第4話 曇りのち晴れ

「……曇ってるので、ダメですね」


 シャインが窓の側で言った。ブラインドを上げたが、差し込む光は弱い。出窓のところに座って外を眺めている。カジュアルな服装で、首元にはパイロットゴーグルをかけていた。


 廃倉庫での事件の翌日だった。ここは、レインとシャインの事務所だ。


「まぁ、今日は一日、事務処理だから。昨日の事件についての報告書は、俺が書くよ。あとでレビューを頼む」


 レインが、パソコンのキーボードをカタカタと叩きながら言った。ディスプレイは三つもある。今日も彼はスーツ姿。室内で上着は脱いでいるが。


 レビューとは、内容の確認だ。もちろん、誤字脱字のチェックも含まれる。レインが作る報告書は毎回ほぼ完璧なので、シャインは楽だった。


 これが逆になると、シャインはひたすら報告書を直すというハメに陥るのだ。いちいち細かいのだ、この人は。


 そこそこ広い事務所だが、職員は三人。とはいえ、残りの一人は滅多に顔は出さない。


 五階建てのビルの三階がレインたちが所属する特殊人材派遣会社「ウィル」 の事務所だった。だが、看板は出していない。現在、二人が関わっている仕事の関係で、長期的に借りている場所に過ぎない。


 ひとことで言うなら、前線基地だった。


 関東の特別政策指定都市である「女神ヶ丘市」。九つの地区に分かれるこの市は、次世代の日本を担う産業や文化などを産み出す目的で特別扱いを受けている地域だった。少子高齢化が急速に進む日本において、企業、大学、行政が密に連携を取り合って他国に負けない発展を遂げるためのモデル都市なのである。


 この十年余りの間に、大手のIT企業や製薬会社などを誘致し、大病院や大学など社会インフラを充実させてきた。女神ヶ丘市は、未来の日本と言われるほどになっている。


 だが、急速な発展で生じた歪みは未だ正されることなく、昨晩の様な事件が起こる。


 市の中心にある第一区の「女神区」には、女神ヶ丘駅があった。二本の私鉄が交わるこの駅のまわりは、お洒落な街として有名だ。その駅前ロータリーに隣接したビルの三階にレインたちの事務所がある。

 ちなみに一階と二階は本屋「富士屋書店」。老舗の本屋だ。


「今日は、スキャンゴーグル忘れなかったんだな。昼からは晴れるそうだから、昼食後は散歩してきてもいいぞ。残量ないだろ?」

 それを聞き、シャインは目を輝かせた。


「はい。……十二パーセントですね。では、午後は外回りで。お天気次第ですけど、ちゃんと事務所には戻ります」


「あ、くるみベーカリーの激辛カレーパンとチョコクロワッサン・ダマンドを注文しておくから、ついでに帰りに受け取ってきてくれ」


「えー、お使いですか?」


「昨日、奢れって言ってただろ? いらないのか?」


「いります! って、チョコクロワッサン・ダマンドはレインさんの分ですよね。結局、お使いじゃないですか」


 レインは携帯端末をいじって、パンのオンライン注文を行った。常連だが、念のため注文の連絡欄に受け取りは陽向ひなたが行うと記入した。陽向はシャインの本名の名字だ。


 女神ヶ丘の老舗パン屋「くるみベーカリー」は、早ければ半年で店が潰れるという競争の激しいこの界隈で、長年生き残ってきた。現在は二代目が切り盛りしていて、繁盛しているパン屋だった。

 辛党のシャイン、甘党のレイン、どちらにも贔屓ひいきにされている店だった。


「そーいえば、レインさんのお気に入りの傘、燃やされちゃいましたね……」

 言われたレインの、キーボードを打つ手が止まった。ひどく落ち込んだ表情になった。


「同じもの、ウォーターサイドなら売っていると思いますよ」

 シャインは慰めるように言った。


 ウォーターサイドは、女神ヶ丘駅近くにある有名な傘専門店だ。少々狭い四階建てのビル全てが売り場で、あらゆる傘を売っている。シャインは、お洒落な傘以外にも、持ち手の部分が剣の柄になっているものや銃身になっているものも売っていたのを思い出す。男子中学生が買いそうだなと思った記憶がある。


「……売ってるよ。そこで買ったんだから。……また同じものを買って、店員に変に思われないかな」

 それを聞いて、シャインは呆れた。


 そんなことをシャインは気にしたこともないからだ。ついでに言えば、よく傘を置き忘れるから、よく買い直す。さらに言えば、異能を使うと雨に濡れることはまずないのだ。些細な問題すぎる。


「……。まぁ、新しい別の傘でもいいかもですね」

 シャインは、どうぞご自由にと適当にあしらうことにした。


 *


 外での昼食後、シャインは遊歩道のベンチに腰掛ける。お昼を過ぎて、天気予報通りに太陽が顔を出していた。暖かい日差しが心地よい。


 静かに力がみなぎってくることを感じる。


 ひなたぼっこは、シャインにとっては大事な日課、ルーティンなのだった。なぜならば、彼女の異能は太陽のエネルギーをその身体に蓄積しておけるものだからだ。昨晩の脅威的な身体能力は、この異能によるものだった。


 ひとことで言えば、彼女の異能は『太陽電池』なのだ。


 あまりの心地よさに、シャインは寝落ちしそうになっていたが、お使いを頼まれていたことを思い出す。


 こうなることをレインに予想されていたかもしれないと思いながら、十分に充電できたことを確認して、ベンチから立ち上がった。


「くるみさんの新作パン、あるかな?」

 シャインは老舗パン屋へ向かうことにした。

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