危機一髪

「亡霊が」

「なんだよ、あれ……」


 花園を飲み込めるくらいに膨らんだ亡霊は、無い筈の口を開いて咆哮する。大地を揺らし、風を巻き起した亡霊の咆哮に、二人は唖然と亡霊を見上げていた。

 しかし、亡霊がそのまま大人しくしている訳もなく。二人に真っ黒い手を伸ばしてくる。


「早く蝋燭を!」

「わ、分かってる!」


 二人して十二本目の燭台に走る。

 ぐらつく足元、吹き上がる風にふらふらと覚束ない足取りだったが、燭台までの距離が無かったことが幸いして。互いに支え合うようにして燭台へとたどり着いた。


「亡霊はなんとかしてみるから、早く火をつけてくれ!」

「なんとかって、どうするつもりなの!」

「とりあえず防護壁を張る。破られたら、まぁそれから考える!」

「考えなしじゃんか、結局!」

「なんか言ったか?」

「いや、なにも!」


 燭台とアルベルト、そしてアッシュ自身を守るように防壁を展開する。

 アルベルトは杖を構えたまま集中するようにまぶたを閉じるアッシュを横目に、マッチ箱にマッチ棒を滑らせていた。

 しかし。


「あ、あれ? なんで?」


 何度マッチ棒を滑らせてもマッチ棒に火がつかない。

 アルベルト自身は気が付いていないのかもしれないが、彼の身体は小さく小刻みに震えており、マッチ棒が箱に対しておかしな角度で当てられていた。だから、何度マッチ箱にマッチ棒を滑らせても火が付かなかったのだ。


「早く、早くつけなきゃ……!」


 黒い影が防護壁に何度もぶつかる。その度に防壁はイヤな音を立てて軋み、アッシュも眉をひそめていた。

 自分がなんとかしなくちゃいけないのに。火を、早く火をつけないと。このままじゃ、自分もアッシュも、亡霊に殺されちゃう。

 何度も何度もマッチ棒を滑らせる。シュッ、シュッと空回りする音と、亡霊の呻き声、それから防壁のひび割れていく音。そのどれもがアルベルトを急き立てるように届く。箱も擦り減りマッチ棒も縮んで、きっとそのマッチ棒にはもう火がつかないだろうと、アルベルトは気が付いてしまった。マッチ箱の中にはもうマッチ棒がない。箱の側面ももうこんな状態だ。万事休すかと思って呆然と俯いていた時、ぼうっと音を立ててマッチ棒に火が付いた。


「アルベルト、早く!」


 聞こえてきた声にアルベルトが顔を上げると、顔色の悪いアッシュが叫んでいた。杖を握りこんだ手は血の気が引いて蝋人形のような色をしていたが、朝日を受けて輝く海ように、瞳には力強い光が灯っていて。

 アルベルトは自分のしなければならないことを思い出した。いつの間にか震えのなくなっていた体にぐっと力を入れる。腕を上げて燭台に収まっている蝋燭に、火のついたマッチを近づける。


「これで最後!」


 十二本目の蝋燭に火が灯るのと、アッシュの防壁が嫌な音を立ててひび割れたのはほぼ同時だった。

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