犬たる吾輩とメイドさんと

 吾輩はサバルカ、犬である。

 犬というか、狼の仔である。しかしパヤパヤコロコロふわふわ子犬ちゃんである。

 じゃぁ犬じゃん。血統的には狼です。



 さて、朋と縁を結んだその日のその後、今日からあなたは我が家の一員ですよ、とまこと上機嫌なご母堂に連れられた吾輩は、うまれてこの方初めて母屋への進入を許された。

 そして、わが短き前足が堂々敷居をまたぐなり、控えていたメイドさんに抱き上げられ、第一に風呂へと放り込まれた。

 いかにママンが綺麗好きとはいえ、今日この日今の今まで野外で好きに生きていた野生の狼の仔である。色々と汚れたりだの何だのしているから、まず洗われること然りである。なあに吾輩も水遊びは嫌いではない。あったかいお湯につかるなど、今生ではこれはじめての経験であるが。

 そういうわけで吾輩は、石鹸も併用され、鼻の先からしっぽのさきまで抜かるところなく洗われた。そうしてふわふわの毛の下に秘めたる骨浮き出るほどのスリムボディを世に知らしめたのである。いやん。

 これには吾輩をていねいにやさしく遠慮なく洗い上げたメイドさんも驚いていたが、犬はちょっと肋骨が浮くぐらいが適正体形である。

 それに吾輩、今生に生まれこちら、飢えた覚えがない。姉たちと奪い合った―――奪われたが正しい―――記憶はあれど、何分末っ子であり、小柄である吾輩についてはママンも気をもんだらしく、もっと食べなさいと吐くほど食わされた記憶のほうが多いくらいである。


 さてさて、いい気分のもと、タオルやら温い風出るナニカやらでさっぱり乾かされた後、再度メイドさんに抱き上げられた吾輩は、適宜撫でられながら邸内を移動しているのである。

 誤解なきよう。無論吾輩とて、誇り高き狼の仔である。まずは歩きついていこうと考え、そしてそのようにした。

 しかしかなしいかな、いかに頑張ろうと、努めてゆっくりと歩くメイドさんにも全く追いつけなかったのだ。あんよが短すぎるゆえに。まったくなんてこった!

 見かねた―――その目元口元笹葉耳は全て下がりきっていた―――メイドさんに抱き上げられたのが先のこと。今はいいところ、すなわち耳の後ろなど撫でられ、我ながら弛緩しているのがわかる。仕方ないじゃない、犬なのよアタシ。狼か。


「サバルカちゃんはお風呂も温風乾燥の魔法ドライヤーも嫌がらないし、今もこうしておとなしく抱っこさせてくれるし、とってもいい子だねぇ。」

「わん!」


 吾輩を抱くメイドさんがささやく。

 褒められたのでお返事をする。さようさよう、吾輩はいい仔ですよ。


「あぁそうそう、私はソフィア。お嬢様の子守ナーサリーメイドです。それから、あなたのお世話役も。よろしくね」

「わん!」


 こちらこそよろしく。

 ソフィアさんなるこのメイドさんも、当然エルフである。しかれば、編み上げてまとめた茶の髪にやや目尻高く怜悧な目元の美人さんであり、おっぱいがおおきい。おっぱいがおおきい。2回言わせてもらう。なんなれば、もしやいまの吾輩よりおおきいのでは、との懸念よりである。そのくらいおっぱいがおおきい。わんわん。


「いいお返事だねぇ。きみはことばがわかるのかな?」

「如何にも。」

「喋った!?―――あっ!」


 おやおや。

 うっかりと吾輩を放り投げ、喜色一変顔色を青くするソフィア嬢。放物線を描き、空中でそれをみつめる吾輩。

 吾輩がタダのカカシ…もとい、ワンちゃんの仔犬であれば、このまま落っこちて怪我をするところである。

 だが吾輩は犬である。転生犬である。

 空中にて毛という毛に風を当て、これ抵抗を調整し体勢を整える。そうして、背中から落ちるところ、まるで月面に着陸する着陸船のごとく、ふわりとわが短きあんよより地面に着けるのである。スーパーワンコ着地だ!膝にも悪くない。

 転生との関係はこれ特にない。


「わふっ。」

「わぁごめんね!怪我ない!?」


 怪我などござらんよ。

 着地を決め胸張る吾輩に駆け寄りしゃがみこむソフィア嬢。その口元は驚きにあいていた。そんなにあけてると魂出ますよ、とってきましょうか?とってこい得意ですよ吾輩。犬ですから。


「ああびっくりした、狼ってしゃべるんだ…」


 なんだか誤解されている様子である。

 犬はことばを発さないからかわいいのだ。吾輩はことば発する犬であるが。

 しかしこの驚きよう、やはり人前ではあんまりことばを発さぬ方がよいのではあるまいか。ならば、ここはひとつ犬芝居。

 吾輩はなあに?と耳をくりくり動かし、ひとつ首をかしげる。飼い主がなんらかを申しているのを頑張って聞き取ろうとする我ら犬の仕草である。


「あれ?サバルカちゃん?」


 今度は反対にかしげる。吾輩は頑張ってお話を聞いているわんちゃんである。

 まったくなんのことであろう。吾輩にはさっぱりとわからぬ。犬であるがゆえに。


「気のせいかなぁ。奥様はあなたのお母さん、フレヤと『おはなし』ができるみたいだけど…私みたいな普通のエルフじゃ、おはなしなんてねぇ。」

「わん」


 よくわかりませんの顔を維持。吾輩は犬である。ヒトのことばを頑張って解ろうとする健気な犬である。

 その吾輩の姿に納得したのか、投げちゃってごめんね、と再度吾輩を抱き上げるソフィア嬢。よし、ごまかせたな。




 ソフィア嬢とその腕中の吾輩が邸内を行く。しばらくすれば、居間リビングにたどり着く。ここにおいては、我が朋を抱いたご母堂と、幾名かのメイドさんがくつろいでいた。

 吾輩はリビングに入ったあたりで、ソフィア嬢のお腕を2,3前足でかるくつつき、下ろしてほしいとおねだり。

 察しの良いこのメイドさんは、ゆっくりやさしく吾輩を下ろしてくださった。お優しい子!

 そうしてポテポテとご母堂たちに歩み寄れば、ご母堂など大はしゃぎである。


「まぁ、まぁ、まぁ!サバルカちゃん、美人さんになって!」


 いかにも。洗われ、そして丹念にかわかされ、櫛など通された吾輩の毛はもはや尋常にあらず。ふんわりのなかのふんわりであり、真っ白のなかの真っ白の毛玉。それが現状の吾輩である。そらご母堂も大はしゃぎとなろう。

 その周りを固めるメイドさんも三々五々、口元を抑えたり、目元を抑えたりとめいめいに衝撃を受けておられる。かわいいですからね吾輩。ソフィア嬢だけは、仕事を全くやりきった顔で胸を張っている。

 おひとり、一等飛び抜けて長身で茶の髪、ソフィア嬢に似た怜悧な目つきに隙ない装いをしたメイドさんのみ、吾輩を睨んでおられた。

 犬がきらいなのかしらん。そう思ってじっと見つめ、つい癖で首などかしげてみると、そのメイドさんが握ったこぶしを震わせているのが見えた。相当に犬が嫌いなのだろう。

 こればかりは吾輩にどうもできることでなく、していいことでない。しからば、吾輩は犬であり、群れで暮らす生き物であれば、これ分をわきまえねばならんな。今後はともに一つ屋根の下暮らすのだ、互いに不快にあらぬよう、先輩に遠慮するのも新入りの役目であろう。

 それはそれとして、吾輩はご母堂の足元へ進む、進む。進まぬ。あんよが短すぎる。

 この床に敷かれたるラグが悪い。吾輩の短いあんよが、ただでさえ短いところ、毛足に取られて進まぬ!草原をかき分け進む気分である。ちょっと盛った。


 そのさまがあまりに琴線にふれすぎたようである。


「卑怯…!」


 なぞの発言ののち、長身のメイドさんが鼻血吹いて倒れた。

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