エルフの森の自称犬

 吾輩は犬である。名はそろそろつけてもらえるものと思う。


 犬とは名乗るが、ママンと姉妹は狼である。いまだ見たこともなく、匂いも知らぬが、きっとパパンも狼である。

 であるが、吾輩の脚も、尻尾も、灰の毛に黒縞からなるママンや姉妹の皆と異なり、真白けである。そのうえ、まだ仔犬の時分であるゆえに、これからどうなるかはさっぱりとわからぬが、なんとなく長毛になりそうな雰囲気がある。

 どういうことであろう。

 まことに不思議ではあるが、しかしてママンも姉妹も、特に吾輩を排することも、特別に扱うこともなく、皆仲良く毛むくじゃらには変わりあるまい、と家族として生きておる。

 だから吾輩も、気にしないことにした。吾輩は吾輩、ほかはほか。気にしたってなんにもならないことを気に病んでも、病むだけ損である。

 さて吾輩、仔犬にしては思考がはっきりしているように思う。と認識している時点で、もはや仔犬らしからぬ。

 たとうれば、我が愛すべき姉妹などは、毎日毎日風が吹けば驚き、雨が降れば口開き、あらゆる音へ耳をそばたて、動くもの追わずにいられず、万物全て流れるままに好奇心と興味、遊びの対象として学んでいる。

 そのところ、吾輩はそのようにせぬ。いや、眼の前で動くママンの尻尾などは、どうしても本能を抑えられず追いかけまわし、これを捕らまえれば強めに噛みつき、ママンの逆鱗(尻尾だが)に触れてとてもとても恐ろしい折檻を受けるなどはした。だがそれも昨日のこと、今日の吾輩は昨日の吾輩とは違うのだ。

 かくのごとく思考を巡らすに、吾輩、もしやいわゆる転生者ではなかろうか。そう思い至ることも、その証左ではござらんか。

 前世の記憶など今時分、思い出そうとしてもあんまり思い出せぬが、しかしこの思考の落ち着き、物思いのよさ、前世ある転生者でなければなんとする。

 しからば、吾輩はきっと転生者。いや犬なので転生犬か。


 寄り道をした。

 して、今生の吾輩であるが、水鏡に映る姿から察するに、生後3ヶ月くらいといったところである。なんらかの生物状態から脱し、小さなワンちゃんとなった頃合いである。

 長毛になりそうである、と評した産毛も、素晴らしくパヤパヤふんわりである。このふんわり加減はときを選ばず舐め整えてくださるママンと、それをまねっこ遊びする姉妹のおかげであろう。愛深き家族に感謝。

 

 ある日のことである。

 いつものようにママンは狩りへお出かけになられたので、姉妹――ああそうそう、忘れていたが、皆メスである―――らと、これともだって遊ぼう遊ぼうと巣を飛び出し、巣の近くの空き地で取っ組み合いだの追いかけっこだのを夢中でしていた。

 しばらく、吾輩の短くかわいいでは追いつけぬ距離まで走り去った、発育著しい姉妹らを必死に追いすがるなど、有意義な訓練わちゃわちゃしていたを行っていたうち、ふと見慣れぬものがこちらを見ていることに気がついた。

 ヒトである。頭の毛などは長く、その色は麦穂に似た金からなり、その耳は笹葉の如く長く尖り、その瞳は青き空映す玲瓏なる湖面のごとく。

 

―――耳長!金髪!碧眼!間違いねえぜ旦那!こいつぁまぎれもねえエルフだ!


 吾輩の思い出そうとしても思い出せぬ割に、たまによくわからん思い出し方をする前世の記憶が騒ぐ。

 ふわり漂う匂いは、我ら家族が巣にて敷布としている鹿革から、わずかするそれと同じ。

 これを発する推定エルフのヒトが、真っ白の布で巻かれたなにかを抱え、椅子に腰掛けこちらを見ている。

 あんまり遊びに夢中でさっぱり気がつかなんだが、どうもこのエルフのヒト、遊び回る我らをしばらく眺めていたようで、まことに愛らしきものを見たと言わんばかりに、笹葉の如き長耳と目尻をうんと下げている。そうしてそのままときどき、御身の腕中の真っ白の布で巻かれたなにかへ、2,3言ものをいい、ああ愛おしい、とばかり頬を緩める。

 いっちょ前に警戒などするつもりで、鼻を動かし匂いを探り、またじっと見つめた吾輩であるが、しばし匂いをかぎ、御姿をまじまじと見るうちに合点がいく。あいわかったぞ。家主どのだ。

 ママンが我らを寝かしつける間際のお話において、家主どのについてはよくよく伺う。曰く、我らの巣たるこの建屋から敷布から獲物から、全て家主どののご厚意よりいただいたものであるから、その御恩ゆめわすれることなかれと。また、家主どのは我がママンの朋であり、赤子が生まれたはずゆえに、しかるのちにご挨拶を、そしてかなうならば朋ならんと。

 我らの巣にごく近いところに住まう―――いやお住まいのヒトで、覚えのある匂いを発し、そして真っ白の布で巻かれたなにか、これはミルクの匂いより察すに赤子であろう、を抱いている。さすれば、家主どのに違いない。

 しからば、吾輩は家主どのの足元へとぽてぽて近づき、できるだけ可愛らしく一声吠えることとした。ご挨拶である。挨拶は大事である。古事記にもそう書いている。古事記ってなんだ?


「ゥアン!」


 ここで首傾けもひとつまみ。しからばあざとかわいい仔犬ちゃんの出来上がりである。それにしても、うむ、我ながら可愛らしい声である。

 家主どのといえば、赤子を抱いたのと反対の手で口元を抑え、

「まぁかわいい…」

 などと漏らされておられる。そうであろうそうであろう、かわいかろう吾輩は。愛情をたっぷりうけて育ったぽてぽてふわふわちびっこワンコなるぞ、かわいかろう。

 やはり吾輩はプリティー。この可愛さで世界、とっちゃおうかな。ノーベルワンちゃん可愛すぎ賞ノミネートだぜ、などと雑念もとい感慨にふけっていたところ、家主どのがゆっくりとこちらへ近づいてくるのが見えた。なんであろう。


「こんにちは、小さな白い―――狼さん?フレヤの子だから、狼よね?」

「わふ。」


 いかにも。吾輩は森の気高き狼、フレヤママンの子、名はまだないものなり。さては家主どの、あんまり吾輩がぽてぽてふわふわパヤパヤだから狼か疑問に思うたな。吾輩も同感ではある。でも多分狼ですよ、たぶん。


「ごめんなさいね、あんまり白くてパヤパヤふわふわで―――」


 言われちゃった。まぁ、事実だから仕方ない。


「ご挨拶にきてくれたのですね。なんと義に厚い。それでは、この子の紹介もしなくては義に反するというものです。」


 家主様がそっと、まさにふたつとない宝物を扱うかのごとく白布をゆっくりと取り払う。


「小さな白い狼さん、はじめまして。我が子、ツェツィーリアよ」


 まこと愛らしき赤子であった。

 産毛であろう錦糸のごとき金の髪は、それでも宝物とあい違わぬ輝きをもち、すでにエルフたると声高に誇る笹葉の如き長耳はいわんや天をつく。素晴らしく碧き美しい瞳は、まだよくよくモノが見えてないないのか、ぼぉと虚ろではあるものの、何が楽しいかニマニマと動く可愛らしい口。

 かわよ。まことにかわよ。吾輩、一目惚れ。

 吾輩は犬である。犬であるからには、これともに過ごす朋がほしい。

 狼であったことや、それによるプライドなどそこらに捨てた。後で埋めておこう。

 決めたぞ。吾輩は、この子を朋としたい。いや、するぞ。

 吾輩は、赤子を抱き直したエルフのヒト―――朋の母君であられるから、ご母堂とお呼びしよう―――の足元にゆっくり歩み寄り、愛らしくおすわり。

 

「わん!」


 一声。そして尻尾をふりふり。全力でふりふり。唸れ吾輩の尻尾筋!全力だ!


「わん!」


 もう一声。そうして立ち上がり、ご母堂のおみ足に我がショートキュートドッグ前足を軽く載せ、上目遣いである。確殺!

 ご母堂!この狼は、いや犬は、貴殿の娘御の朋と相成りたく!ご検討を!


「あら…気に入ってくれたくれたのかしら?―――あなたとこの子も、わたくしとフレヤのように、朋になれるやもしれませんね。ふふふ。」


 吾輩の宣伝に気づいたご母堂がおっしゃる。

 なります!なりますよ!任せてくださいよ!


「わん!!」


 これが吾輩と、終生ともに―――いやまだ死んでないけど―――過ごす最良の、そして最愛の朋の出会いであった。

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