ロウワー

 MVでイラストを担当しているのは春私宜さん。ジョークスと同じ。この曲が緑仙にとって大きな意味を持っていた、と想像できる。曲で歌われているテーマもジョークスに通じるものがある。けど、比べてみるとけっこう違う。

 水流のロックの感想でも書いたけど、緑仙が歌う曲にたびたび登場する「君」は、緑仙自身を肯定したり、守ったりする存在だ、と自分(俺)は解釈している。

 殺屋中毒が終わった後のMCで、緑仙は「僕は話すのが苦手」と言っている。どの時点からそうなってしまったかは分からない。Vtuberを始める前からか、始めてからか。


 いいかけていた事が

 一つ消えてまた増えて

 背中に後ろめたさが残る


 霞んだ声はからからに

 喉を焼いて埋め尽くす

 何を言うべきか分からなくて


 友だちを作りにきたはずの場所で、自分が話したいこと、緑仙自身についての話は求められていない矛盾。徐々に、人前で何を話せばいいのか、判断がつかなくなる。というより、人前で自分をさらけ出した時に、受け入れてもらえなかった経験が、どんどん自分を閉じ込めてしまう。

 そうなると、今度は自分の居場所がどんどんなくなっていく。そこに居続けるだけで、心がすり減るようになる。そんな自分を繋ぎ止めるため、自分の居場所となる存在として「君」が生まれる。

 それが「君」が存在する全て、ではないとは思うけど。

 MVでも歌詞にも、「君と踊る」箇所がある。緑仙の場合は、「君」も「僕」も同じだから、踊るのも1人。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る