エンダー
・エンダー
インタビューより
「過去に活動について思うところがあって。あの時に感じた、ぐちゃぐちゃした気持ちは一番好きで一番嫌い。その感情をファンが受け入れてくれて、こうして歌にできた。ちょっと重いかなと思いながらも、歌いました。」
ライブで披露するには、ちょっとというよりかなり重たい気がする。そういうマイナスな感情を含めてこそのライブだったとは思うけれど。
「生存報告程度がコンテンツに成り下がった」視聴者からすれば耳も痛いし思い当たる節も多々あるはずのフレーズから始まるこの曲は、配信者なら大小の差はあれ誰もが感じているであろうドロドロした思いを、多少の比喩表現は使っているけど、ほぼそのままストレートにぶつけている。
ここまで正直に思いの丈(たけ)をぶちまける活動者はたぶんいない。インタビューにもある通り、それをファンがどう受け止めるのか想像するはずだから。そういう意味でも、この曲は意味があると思う。綺麗事ばかりじゃない、活動者とファンの関係性において。
ライブでは、曲が始まると緑仙が空に手をかざして何か掴み取るような仕草をする。「藁を掴む」動き。ステージは真っ赤な照明に照らされている。
「生存報告程度がコンテンツに成り下がった
痛々しくて、生っぽくて、フィクション。エクスタシー
ほどなくお前は目新しい神様のもとに走って
愛おしそうに抱きしめた世界も全部塗りつぶすのだろう」
「生存報告程度がコンテンツに成り下がった」とは。「目新しい神様のもと」に走るお前、緑仙以外の活動者を好きになった人(元ファン)は、生存報告くらいしか見ることはない。
追い詰められている人間の痛々しさ、生っぽさをコンテンツとして消費し、快感を得て終わり。元ファンにとって、緑仙はもう1人の人間としてではなく、フィクションの世界のキャラと同じ扱いをされている。
今まで楽しんできた緑仙の活動も、新しく見つけた別の人の配信によって上書きされる。
MVだと、上から垂れているいくつかの赤い糸の下に緑仙が座っていて、その内のひとつだけが奥にいる仙河緑の手に握られている。
視聴者からたくさんの愛を向けられているけど、その中にすがりつけるようなものはほとんどないのを表していると思う。
「無下にしたのはどっちだ?
夢をみたのはどっちだ?
「一生」を裏切らないなら救い続けてあげるのに
仮面の下を暴いたらそれで満足なんだろう
生憎お前が捨てた昨日は僕のフォルダで生きている」
ファンはなぜ離れていったのか。それぞれ理由は違うだろうけど、例えば「緑仙に適当な扱いをされた」と感じて離れていった、とか。
活動者からすると、好きか嫌いかを軽い気持ちで判断したり、自分の思い通りの振る舞いをしないならすぐに乗り換えていく視聴者も、ずいぶん適当な扱いをする側の人間といえる。
「夢をみたのはどっちだ?」
自分の理想を相手に押し付けたのはどちらか。素敵な人だと思い込んでいたファンの方か、それとも自分を好きでいてくれる人だと信じて本音をみせた自分の方か。
「一生を裏切らないなら」
自分のことを一生応援する、と言ってくれたのに、簡単にいなくなっていく人たち。
「仮面の下を暴いたら」
緑仙がどういう人間か、どの程度の存在なのかを知ってしまえば、もう自分に用はないんだろう。
「生憎お前が捨てた昨日は僕のフォルダで生きている」
僕(緑仙)のフォルダというのは、人生とか記憶と言い換えていいと思う。緑仙という人間や、今までしてきた活動のこと。それら全部を、お前は捨てたんだぞ、と。MVだと仙河緑が上を見上げて睨んでいる。自分を捨てた視聴者への怒りの表れ。
「洗いざらい話しても簡単に食べ残す性根には
説服も弁明もすべて無駄になる
嫌い。嫌い。
この国を抜けたまま死んでいく程度なら
教理はすべて忘れて
穢れた一票よ
さあどうぞお元気で
嘘八百七並べ
どんな不幸も知らない
ペラペラの愛を配ればいい」
「洗いざらい〜無駄になる」
自分自身のことや、自分が何を感じているか、日々の生活の中で何を思っているか。それを包み隠さず話したところで、お前は全部聞かない内にどこかへ行ってしまう。自分は全てを話しているのに。じゃあそんなことしても無駄じゃないか。
「この国を〜配ればいい」
緑仙を「王」と(自虐的に)みなす国(配信している場所)からいなくなって、死ぬのなら(国民として、つまりファンでなくなってしまう程度の人だったのなら)、教理はすべて忘れて(王(緑仙)やそこでの思い出も全部捨ててくれ)、穢れた一票よ(何がファンだよ)。
「嘘八百七並べ」
ファンが語る愛なんて適当な出まかせだろ、という蔑む言葉にも聞こえるし、視聴者への「嫌い」という罵詈雑言には隠された本音がある、とヒントをくれているようにも取れる。
「どんな不幸も知らないペラペラの愛を配ればいい」
お前は僕(緑仙)がどういう想いを抱えて活動しているのかも知らずに、「一生好き」みたいなことを言ってたんだろ?他人の不幸に見向きもしない程度の人間が語る愛なんて、どこへ行っても薄っぺらなままだろうな。
攻撃的に聞こえるけど、悲痛な本音でもある。
暗い穴の底で上を見上げる緑仙の視線の先には、大きな手が差し伸べられている。おそらくファンのことだと思う。某作家の「蜘蛛の糸」を思い出させる風景。だから、MVに描かれてるこの時の緑仙は、地獄にいたのだと思う。
「生存報告程度がコンテンツかと蹴とばした
喜々と光った胸の奥、ノンフィクションとアイロニー
知らぬ間に僕は目新しい神様の席に座って
愛おしそうに見てる瞳たちを失うことを恐れている」
1番では「自分のもとから去っていった視聴者たち」にとっての生存報告だったけど、今度は生存報告を入り口に新しくやってきた視聴者(新参)を指している。
新参は興味津々で自分のことを見ている。彼らにとって今の緑仙はノンフィクション、血の通った人間。だけど、今度は緑仙の方が自ら「フィクション」になる。
アイロニーは、表面的な立ち振る舞いで本質を隠すこと。なんで隠してしまうのか。「愛おしそうに見てる瞳たちを失うことを恐れている」から。
「無駄じゃないと思うには
揺らがぬ足を持つには
「一生を裏切らない」など藁を掴むしかないな
耳を閉じてしまったら僕を忘れてしまうだろう?
生憎お前が捨てた昨日は僕のフォルダで生きている
開いて。」
新しい人たちが自分のもとへ訪れる度に、洗いざらい話すことを無駄じゃないと思うにはどうすればいいだろうか。揺らいでしまう自分をどう支えたらいいのか。
一生を裏切らない人と出会うなんて、藁を掴むような話、つまり不可能なことを実現しなきゃいけない。
耳を閉じてしまったら。緑仙の配信へやってこなくなれば、そのうち僕(緑仙)のことを忘れてしまうんでしょ?
お前が捨てた昨日を、僕のことを捨てないで、忘れないで。
MVでは、「開いて」のタイミングで緑仙の手が赤い糸へと伸びる。藁をすがっている。
ライブだと、赤かったステージが青の照明に色を変えていく。怒りが、悲しさや寂しさに変化していくみたいに。声色も掠れて、消えていく。
「無関心という名の針
簡単に刺してこないで」
人前に出る職業はどれもそうだろうけど、特に配信者は、視聴者との距離が近い。物理的な距離じゃなく、心理的な距離。好きも嫌いもダイレクトに感情が飛んでくる。自分の存在を否定されることが日常茶飯事。どれだけストレスがかかることをやっているんだろうか。
MVのラストでは、緑仙はそれでも赤い糸を握りしめている。一番好きで、一番嫌い。
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