第8話『冥王竜との死闘』

 








「–––––なっ?!」


 突如として視界から消えたバハムートが、気付けば眼前に立ち殺意と共に黒剣を振り下ろしていた。


 –––––


「–––––クソったれッ!!!」


 バハムートの攻撃をまさに紙一重で避け、すかさず攻撃を仕掛ける。


 –––––が、バハムートは後ろに大きく跳躍して距離をとった。


 (……確実に殺すヒットアンドアウェイ、か)


「今のも躱すか、さすがに手強いな……。どれ、少し本気を出すとしよう」


 バハムートは宣言通り、その魔力を高めていく。


 黒く禍々しい稲妻が地を走り、次第に空は暗雲に包まれていく。


 大地は震え、森にいる全ての生命はその強大な力を感じ取り、悲鳴を上げるかのように逃げ出す–––––。


「–––––見るがいい、これが竜王の力よ」


 天から暗雲が降り立ち、バハムートの体を呑み込む。

 暗雲は次第に膨れ上がり、雷が激しさを増す。


 そして轟音を轟かせながら弾けた暗雲から、巨大な漆黒の竜が姿を現した。


「ははっ、冗談……だろ」


 たった1人の子供を殺すために–––––。


「グォォォガァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」


 その凄まじい咆哮により、またもや大地が軋む。


 これから起こる惨劇と終焉を告げるかの如く、天地すらも恐怖で歪む程の圧倒的な存在。


 これが、冥王竜。


 “竜王”の力。


 バハムートが巨大な翼を打つと、森が吹き飛ばされるほどの豪風が駆け抜ける。


 リュウは咄嗟に奇跡の箱ミラクルボックスから『龍極剣 オルシオン』を呼び出す。


 魔方陣から現れたその刀をすぐさま抜刀し、地面へと突き刺した。


 だが、それだけでは小さな身体で踏みとどまる事などできない。

 土魔法で壁を何重にも形成し、さらに地面と身体を一体化させ衝撃に耐える。


「ックソ、がぁぁぁぁぁぁ!!!」


 –––––リュウは叫んだ、体に纏わりつく恐怖を打ち払うように。


 何重にも形成した壁はかろうじて耐えたが、バハムートはただ翼で風を起こしただけだ。


(このままじゃダメだ……勝負にすらなってないッ!!)


 その事実に己の無力さを痛感し、怒りすら覚える。


 豪風が吹き抜けたのを確認し、すぐさま反撃に転じる。


「喰らいやがれぇぇぇぇぇぇ!!!!『シャイニング・ブラスト』ォォォォォォォォ!!!!!!!」


 リュウが使える魔法の中で最も高い威力を誇る光聖級魔法、『シャイニング・ブラスト』。

 一度に放つ魔力の消費量がかなり多く、魔力を込めるのにも少し時間がかかる上に、無詠唱で使用するのにもコントロールが非常に難しい魔法だ。


(–––––クソッ!! 馬鹿にしやがって!!)


だが、その分だけかなり自信のあった魔法だ。


 しかしバハムートは動かない、この魔法を受け切るつもりだ。


 その強者の余裕に、腹の底から怒りが湧いてくるッ!!


「……だったら耐えてみろよ、バァハムゥゥゥトォォォッッッッ!!!!!!」


 暴れ狂う魔力を押さえつけ、バハムートに向けて解き放った。


 –––––瞬間。

 目の前で不規則で巨大な白の魔法陣が現れ、回転し始める。

 その回転はだんだんと激しく速くなり、魔法陣は光の輪になった。


 –––––衝撃。

 轟音と激しい光を放ち、光の輪から巨大な砲撃が放たれた。

 その光は大地をえぐりながら、バハムートの巨大な身体に迫った。


「ガァァァァァァ!!!!!!!」


 –––––直撃。

 漆黒の鱗を纏った巨大な身体に凄まじい衝撃がぶつかり、バハムートを退ける。


 大地はひび割れ砕け散り、その衝撃波により森はさらに吹き飛んでいく。


「ウォォォォォォラァァァ!!!!」


 リュウはさらに魔力を込め、『シャイニング・ブラスト』の威力を増していく。


 ついにはバハムートを吹き飛ばし、激しい閃光と爆音を響かせた。


「–––––はぁ……はぁ……ッ!!」


 手応えのあった一撃だったが、あれではバハムートは倒せない。

 それでも確実にダメージは与えたはず。


(くそ、チャージが足りない……。アイツを倒すには、もっと時間をかけて魔力を練らねぇとッ!!)


 本当に忌々しい、魔法で防御もせず攻撃もしてこない。

 呆れるほどの理不尽、身体の震えが止まらない。


(何よりも自分自身に腹が立つッ!! 竜王相手にまともに戦えてない俺自身に–––––ッ!!)


『–––––リュウ。……リュウ、聞こえますか!』


 突如として聞こえてきた、覚えのある声。

 毎晩夢の中で聞いてきた、最も信頼している人の声。


「–––––女神っ?!くそ、 ついに幻聴まで聞こえてきたか……」


『幻聴なんかじゃ無いですよッ!! 自分の指を見てください!!』


 そう言われて視線を落とすと、光の指輪が淡い光を放っていた。


『私は今、光の指輪を通してあなたに語りかけています。聞こえますか?』


 そう心配そうに語りかける女神の声は、少し暗い。


「あ、あぁ……でも、どうしてそんなことができるんだ?」


『光の指輪には、私の力の一部を使って作ったんです。今は詳しい説明をしてる場合じゃなさそうです!!』


 女神に諭され、今が生死を賭けた戦いの真っ最中だと言うことを思い出す。

 女神の声に安心したのか、油断しきっていた。


『リュウ、ただ闇雲やみくもに威力の高い魔法を使っていては、バハムートには勝てません! 戦術を編み、戦略を立てて戦うのです!』


 –––––焦燥に駆られ、視野が狭くなっていた自覚はあった。


 しかし、それを仕方ないと思っていた自分もいた。

 理不尽な力を前に、どうして良いか分からずただがむしゃらに戦っていた事に。


(–––––なにやってんだ、俺はッッッ!!!)


 それを諦めてないって言えるのか?

 覚悟を決めて抜いたはずの心の剣は、決して折れてなどいないと、そう言えるのか?


 –––––否。


 絶対に勝てない、心のどこかでそう決めつけてた。

 だから作戦もクソも無い戦い方で、ただ無謀な賭けに出てただけだ。


「……ありがとな、おかげで目が覚めた」


 落ち着け、全く攻撃が通用しない相手じゃ無い。

 勝機はある、必ず勝てる、勝てない相手じゃ無い。


『……落ち着きましたか?』


「あぁ、もう大丈夫だ! –––––それにしても、なぜ奴は出てこないんだ? いまだにあの煙の中に隠れてやがるが……」


 先ほどの攻撃で土埃が舞い、バハムートはその中から出てこない。

 龍眼はバハムートの魔力をしっかりと捉えている、心臓は早鐘を打ち続け、本能は警笛を鳴らしている。


『おそらく、こちらの出方を伺っているのでしょう。とにかく、作戦を立てるなら今のうちです』


 この人の声は、本当に落ち着く。

 こんなにヤバい状況でも、無条件で勇気が湧いてくる–––––。


 再び覚悟を決め、決意を固める。


 –––––絶対に勝つ、たとえ可能性が低くても0なんて有り得ない。


 リュウの瞳に再び火が灯る、今度は決して消えることのない決意の炎が–––––。


『安心してください、私も一緒に戦いますよっ! と言っても出来ることはサポートぐらいなんですが……。それでも役に立ちますとも!!』


 女神がそう言った直後、光の指輪が青く光りリュウの身体は光に包まれていく。


 それと同時に、今まで感じたことがないほどの力が湧き上がってくるのを感じた。


「す、凄いな……魔力が高まってる?」


『指輪を通して授けられる私の力はほんの一部なのですが、これでも十分戦えるはずです! あまり力を込めすぎると指輪が耐えきれないので……』


 リュウは自身の力の向上に驚き、目を見開く。

 それ程までに力に満ち溢れ、魔力が充実しているのだ。


「……これなら、奴を倒せる」


 –––––勝てる。

 そう確信した途端、心に余裕が出来たのを感じた。


 もう焦りはしない、恐怖には飲まれない。


『先ほどのシャイニング・ブラストは、ダメージを与えれたはずです。ですが、致命傷ではないでしょう。あれ以上の攻撃ができますか?』


「一応は……。けど、魔力を込めるのに時間がかかりすぎる。なんとかして隙を作らないと……」


 問題は時間がかかりすぎることだ。

 バハムートを倒せるだけの攻撃をするなら、それなりに時間をかけなければいけない。


『そこをなんとかするのが、戦術です。あなたは今までに何を教わってきましたか?そして、何をしてきましたか?』


 ……そうだな。

 冷静に考えてみよう。


 まず、バハムートを倒すには時間をかけて魔力を込めなければならない。

 そして、そのためには時間稼ぎをしなければいけない。

 俺にできるか?

 ……やるしかない。


「わかった、やってやろうじゃねぇか」





––––––––––






 リュウは風魔法『ウインドスラッシャー』を放ち、土煙を払った。

 そこには、人の姿になったバハムートがいた。


 いくらバハムートとは言え、あれ程の魔法を喰らっては危険だと判断したのだろう。

 竜王の姿では的が大きくなるだけと考えたようだ。


「今のはさすがに効いたぞ。なかなかの魔法だったが、我を倒すことはできないようだな–––––ふむ? 貴様が纏ってるその魔力……なるほどな」


 バハムートは覚えのあるその魔力に、かつての記憶を朧げながら思い出した。


 そして思う–––––なるほど、と。


(そうか、この魂……。少しだが思い出したぞ、今日が約束の日なのだな)


 –––––200年前に交わした、かつての約束。

 闇の龍神の支配に抗えと命令してきた、愚かでうるさい女神の顔を思い出し、今この時が誰よりも待ち望んでいた瞬間なのだと確信する。


「–––––さぁ、貴様らの力を見せてもらうぞッ!!」


 バハムートは虚空から禍々しい黒大剣を召喚し、凄まじい速度で斬りかかる。


 黒炎を纏った大剣を振り下ろすが、それはリュウが召喚した『龍極剣 オルシオン』により地へと受け流された。


「–––––クソッ! 無詠唱であんな魔法を付与できるのかよッ!!」


 かろうじて反応できたものの、リュウの額には冷や汗が流れている。


 ただ受け流しただけで手は痺れ、ひび割れた地面と地を走る黒炎に死を感じていた。


「–––––ふむぅ、今のもかなり自信のあった攻撃なのだがなぁ……」


 リュウはバハムートの言葉を無視し、すぐさま魔力を手に込める。


「『ブリザードストーム』」


 リュウの魔法により辺りに猛吹雪が発生し、2人の姿を一瞬で飲み込んだ。


「次はこいつだッ!『ディープミスト』ッ!!」


 今度は2人の周りを、深く濃い霧が覆う。

 猛吹雪がバハムートの視界を奪い、魔力を込めた濃霧が感覚を奪う。


「たしかに、これなら魔力感知も使えぬか。竜王の姿にさせて攻撃を確実に当てる策なのだろうが、その手には乗らん–––––ッ?!」


 リュウは龍眼を使い、バハムートの位置を感知していた。

 視界の遮られた空間から一気に斬りかかる。


 不意をついた一撃は躱されたが、それも予想通り–––––。


「–––––唸れッ!!『炎龍』ッ!!」


 火聖級魔法『炎龍』。

 リュウが使える火魔法で最も威力が高く、その名の通り燃え盛る紅蓮の炎が龍の如く対象を燃やし尽くす。


 さらに女神から受けた加護により、その威力は通常よりも遥かに威力を増している。


 流石のバハムートでも、まともに喰らえば無傷では済まない。

 そう判断したバハムートは、すかさず黒大剣で防御体制をとった。


 『さぁ! 今のうちです!!』


 無詠唱で次々と放たれ続ける魔法に、バハムートは受け身を取り続けるしかない状況。


 この隙にリュウは『シャイニング・ブラスト』のチャージを始める。


(–––––無詠唱で同時に魔法を使ったことはあるが、流石にチャージしながらはキツすぎるッ!!)


 膨張する魔力を圧縮させ、また膨張してきたら圧縮。

 それを他の魔法を連射しながら何度も繰り返す、そんな規格外の魔力操作など普通の魔法使いが聞いても信じようとはしないだろう。


 –––––そんなことができるのは、神だけだ、と。


「グオォォォォッ!! 粉砕せよッ!『混沌の大剣カース・ブレイド』ッッ!!!」


 –––––突如として爆ぜる空間。


 バハムートの放った一撃が大爆発を引き起こし、黒い光が辺りを染め上げる。


 その爆風により猛吹雪も濃霧も掻き消され、再びバハムートに視界を取り戻させてしまった。


「……小僧、覚悟はできているのだろうな?」


 バハムートの憤怒の表情に思わず恐怖で喉を鳴らしてしまう。

 向けられた殺意は質量すら感じさせ死を覚悟させるほどであった。


 –––––だが、あと少し。

 あとほんの僅かでバハムートを倒せるほどのチャージが完了する。


 その僅かの時間をどうやって稼ぐか……。

 リュウの思考はさらに加速し、絶対強者を前に抗う術を模索し続ける。


(もう視界を塞いだところで薙ぎ払われて終わりだ! かと言ってこれ以上魔法で攻撃し続けても、その分チャージが遅くなる! あと少しなのにッ!!)


 そんなことを考えている間に、バハムートは一気に距離を詰める。

 その攻撃にはもはや手加減など完全に無い、死を直感させるほどの殺気を帯びた一撃がリュウへと振り下ろされる。


「–––––クソったれッ!! 『ウィンド・ブラスト』ッ!!」


 リュウは咄嗟に風魔法で真横へと吹き飛び、バハムートの攻撃を寸前で避けた。

 しかし、バハムートはそれも予測していたかのように黒大剣による斬撃を飛ばしてきた。


「––––––––––ッッッッッッ?!!?!」


 すぐさま風魔法で回避を試みる、が。

 元々が寸前で避けた攻撃、それに加えてバハムートの斬撃はそれを予測して放たれたもの。

 

 –––––その攻撃を空中で、さらに無理な体勢で避けられるはずもなく。

 風魔法を発動させる為に地面へ向けた左腕が、気付けば宙を舞っていた。


 加速する思考の中で、ゆっくりと認識してしまう。

 あの腕は自分の物で、バハムートの攻撃を完全に避けることができずに斬られてしまった。


 そう考えるとすぐに激痛が走り、脂汗が額に滲み出る。

 何が起きたのかなど理解したくも無い、だが理解してしまう。


 だがそれでも–––––。


「お、俺の……勝ちだぁぁぁぁぁぁあッ!!!」


 死に物狂いで突き出した右腕、その先にある今すぐにでも爆発しそうなほどの膨大な魔力の塊。


 それは何重にも幾何学な魔方陣を生み出して重なり、激しい閃光と雷鳴を轟かせ、轟音と共に放たれるッ!!


「喰らいやがれぇぇぇぇぇッッッ!!! 『シャイニング・フル=ブラスト』ォォォォッッッッッッ!!!!」


 –––––粒子を帯びた閃光がバハムートへと駆けるッ!!


 触れる物全てを破壊し尽くすほどの膨大な魔力の塊が眼前へと迫り、バハムートはほんの一瞬だけ思考が停止する。


 (–––––魔力を溜めていたのには気づいていたが、まさかこれ程とはッ!!)


 失敗したッ! 光の龍神の力を甘く見ていたッ!!

 光の龍神といえど所詮は人間の子供だと、完全に油断していたッ!!


「–––––クッ!! 『カオス・ブラスト』ッッッ!!!」


 一瞬反応が遅れたが、バハムートも最大威力の魔法で迎え撃つッ!


 両者の渾身の魔法がぶつかり合い、空間が軋みひび割れるッ!!


『–––––リュウ! 負けないでっ!!』


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおッッッッ!!!!」


「ぐああああぁぁぁぁあああああッッッッッッ!!!」


 斬られた左腕から血が噴き出し、視界が眩む。

 突き出した右腕は激しい魔力のぶつかり合いに耐えようと震え、骨が軋む音が聞こえる。


 だが激痛に喘ごうとも、決してリュウの瞳に灯った炎は消えようとはしない。

 一歩、また一歩と大地を踏み締め、バハムートの魔法を押し退けるッ!!


「バ、ハ……ムゥゥゥトォォォォォォォ!!!!」


 –––––直撃。

 リュウの放った『シャイニング・フル=ブラスト』がついにバハムートの魔法を貫き、その身体ごと光が包み込んだ–––––。









 –––––





「はぁ……はぁ……」


 リュウが放った魔法は、地形を変えた。

 森だったはずの場所には巨大なクレーターができ、木々は消し飛び大地は抉れ、空からは雲が消し飛んだ。


 力無く地面へと倒れ込み、自分の腕を横目で見る。

 左腕からは血が流れ続け、右腕は今の魔法の反動で消し飛んでしまったようだ。


 –––––既に痛みは無く、段々と意識が薄れ遠のいていくのを感じていた。


『–––––リュウ! 目を覚まして!! い、今助けます!!』


 女神の焦燥と悲しみに駆られた声が脳裏にうっすらと響く。


 心臓の音もゆっくりと遠のき、意識が深い海に死んでいくようだ。


「–––––冗談……キツい、ぞ……」


 消えかかる視界のその先に、薄らと映る影。

 土煙の中から姿を現したその男に、思わず世界を恨むほどの絶望を感じる。


 –––––バハムートは、まだ生きている。


 あれ程の魔法を受けてもなお、バハムートはまだ立っていた。

 手には砕けた黒大剣を力無く垂らし、身体中が血で滲んでいる。

 その様子から、かろうじて耐え切ったのだと伺える。


『–––––そ、そんな……あれを受けてもまだ生きてるなんて……』


 女神もまた同じ気持ちだった。

 大陸すらも容易に消しとばしてしまうであろう威力の魔法を真正面から受け、尚も不敵な笑みを浮かべて立っているではないか。


「–––––無様だな、我も貴様も……」


 バハムートは満身創痍のリュウと己の身体を見て、冷めた顔でそう呟いた。


 せっかく出会えた好敵手との戦いも、最早これまでか。

 目の前で消えゆく命に、残念だと感じた己に少し驚く。


「なかなか楽しかったぞ、貴様ら。–––––では、な」


 踵を返し背を向け歩き出すバハムートを横目に、リュウの瞳に灯っていた炎は次第に消えてゆく。


 リュウの脳裏には走馬灯がよぎり、今までのことを思い出していた。


(俺は……ここで、死ぬのか……)


 前世で死んで女神と出会い、この世界にリュウ・ルークとして生まれたこと。


 そして初めて自分のことを大切にしてくれた家族と出会い、シロと出会った時のこと。


 女神と共に夢の中で、毎晩のように過ごしていた日々のこと。


 妹ができ、守りたいものが増えた。


 守りたいもの、大切なものの為に強くなることを目標にしてきた。


 (シロ……母さん……ごめん)


 もはや身体の感覚など何も残って無い。


『–––––リュウ、諦めないでっ! を使ってください!! 急いでっ!!』


 気力が抜け落ちたリュウには、女神の声も既に届いていなかった。

 ただただ横目に、バハムートが過ぎ去っていくのを見ていることしか–––––。


「–––––お、い……。待てよ……」


 –––––気づいてしまった、バハムートが過ぎ去っていくその方向とその先にあるもの。


 自分が今の今まで必死で守ろうと抗ってきたものが、その先にあること。


 –––––シロたちがいる大洞窟があることを。


「てめぇらは、どこまで……。俺の大事なもんをッ!! 傷付ければ気が済むんだぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 皆んなで平和に暮らしてきたここでの生活も、自分のことを愛してくれた父親も家族もッ!


 (–––––させねぇ!! 絶対にさせねぇッ!!!)


 リュウの瞳に再起の炎が宿り、両足で地を踏み締め奮い立つ気力が漲る。

 

 彼を再び立ち上がらせたのは気力でも生命力でも無い。

 大事なものを奪おうとした者への純粋な怒り、それが今のリュウを突き動かす原動力。


 生まれて初めて感じた激しい憎悪と怒りが、リュウの身体と心を蝕んでいく。


『–––––ごめんなさい、リュウ……』


 それは女神が自分の力によりリュウに見せた、最悪の未来。

 バハムートが大切なものを蹂躙する様だった。


「–––––【暗き冥界より招かれし闇よッ! 業火の如く怒れる死よッ!! 我の命を持って汝の敵を地獄へと誘え】ッッッ!!!」


 突如として虚空へと現れた漆黒の魔方陣が空間を歪ませ、膨大な力を蓄えていく。


 空は暗雲に包まれ、大地は死への恐怖にただ震え、生きる者全てが絶望に染め上げられていく程の魔力とは別のが、いくつもの漆黒の魔方陣を生み出し膨れ上がっていく。


「–––––クッ!! まだこれほどの力がッ!!!?」


 バハムートすらも死を直感し、すぐさま迎撃体制を取る。


 術者が死ねばこの魔法も止まる、そう考え魔力を込めた。


「–––––なんだとッ?!」


 しかし魔力はすぐに霧散し、まるでリュウの作り出した魔方陣に吸い尽くされるかのように消えてしまった。


『–––––無駄ですよ、バハムート……。この魔法は周りにある全ての魔力を吸い尽くし、術者の生命力すらも魔力へと変換させる禁忌の魔法。貴方ではもう、どうすることもできません……』


 女神のその祈るような声は、誰の耳にも届かない。


「–––––これで終わりだ、バハムートッ!!【深淵の怒りよッ! 今ここに顕現せよッ!!】『死之怒ヴァニッシュ=メント』ッッッ!!!」


 –––––瞬間。


 リュウの身体から全ての魔力と生命力が奪われ、闇がバハムートとリュウを飲み込み–––––爆ぜた。


 【深淵魔法 死之怒ヴァニッシュ=メント


 辺り一面の魔力だけではなく、術者の全ての生命力と魔力を吸い尽くして発動する禁忌の魔法。

 

 かつて闇の龍神がその配下たちを贄に、世界各地で発動させ滅ぼした自爆魔法である。


 その威力は絶大、まさに神をも殺す一撃である–––––。






 –––––





 「–––––リュウ。起きてください、リュウ」


 ……この声、女神?


 目を覚ますと、見慣れた空間にいた。

 俺の顔を覗き込むように、女神が優しく微笑んでいる。


「–––––女神様の膝枕なんて、バチが当たりそうだな……」


「–––––ひゃんっ?!」


 柔らかく肌触りのいい太ももを撫でると、バチンッと顔を叩かれた。


 死ぬ気で頑張ったんだから、少しくらい褒美として貰っても良いじゃないか……。


「まったくもう! 油断も隙もないんですからっ!」


 ぷりぷりと怒る女神、まじ可愛いっ!


「……ごめん、死んじゃったみたいだな」


 この空間にいるということ、そして目の前に女神がいることが何よりもそう確信させた。


 –––––俺は死んだのだ。


「–––––えぇ、そうですね。たしかに、貴方は死んでしまいました……」


 ポツポツと俺の顔に何かが落ちてくる。

 ふと顔を上げると、女神が顔をぐしゃぐしゃにするほど涙を流していた。


「おいおい、なんで泣いて–––––っ?!」


「–––––私、貴方に嘘つきました……。あの魔法を使ったら、貴方は死んでしまうっていうのも分かってて使わせました……」


「なんだ、そんなことか……。そんなの、あの魔法を教わった時から知ってるよ。だからこそ、まだ使いたくなかったんだけどな……」


 俺がそう言ってカラカラと笑うと、女神は力なく首を横に振る。


「今度は……私の分まで生きてくださいね……」


「–––––なに、言ってんだ……? おい、やめろ!! 俺はそんなこと望んじゃいないッ!!」


 女神が何を考えているのか、すぐに理解してしまった。


 この女神が自爆魔法を使わせて、俺と闇の龍神を共倒れにさせるはずがない。

 何らかの細工をしていることを疑うべきだった。


「–––––俺の代わりに死ぬなんて……そんなの許すわけねぇだろ……ッ!!」


 俺の手を優しく包み込み、微笑みながら女神は言った。


「いいえ、もともと私はこの世界には既にいない存在なんです……。この身体は私の魂の残滓、残りカスなんですよ……」


 そっと優しく俺の頭を撫でながら、女神は笑う。


「自分を恨まないであげてくださいね。貴方は、とても強い人なんですから……」


 恨むに決まってるだろ、許せるはずないだろ……。

 俺がもっと強ければバハムートにも負けなかったし、みんなを守ることだってできたッ!!


「俺に力があれば……あんたを死なせずに済んだんだ……」


 大粒の涙を流しながら泣き喚く俺の頭を、優しく撫で続けてくれる。


「きっと……きっとまた会えますよ♪ 私の名前は【ミラ】、この名前をよく覚えていてくださいね♪」


 そう言って微笑むミラの身体が、少しづつ光を帯びて透けていく。


 –––––もう時間切れだということだ。


「最後に–––––」


 俺の額にミラの唇が触れる。


「–––––これは私の記憶の一部、私の魔法です。きっとリュウの役に立ってくれるはず……」


「–––––いやだ、嫌だっ!! ミラ、あんたがいなきゃ俺は……俺は弱いんだ……」


「こらっ! そんなこと言っちゃダメっ! –––––次会うときは、たくさんお話ししましょうねっ♪」


 いよいよミラの身体が半透明になり、俺の意識も遠のいていく。


 まだ離れたくないと抗うが、意識はどんどん沈んでいく。


「–––––約束してください、リュウっ! 力に溺れず、自分自身を大切にするってっ! 自暴自棄になったりしたら、次会った時に怒りますからねっ!!」


 もはやミラの声も遠くに感じるほど沈んでしまった。

 暗い意識の底で、必死に手を伸ばす–––––。


「–––––強くなってやる、もう誰にも奪わせねぇ……」


 暗い暗い意識の海の底、消えゆく声で俺はそう呟いた–––––。


 同時に、俺の中で何かが壊れる音がした–––––。



























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