくれればよかったのに」、と繋げられそう。だから、涙は乾かなかった。辛い日々は終わらなかった、そう緑仙(白)は言ってる。

一方、仙河緑のほうは、どことなく冷静な顔で後ろを向いたままの緑仙(白)を見つめている。過去の自分を振り返ってるみたいに。

「ハッピーエンドを頂戴」と言う緑仙(白)。「頂戴」、ということは、誰かに「期待」してる表れ。ぶっ飛んだストーリーね、と口では言っていても、やっぱりそれを諦めきれない。


「意味が無くてもいい 君が踊るなら

僕らは歌った 最大

エンドロールが終わらない長さの

夜を数えよう

なんて冗談さ」


手を取って踊る2人の足元にはシ屍累々、緑仙(白)の山。これは「エンドロールが終わらない長さの夜」、これまで何度も失望を重ねた過去の緑仙を指していると思う。

期待どおりにならない、無意味な夜(配信)だとしても、君が踊るなら。この「君」は、文脈的に仙河緑だ。それで気が晴れるなら、歌おうよ。過去の緑仙はそんな気持ちで配信をしていたのかな。

そうして願いが叶わない夜を数えてるうちに、心が沈んでくる。「意味が無くてもいい」そんなの冗談で、から元気に決まってる。緑仙(白)は消えてしまう。

イツライでは、落としたピアスを誰かが拾ってくれていた。聞き覚えがあるピアノのメロディが流れる。でも、今回ピアスを拾ったのは自分自身。繰り返される「期待してもしょうがない」の言葉。自分を救えるのは自分だ。そう思って走り出した、と解釈してる。「紋白蝶」で、囚われていた自分自身に自分の手を差し伸べたのと同じく。

ぼろさんのギターソロ、めっちゃかっこいい。ステージからお客さんをあおる緑仙。他の曲でもあおりをしていた事はあったけど、ジョークスの時にお客さんが振っていたペンライトは、特に強い一体感があったと思う。


「きみの真実を 嘘だなんて

誰にも言わせやしない」


「きみ」の真実

誰もわかってくれなかった自分のこと

それを嘘(lie)だなんて、冗談になんてさせない。誰にも言わせない。

自分自身が、そうはさせない。

ライブで歌っている時、緑仙は何回か感極まった瞬間があったんじゃないか、と思ってるんだけど、その一つはここ。一緒にコメンタリーを録ったでろさんも、気づいてたんじゃないかな。


「勘違いしてもいい 僕ら愛するなら

正義なんて意味はない 再開

千度の願い 叶わない夜でも

介して愛した

間違えた日々も 空を切った声も

吐き出した歌も 全部纏って

退路も無用 イバラに塗れて

ちゃんと歩くから

なんて冗談さ」


「本当の僕たちをわかってくれない人たちからの愛だとしても、愛してくれることに変わりはない。本当の自分は、自分自身で肯定する」、それがジョークスの中で導き出された結論で、緑仙と話をしたぼろさんが感じ取った「緑仙の決意」だったんじゃないかな、と思う。

宙に向けられた緑仙の手。それが破ったのは、自分が閉じこもってた殻や、囚われていた考え方や、「夜」や…いろいろ思いつくものはある。

ステージで、MVの2人の姿を再現する緑仙。「なんて冗談さ」でウィンク。聴いてくれた人に対して、「なーんてね、冗談だよ」と秘めた決意を笑い飛ばして見せてるようでもあるし、「わかる人はわかってくれたよね?」と問いかけているようでもある。自分自身と交わした決意は、自分たちが知っていればいい。胸にしまっておくための「冗談」。ふたりが吐いた冗談だからジョークス。

すてきな曲、すてきなMV。緑仙にしか歌えない、すてきな歌。


この曲が緑仙じゃないと歌えないのは、歌詞に対する理解や思い入れが、他人とは全く違うから。一つひとつの言葉やフレーズに、思いを込めることができる。表現したい感情が滲み出る。歌声に意図が生まれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る