4月16日
“ 私はこぶしを握り合わせ、伏せた顔に押しあてて、私の家に相談にきた人々の為に、この病棟の人たちの為に、自分の為に、何ものかに向かって祈りつづけ、許しを乞うた。こぶし一つにその人々の苦悩が凝縮し、脈打ち、永久に解けないよう、きつくきつく締められた。祈りつづけてくれという人々の意志のようであった。ひとりでに涙があふれてきた。私の両側にクリスチャンの娘がひざまずき、再入院の私の為に、一人は品を失わぬ細いうなじを祈り、一人は限りなく人を許す広い肩を丸めて、胸に堅く手を組んで祈ってくれていた。” (小林美代子「蝕まれた虹」)
文学とはみたいなかしこまった問いに明確な答えが浮かばない。そのような時、小林美代子こそが文学だと言わしめる強烈な筆致が其処にある。これは作家以前に人間として書かれた生々しい文章であってそれがたとえ如何ほどか脚色された物語であっても迫ってくるものがある。身に降りかかった苦難を経て心を病み、そこで立ち止まろうとせず、それらを包み隠さず丁寧に綴ることで乗り越えようとした闘いの記録は彼女の死後も色褪せることなく無垢なものとして残り続ける。
小林美代子の名前を挙げてピンと来る人は少ないと思われる。同人時代には盟友として中上健次の名があり、中上も自作に彼女をモデルとした人物を描いている。とはいえ当人がどのような人物であるかは残念ながら社会の変遷に従って埋もれてしまった。
1917年、岩手で生まれた小林はその後福島に移住し幼少期を過ごす。母親の病に伴って家庭は困窮し学業を断念。単身上京して生計を立てる身となりながらも家業の破産、家族の死などが立て込んだことで精神錯乱状態に陥る。やがて戦争が終結する頃にメニエール病を発症。当時は不治の病として入退院を繰り返すことになる。そんな中で近隣住民とのトラブルが相次ぎノイローゼとなった小林は精神病棟に入ることとなった。この閉鎖病棟での経験は後に群像新人賞を獲得する『髪の花』の題材となる。閉鎖病棟における過酷な実態。精神病患者は社会と隔絶され「認められない者達」の悲痛な叫びが綴られる。ただ小林の作品からはどのように酷い環境に置かれてもどうにか立ち直りたいとする前向きさが見て取れる。時にそれは挫けそうになりながらも狂気とはなんら遠くの出来事ではなく狂人もまた社会の一部であるのだと心を傷めればこその視点で主張する。
ところが受賞という日の目を浴びた小林に社会が期待したのは「異界としての狂気」だった。彼女の作品は健常者として生きる内で決して垣間見ることのない異質なルポルタージュであり好機のドキュメントとして消費されることになる。何度も申し上げるが小林自身は作品を書くことでただ「普通」になりたかったのである。これは本人にとって痛切な祈りであったはずだが社会はそれをエンターテイメントと看做してしまったのだった。かくいう僕自身もその一人に過ぎない。小林の描く生々しさを異界の出来事として見ようとした時点で強い言葉を用いれば当時の社会と同罪である。ただ読み通してみれば気付かされるものがあった。たしかに生々しい。痛みがある。自らのことのように迫ってくる訴えがある。その向こう側でいくつもの文章的な表現がこの苦闘を乗り越えるための美々しい輝きを持っていた。冒頭に引いた一文を今一度読み返してほしい。小林美代子は確かに苛烈な人生を歩んだ人である。それでいて芸術を諦めなかった人である。決して異界の提供者などでなく純然たる作家として自身と向き合った彼女の作品は好機に晒されたドキュメンタリーなどにとどまらず「文学」と呼ぶに相応しい。
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