エルフの犬たる白き犬
ムスティ・ワン・オブジオリジンサモエド
全ての始まるその前に
森の母なるエルフと狼と
秋深き森が、しかし静かであることに、その森に住まうエルフたるものが気づくまでに、さていくらのときが必要なものか。
季節がいくつもまわるほどに久しく、我らが同胞が増えようというとき、当の身籠ったエルフたるアイリーンは足るに足り、また過ぎたることのない、何かと便利な立地に在した自宅にて、秋深き森にあるまじき静けさに気がついた。
秋深き森である。
木々のうち、果樹は甘く果実をなし、落葉なるものは未だ踏ん張るがごとく、されどしばらくのうちに落とさざるを得ない葉をめいめい、赤やら黄やらに色づかせ、または常緑たるものは、われに季節などかかわりないこと、まったく知らぬと緑茂らせる森である。
それら木々の柔き果実、堅き木実、あるいは葉や若幹を求め、虫や、鳥や、草食む獣、そうしてそれらを糧とする肉食む獣らにエルフらが、長く険しく慈悲なき冬を恐れ、それでもなんとか越すために熾烈な競争を繰り広げ、まさしく絶頂を迎えるにふさわしい晩秋の森である。
まして、この"慈悲なく愛深きエルフの森"において、秋とは斯様に”騒がしい”ことが、アイリーンにとっては生まれて800ほど季節をまわしてこちら、つねなるものである。
にも関わらず、庭先の安楽椅子にて、ようよう落ち着いた悪阻にも慣れた頃、あれだけ欲していた惰眠をのんびりと味わっていたアイリーンが、そのあまりの静けさに目を覚ましたとき、静けさの正体が目前にいた。
「まぁ…」
狼である。妊娠した雌であった。そのようななりであれ、狼は狼、しかしアイリーンの足元に、われはおおかみ、なんじなにするものと、どったり寝転んだ。
愛しき我が子を身籠る以前、―――本人はいまだそのつもりであるが―――アイリーンはこのエルフの森において、そこそこの狩人であり、戦士であった。
さすがに腹が膨れてからというものの、狩りなど出たためしもなく、ましてひどい悪阻やら妊娠特有の気分の落ち込みやらで大変に気が滅入っていたこともあり、警戒心が緩んでいたことは、これ否めぬ。
しかして、それでもこの森において、弓とるエルフと対をなせる程の脅威といえば、彼らあるいは彼女ら狼である。
往時のアイリーンにとっては、見えぬほど遠く遠くで、彼らあるいは彼女らが鳴らす音、まとう匂い、あるいは放ついくらかの”気”からその存在をを察することなど、朝飯どころか二度寝前であった。
そのアイリーンの、指呼の距離、安楽椅子からうんしょと身を起こせば触れられるに違いない距離の狼に、彼女は全く気づくことがなかった。今しがた、どったりとわざわざ音立つように寝転んだのは、流石に気づいてもらないのでは…と狼が気をもみ、また回してのことではあるまいか。
アイリーンは恥じた。流石に気を抜きすぎであったと。それから、恥をかくすように澄まして狼に声をかけることとした。
「こんにちは、フレヤ」
フレヤと呼ばれた雌狼は、視線を巡らすともなく、片耳をパタパタと2往復ほどさせることでこれに応えた。これとアイリーンとは知らぬ中ではなく、返答とわかる。
何分何度も殺し合った仲である。互いにその眷属を、群れを、家族を、いろいろな理由で、場所で、数で、殺し合っている。直接弓と牙を交わしたことも数えられずある。それから、危ないところを助けられたことも。
他所の森では相知らぬが、この森におけるエルフと狼の関係というものは、殺したり、殺されたり、たまに協力したりする、そういう仲である。アイリーンがうまれるうんと昔から、そのようになっているらしい。
しかし、今は互いに身重の身。
争う気力も、体力も、理由も、見合う利益もない。お互い、毎日ヒィヒィ言いながらどうにか生きて、この愛らしくも憎たらしくある赤子もしくは赤子たちを、元気に産まねばならない。
こういうとき、雌のエルフと狼は朋となる。マブダチだ。
なにせ同じ境遇におかれるのだ。これで反目するほうが、ずいぶん難しい。
何らかの仇であれば話も違かろうが、なにかのめぐり合わせか、アイリーンとフレヤとは、仇という仇でもない。全く奇跡的なほどに。
であれば、今このときだけでも、あるいはそのまま永らく朋たらんとするを止む理由などない。
そういうわけで、アイリーンが幾人かの侍女およびその他の使用人と暮らす邸に、フレヤが現れて天の月と太陽がしばらく巡ることもないうちに、このエルフと狼は朋となったのである。
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狼というのはしたたかないきものだ。事情により番と巣を失った―――まだ生きているが、こいつに、いやこいつと子育ては無理、と妻に巣から逃げられた愚鈍な雄だ―――フレヤにとり、アイリーンの朋となったことは大変な幸運であった。
さすがに邸の敷居の内への進入までもは許されないとして、こういったエルフの家の近傍というのは、狼にとり、天敵が近寄りがたく、反対に小賢しくたくましいネズミや小鳥、うさぎ、たまにヘビ、イノシシなんかが庭園の野菜を狙って集まる、住みやすいところである。
狼たるフレヤの匂いがそこらに満ちているというのに、小動物共ときたら、なんと愚かで、たくましきかな!
それらを糧とし、フレヤは番がいないことなどはものともせず、アイリーンの特別のはからいにより住まいとされた納屋を寝床とし、腹の子たちを育てていた。
これは、アイリーンにとっても幸いである。
フレヤの存在により、庭園の植物、野菜、その他もろもろへの獣害が皆無となったのである。
悪阻が盛んなる頃、悪阻によりまともに動物性食品を摂取できず、「熟す前の
その憎き害獣が、朋たるフレヤの糧となるのだから、鬱憤も晴れ、なんとなく誇らしく、気分の良いものであった。
かように持ちつ持たれつ、このエルフと狼の朋は、仲良く互いの腹の子、あるいは腹の子らを育てて暮らしているのである。
やがて秋も終わり、雪深き冬が終わる頃、1人と1匹は全く同じ日に子をうみおとした。それぞれ、1人と4匹であった。
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