世に犬好き多きこと、誠うれしなるかな

 吾輩はサバルカ、犬である。こたび朋が家の子とあいなった。


 いよいよ真っ白毛玉の吾輩は、ご家人の皆々様へご挨拶するべく、えっちらおっちら歩んでいた。そのところ、メイドのおひとりが急に鼻血吹いて倒れられた。

 いかがされたのか。気になるので、近くへ向かうこととした。吾輩は犬であるから。

 我が怨敵ラグにあいも変わらず苦しめられつつ、それでもどうにかこうにか、かのメイド殿の下へ歩みを進める。

 見れば、すでにご母堂の手により、空いているソファへ座らせ、鼻元へ布が当てられたり、お仕着せの首元を緩めたり、風が送られたりなど、いろいろの対応がされていた。それから、朋は他に控えていたメイドさんに抱かれて違う部屋へ。またあとで会おうねぇ。

 そのメイド殿の足元へ、怨敵ラグを征服せし吾輩はようよう辿り着く。そうしておすわりと首かしげ、鼻をひくひくと利かす。

 如何されたか。貴女、犬がお嫌いであるのか。相すまぬが、吾輩は犬であるから、そのあたりのヒトの機微がわからぬ。嫌いであるなら、後学のため、如何すればお互いにとりよいか、これ教えていただきたいくらいだ。


「ぅあん!」


 一声鳴けば、メイド殿の介抱をされていたご母堂が気づく。


「まぁ…ソティリア、ソティリア起きなさい。サバルカちゃんも心配してますよ」

「奥様、姉様はどうしたのですか?」

「わからないのよ。なんでも、サバルカちゃんを睨んだり、こう…手を握りしめたり、なんだか怒ってたみたいなんだけど」


 メイド殿―――ソティリア嬢を揺さぶりながら、ご母堂がなんとも物騒なことをおっしゃる。背後からはソフィア嬢のお声。振り返れば、ソフィア嬢もまた、心配そうにソティリア殿を見つめていた。

 しかしよく見えぬ。ソファが高いのだ。前脚を載せれば多少はよくなろうが、とはいえ、前脚を載せていいものか。

 悩んでいると、抱っこするねーとソフィア嬢が吾輩を抱き上げる。察しが良い。それに、先程から感じていたが、スフィア嬢は抱っこも上手である。無理なく痛みなく抱き上げていただける。楽ちん楽ちんである。


「ううん…」

「あ、起きた。」


 しばらく揺すぶられるうち、ソティリア嬢がしばし唸り、二度三度瞬かせたのち、目を覚まされた。

 その瞳が、ご母堂とソフィア嬢、それから抱かれた吾輩を捉える。どうも、わんちゃんです。


「奥様…ご迷惑をおかけしました。それから…ひと思いに殺してください。」

「なにをワケわかんないこと言ってるの、姉様。」

「そうですよ、ソティリア。それより体はなんともないのですか?急に…その、鼻血を吹いて倒れるからみな驚いたのですよ。ほら、サバルカちゃんもびっくりしてる。」


 ご母堂が吾輩を示すにあわせ、吾輩を抱くソフィア嬢がそっと歩み寄る。そして抱き直し、吾輩の右前脚を握るとこれを伸ばす。こんにちはーってね。なんで今やったの?


「奥様、体はなんともございません。詳しくは申せませんが、なんともないのです。」

「そうなの?もし辛いのであれば、すぐに言いなさい。休ませます。」

「ご高慮ありがたく。それからソフィア、そのワ…ンん、犬を下ろしなさい。お仕着せに毛が着くでしょう。」


 ご母堂との麗しき主従の会話ののち、吾輩を見てその怜悧な表情が一瞬緩んだ。これを見逃す吾輩ではない。

 伸ばされたままの右前脚を握り伸ばす。ぐっぱである。吾輩のぷにぷに肉球を見るが良い。先ほど保湿クリームを塗ってもらい最高の状態である。ついでに耳もぱたぱた動かしてみる。


「肉球ちっちゃ…耳かわ…」

「ソティリア?」


 やはり一瞬だが表情が緩んだ。しかも小声で褒められた。

 ふぅむ。これはやはり、この人もしかして。

 吾輩は右前脚をひっこめると、自由になる鼻先でソフィア嬢の腕をつつく。


「うん?サバルカちゃん、降りたいの?」

「わん!」


 ちょっと身じろぎも追加。おろしてくださいませ。


「はいはい、ちょっとまってね―――わぁ暴れちゃダメ!」


 吾輩を下ろすため、再度抱き直さんと、ソフィア嬢が吾輩の後ろ足に手を添えた瞬間、せいとこれを蹴り出す。

 すれば吾輩はフライアウェイ、一時空の人。全身の毛で風を掴み、モモンガのごとく滑空。嘘である。単純に放物線を描く。本日2回目であるな、これ。


「え?」

「ぁん!」


 そして狙い通り、呆然とことを見守るご母堂の眼前、ソファに座るソティリア嬢の膝上に着地。

 驚きに開いたソティリア嬢の瞳を見つめ、胸張って尻尾を全力でふり、上手に着地ができました!とご報告。

 間髪これを入れず、ごろりと寝転がってお腹を見せ、上目遣い。

 さて、ここで問題である。吾輩のごとくかわいいかわいい白毛玉が急に膝に飛び乗ってきて、しかも全力で甘えてくる。そんなとき、犬好き、可愛いもの好きはどうなるか。


「どうしたの~~~~????」

「姉様!?」


 どうかしたのはそちらである。

 そう、どこから出ているかわからぬ高い声あげてデレッデレになるのである。これはどうあがいてもデレッデレになるものである。何人もこれに耐えることはできないし、耐えさせなどしない。我輩は犬であるゆえに。

 やはりそうであった。このひと、犬嫌いなどとんでもない。犬好きである。

 先ほどまでの怜悧な、できるメイドさんの表情が嘘のようにこれ崩れ、もうニンマリと表現するほかない下がりきった目元口元―――先ほどから思っていたが、そのあたりソフィア嬢にそっくりである―――で吾輩をもみくちゃに撫でるソティリア嬢。おお、いいところをいい具合に。おなかなでていいですよおなか、そこもいい、ああいいですね。お上手。

 お腹を上に、ゴロゴロ転がりながら甘える吾輩、これをあられなく恍惚とした表情で撫で回すソティリア嬢。唖然呆然と見つめるご母堂と、ソフィア嬢。


 最初に正気に戻ったのはご母堂であった。


「…そう言えばこの子、庭で遊んでる狼の子たちをじっと見つめたり、こっそりおやつあげたりしてたし…もしかして、さっきはあんまりかわいいのを我慢して、その限界で…?」

「たしかに姉様はかわいいものがお好きですが…」


 撫でられ続けながら耳をそばたてればそんな会話である。そういえば、姉たちがなんだか美味しそうなものを食べているのを見たことがある。あれはママンも知らぬ顔をしていたが、ソティリア嬢によるものか。

 吾輩の分?ウェンティティア姉様にとられにとられ、一度もない。泣いてないぞ吾輩。


「なんで我慢なんかしたのかしら、他の子や私みたいにキャーキャー騒けばいいのに。ねぇ、ソティリア。」


 心底不思議そうにご母堂に問われ、ハッとソティリア嬢が正気に戻った。撫でるのはやめていない。


「お、奥様。それはその…妹や他の者の手前、はずかしくて…」


 吾輩の耳の後ろをぐりぐりと指先でこすりながら、顔を赤くする。そこいいですね。

 しかしソフィア嬢の姉か。通りでそっくりなわけである。


「あらあら…」


 一転、満面の笑みのご母堂が立ち上がり、やだーうちのメイドかわいいーと抱きしめた。吾輩ごと。

 さすがにつぶれてしまう、と思ったところ、ソフィア嬢にヒョイとつままれた。


「奥様、姉様、サバルカちゃんが潰れちゃいますから回収しますね~。私達はお嬢様のところにおります。」


 やれやれ、と目をつむり首をふるソフィア嬢に抱かれ、吾輩は居間をあとにした。


「まったく、私達だけならまだしも、変なプライドで奥様に迷惑をかけちゃダメじゃない。ねぇサバルカちゃん。」

「わん」


 まぁまぁ、そう怒らさるな。誰だって守りたいプライドというのはあるもんである。吾輩のそれは昨日埋めたので、手元にござらんが…。


「姉様がかわいいものに目がないことなんて、みんな知ってるのに…何を今更恥ずかしがってるのやら。」

「くん?」

「ううん、なんでもない。お嬢様のお部屋にいこっか」


 かぶりをふった彼女に抱かれ、吾輩たちは先ほども通った廊下を、今回は居間を挟んで反対の方へと進むのであった。

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