第30話 約束と誓い

 シミターを捕らえた翌日の朝、レインとシャインは事務所に出ていた。


 事務所の外は、曇っている。少しだけ雨が降っていた。レインは窓の外を見ながら、立ったままでコーヒーを飲んでいる。窓から見える駅前のロータリーでは、傘をささずに歩く人もいれば、傘を広げている人もいる。


「えーっと、犯人の異能は……」


 シャインは珍しく朝からPCに向かっていた。カチャカチャとキーボードの音が鳴る。事件が解決した後処理、つまり報告書作りをしているのだった。


 報告書を作ることは別にいいのだ。ただ、その後に待ち構えている、レインによるレビューが苦手だった。


 几帳面で神経質なレインが報告書をレビューすると、誤字脱字だけでなく、言葉の選び方に使い方、客観性やらなんやらといろいろ指摘してくるのだ。シャインは、それらを直すのに毎回苦労する。いちいち細かいのだ。レビューは三回で通れば良い方だった。


「シャイン、今日は十一時から昼休みにするぞ」


「へ? なんでですか? 一時間も早いですよ」


「城京苑の焼肉ランチを奢る約束をしていただろ? あの店は平日ランチでも長蛇の列ができるから、一工夫必要だ」


 奢るというキーワードで、シャインの目が輝いた。こないだのビル崩壊現場でした重労働の対価を、確かにまだもらっていない。


「城京苑は十一時半開店なんだが、十一時に店の前に順番待ちのウエインティングリストが置かれる。そこに書いた順番でテーブルに案内されるから、早めに書いておかないとかなり待たされることになるんだ」


 レインは説明した。


 城京苑は老舗の焼肉店というのもあるだろうが、デジタル化なんて知らんという店の運営方針だった。だが、値段の割に美味しい肉を提供すると知られた人気店なのだ。


「そういうことですか。わかりました」


「俺が先に行ってリストに書いておくのでも良い。事務所で報告書を書いているか?」


 その言葉を聞いたシャインは、露骨に嫌そうな顔をした。口を尖らせている。


「まぁ、わかった。じゃ、一緒に行くか」


 

 十一時になった。


 レインとシャインは、早めの昼休みということで席を立つ。事務所の傘置き場には、レインの傘があった。廃倉庫での事件の際に燃やされてしまった傘と同じもの。


「やっぱり同じ傘を買ったのですね」

「ああ。家にも同じ物がある。こいつは置き傘だ」


 シャインは、さらに三本目があるか気になったが、黙っておく。きっと買っているに違いない。店員や人目を気にして、オンラインで注文したんだろうなとも思う。


 今日一日、小雨がパラつく曇りの天気予報だった。雨男と晴れ女は、傘を持たずに事務所を出る。二人にとっては、雨が降らない予報に等しいからだ。


 シャインは異能で、濡れた髪や服を瞬時に乾かす。レインは異能で、雨粒が自らに当たらないように操る。なので、小雨なら傘は要らないのだった。


 徒歩で五分くらいのところに、焼肉屋『城京苑』はある。少し古い建物の二階が店舗だ。順番待ちのウェイティングリストが置かれるのも店舗入口がある二階。二人は、階段を上がっていく。すでにリストには二組書き込まれていた。リストの三番目に、「雨宮」と書き、人数は二名と記する。


 開店までは、まだ時間があった。


「事務所に戻っても中途半端だな。ちょっと時間を潰そうか」

「そうですね」


 二人は城京苑の近くで、レンガ道に置かれているベンチに来た。シャインは気にせず座る。濡れてもすぐ乾くから。レインはベンチの側で立ったままだった。


「少しは……希望が持てたか?」


 レインは、静かに尋ねた。


「……はい。あの道化師ジョーカーさんが……姉かもしれません。だとしたら、やっぱり、私と同じなんですよね……。異能に目覚めてしまったんだろうなって」


 シャインは、急に姉と皆を失った日を思い出して、苦しそうな顔を浮かべた。


「あの道化師は、確かに異能者だ。そして、何かわからないが『灰の財団』というのに復讐しようとしているようだ」


 レインは落ち着いた声で言った。


「確かめたいです。……道化師ジョーカーさんが、涼風すずか姉さんなのか、確かめたいです」


 ベンチに座っているシャインは、レインを見上げて言った。


「ああ。わかった」

 そう言った後、レインはシャインの顔を見て、続ける。


「あの時の約束は変わらない。その時が来るまで、俺はお前の相棒だ。独りじゃない」


 その言葉を聞き、シャインはうなずいた。そして応える。


「……はい。私のあの時の誓いも変わりませんよ。太陽は泣きません!」


 レインは、拳を突き出した。シャインはそれに自分の拳を軽く当てる。グータッチだ。そして、彼女はいつものような笑顔になった。


「そろそろ、頃合いだな。焼肉ランチを楽しもうか」

「ですね。奢りだから、たくさん食べないと!」


 二人は城京苑へと向かった。小雨は止み、少しだけ雲の隙間から陽が差した。それが、並んで歩く二人の淡い影をレンガ道に映し出していた。


 *


 十一時二十五分。


 城京苑は開店直前にも関わらず、店舗のある二階へと続く階段が列で埋まっていた。


「ふわぁ。やっぱり大人気ですね」

「だろ?」


 通行のために開けられた階段の片側を上がっていく。上がりきったところで、「雨宮さん二名様、いっしゃいますか?」と店員の声が上がった。レインが手を挙げながら応じる。


 二人はテーブルに案内された。ランチメニューを眺める。中年女性の店員がオーダーを取りに来た。


「俺は、肉大盛り・ご飯普通の焼肉定食で。あと、小鉢のキムチはもやしのナムルに変更をお願いします」


「あ、私は、肉大盛り・ご飯大盛りで!」


「はいよ。盛りと盛り盛りね。で、お兄さんは辛いのが苦手と」と店員は威勢よく注文を取った。その後、若い店員にテキパキと指示を出しながらも、レインたちのテーブルに埋め込まれている網に火を入れる。


「なんか、見ているだけで元気になるおばちゃんですね」


 シャインは楽しそうだった。レインもうなずく。


 やがて、肉やご飯、スープに小鉢が運ばれてきた。肉のボリュームにも驚くが、ご飯はそれ以上だった。レインが頼んだ普通盛りが、一般的な大盛りだろう。シャインの元に届いた大盛りご飯は、さらに上をいく量だった。スポーツ系部活動の男子向けの量だった。

 さらに、おばちゃん店員が告げる。


「お嬢ちゃん、きっと辛いもの好きでしょ? キムチもサービスね」


 と小鉢をもう一つ置いていった。おばちゃん店員の直感恐るべしと、レインの顔がすこしひきつる。


「うわぁ、ご飯もキムチも想定外」


 シャインは驚いていた。


「とりあえず、アドミラル建設脅迫事件の解決を祝おうか」

「はい! お疲れ様でした。いただきます!!」


 じゅう、じゅうと焼き肉が焼ける音。その音と一緒に広がる食欲をそそる匂い。

 特製の焼き肉のタレは、市販のものとは一線を画していて、箸が進む。

 

「美味しいですね!」


 シャインは次から次へと肉を焼いていく。異能を使っているのではと思うくらい、箸さばきが早かった。それに対して、レインは静かに食す。

 そして、二人共、すべてをたいらげた。


 焼肉を堪能した二人は満足し、お茶を飲みながら一息ついている。


「このボリュームと美味しさで、この値段って破格ですね」

「だよな。平日でも行列ができるのはわかるよな」


「ところで、シャイン」

「はい。何でしょう?」


「俺は奢る約束は果たしたから、誓ってもらおうか?」

「えっ? 何をです?」


「今日中に、報告書を仕上げるってことだよ」


 それを聞いたシャインは、レインからの視線を避ける。そして、渋々応えた。


「……は、はい。あの……が、がんばります」

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