第43話 放たれた番犬

 すこし弱まってきた雨の中を、シルバーのコンパクトカーが走る。乗車しているのは、レインと桐明だった。


 先ほど、桐明の私物を撃ち込まれたのを受けて、車の外観には厚めの水の膜が貼られている。レインの異能によるものだ。よく見ると、その膜はかなりの速さで流れて循環している。


 何かを撃ち込まれたとしても、その早い流れがいなす仕様だ。急流の中に物を投げ込んでも川底に沈む前に流れされてしまう。そんな形でダメージを軽減するのだ。


「もうすぐで、双雷区そうらいくの外れになります。空無区からなしくに入るために、双空橋そうくうばしを渡ります」


 レインは、貸し会議室で共有していた護送ルートどおりだと告げた。


 その時、車の天井や背後から衝撃音が鳴った。だが、車は問題なく走り続ける。


「やはり先ほどと同じように、遠隔で攻撃してきてますね。車には水の鎧のようなものを貼って、いなしているので大丈夫」


 そのレインの言葉に、桐明は安心した。


 その後も何度か、車に軽い衝撃があった。だが、甚大な被害を受けることなく、車は進んだ。そして、前方に巨大で長いトラス橋が見えてきた。


 トラス橋というのは、橋の両サイドを鉄骨で四角く組み上げ、その中に対角線上に筋違いの鉄骨を入れたトラス構造をいくつも並べて造られた橋だ。見た目には道の両脇に三角形が連なっているように見える橋だ。


 両サイドにあるトラス構造を、幾本もの鉄骨が繋いでいる。橋の直線を通ると上空に鉄骨が横縞のようになっている形だ。


 レインの車が、その橋の入り口付近に差し掛かった時だった。


 パンッ!という破裂音が鳴った。レインの運転する車が、突然、制御を失う。


 車が雨の路面の滑りやすさを受けて、一回転半ほど、回る。そして滑る。レインは、ブレーキを強く踏み、ハンドブレーキを思いっきり引く。そして、車にまとっていた水の鎧を操り、橋の入り口付近にある左側壁への激突を緩和させた。


 だが、和らげたとはいえ、車の後部が側壁に当たった。衝撃が、レインと桐明を襲う。車体が歪み、ベキバキと音を立てた。


「…………桐明さん、大丈夫ですか?」

「ええ。……な、なんとか」

「急ぎ、車から出ましょう」


 二人はなんとか、車から出た。薄曇りで弱い雨の中、二人は、巨大なトラス橋である双空橋の先を見た。この橋の直線道路を渡れば空無区だ。だが、車はもう使えなさそうだった。


 *


「ハガネさん、とりあえず桐明が乗っている車は止まりましたよ。双空橋のあたりっす」


 イーグルが、カーナビの地図を指差しながら、言った。


 彼の異能は、狙いをつけた相手に、手で持てるものなら何でも撃ち込むことができる。投げ捨てたものが、自動追尾ミサイルのように狙った相手に向かうのだ。


 狙いの付け方は、三つある。一つは、視界に相手を捉えている場合、これはそのまま狙う。次に、相手の私物で追跡させる場合だ。この場合は、相手や対象の位置情報がイーグルの脳内に地図として表示される。最後は、撃ち込んだものが触れたものを、さらにターゲットにすることだ。


 桐明を狙って彼の私物を投げたが、車に当たった。なら、車をターゲットに、攻撃する。ボウガンの矢を幾本も何度か放ち、車をパンクさせることに成功したのだった。


「じゃ、ウォッチドッグ、出番だ」


 ハガネの指示を受けて、ウォッチドッグは車を道路脇に停めた。車から降りると、彼は手に持った二個のダイスを振る。


 地面に転がったダイスは、一と三の目をそれぞれ示した。つまり合計の値は四だ。ウォッチドッグは、その二つのダイスを拾う。二個のダイスは彼の手の中に溶け込むように消えた。その瞬間、彼に変化が起きる。


 ハガネは車の中から彼の変容を見ていた。イーグルは、大きな鞄から鉄パイプを三本取り出している。ボウガンの矢と同じように異能を施そうとしていたのだった。


 *


「タブレット端末の入った鞄は無事ですか?」


 畳まれた傘を持っているレインは、事故った車の側で尋ねた。桐明は頷いて、左手に抱えていた鞄を示す。


「パンクさせられた車は捨てて行きましょう。もう少しでシャインのバイクが来るはずです。桐明さんはそれに……」


 話している途中に、上空から急接近するものを確認して、レインは別の言葉を放つ。


「車から離れてッ!」


 その声とほぼ同時に、ガキンと響く様な高い音が鳴った。そして、車の上には、角刈りでがっしりとした体格の男、ウォッチドッグが降り立ったのだ。その右手には鉄パイプが握られている。先ほどの金属音は、鉄パイプと車がぶつかった音だった。


 イーグルの能力で飛ばされた鉄パイプをウォッチドッグが掴んできたのだ。だから、飛んできた。


 ウォッチドッグは、桐明を見つけると襲いかかってくる。


「桐明さん、俺の後に」


 レインの言葉を受けて、桐明が背後にまわる。二人の背には双空橋。


 ウォッチドッグが振り下ろしてきた鉄パイプを、レインは持っていた傘で受ける。傘がすこし歪んだ。


「……くっ」


 レインは、鉄パイプを傘でいなす。ウォッチドッグの鉄パイプはアスファルトを叩いた。大きな音が鳴った。力比べでは敵わない。


 再び、上空から何かが車の上に落ちてきた。衝撃音がさらに二回鳴る。さらに二人の角刈りで体格の良い男が現れた。外見が全く同じ人物が三人。襲いかかってきた。


 レインは、焦りながらも逃げるのは無理と考え、三体のウォッチドッグに対して構える。


 その時だった。


 唸りを上げたエンジン音が鳴り響く。シャインのバイクが、三体のウォッチドッグの背後から跳ぶように現れた。そのうちの一体を派手にぶっ飛ばす。


 そして、アスファルトにタイヤを旋回するように擦り付けて、レインと桐明の近くで止まる。


「お待たせしました!」


 シャインが言った。


 彼女に吹っ飛ばされたウォッチドッグは、アスファルトの路面を転がり止まると、崩れるように消え去った。


 鉄パイプを持った角刈り男は、残り二体。


 シャインはバイクを停めて降りる。ヘルメットを外し、パイロットゴーグルを首に下ろした。視界を広げると、レインの横で構える。


 桐明は、雨男と晴れ女の背後に隠れるように逃げ込んだ。


 小雨降る中、シャインが先に仕掛ける。二体のウォッチドッグが反応し、鉄パイプが振り下ろされた。


 シャインは、その攻撃を高く舞うようにかわす。異能の力で跳躍したのだ。二体のウォッチドッグの背後を取った。


 一体がシャインの方に振り向いた瞬間。レインが操り集めた水のかたまりは、大きな水しぶきとなって二体を捉えた。すかさず濡れた服を使って拘束する。


 シャインは、動けなくなった一体へ渾身の右ストレートを打ち込んだ。吹っ飛んだその一体は、道路上を何回か跳ねて止まる。砂のように崩れ去った。


 桐明は、異能者のバトルを初めて見ていた。固唾を飲んで、心臓の鼓動が激しくなり、呼吸も浅く感じる。


 残り一体。


 シャインは、拘束されたウォッチドッグに向かって、上段回し蹴りを放った。吹っ飛ばされた先で、やはり崩れ落ちる。


「片付いたが……何かの異能で飛んで来た感じだったな。それに分身のような異能だった」


 レインの言葉に、シャインがうなずく。その時、赤い車が猛スピードでレインたちに向かって突進してきた。


 シャインは桐明を担ぐ形で、赤い車の突進をかわす。レインも間一髪で衝突を避けた。


 赤い車がアスファルトを焦がすような轟音を立てて停車する。空無区へ向かう橋の直線道路を塞ぐ形だった。


 金髪ロン毛の男、先ほどまで戦っていた角刈りの男、そして、中折れ帽を被った黒いジャケットの男が、赤い車から現れた。


 中折れ帽を被った男は鉄製のステッキを持っている。金髪ロン毛の男は鞄を左肩にかけていた。角刈りの男が、右手で二つのダイスを軽く上に投げた。


 目の前に現れた三人の敵。その先が空無区に続く橋の直線道路だ。


「どうやらこの先へ行きたいようだが、それは叶わない」


 中折れ帽を被っているハガネが言った。ウォッチドッグが振った二つのダイスは、五と六の目が出た。合計数は十一。彼がダイスを拾った。


 その途端、ウォッチドッグが十一体に増えた。道を通行止めとする様に立ちはだかる。


 小雨が止んだ。太陽はまだ雲の中に隠れている。

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