62.食い散らかされた現場

 [5月 7日 12時 35分 横浜市 鶴見区]

 工場や倉庫が並ぶ区域に小糠雨こぬかあめが降り注ぐ。アスファルトの地面の表面は、水を吸ってどす黒く濁る。それどころか建物も空も灰色や黒ばかりで随分と寂しい雨景色だ。


「いやだねぇ、雨でスーツが濡れてしまった」


 そんな場所でフジシマは黒い傘をさしながらハンバーガーにかぶりついている。

 出向く場所はいつも血生臭い猟奇的殺人の現場で、今日は鶴見区にある平凡なスクラップ工場だった。


「お疲れ様ですフジシマさん」

「ああ、いつも世話になっているよ」


 殺人現場には既にフジシマの手の内の情報屋が集結している。今フジシマを案内している髪の長く、麗しい淑女も、彼に情報提供する形で手を組んでいる。

 彼のネットワークは単に殺しのプロだけではなく、情報収集に特化した者や、死体処理を専門とする裏稼業の者達も豊富に揃っている。

 情報屋は警察よりも一足早く、この惨状を嗅ぎ付けて現場見分を開始していた。


「ほぉ、ヴァーミリオンの死骸か」

「死後間もないと思いますが、肉体は既に劣化が始まっていますわ」


 フジシマが見ているのは右半身が潰れてしまったヴァーミリオンの死体。

 ミキサーにかけたみたいに血と筋肉繊維と骨が混じり合ったそれは、フジシマが今し方食べたハンバーガーのケチャップソースを彷彿とさせる物だった。

 フジシマは舌をだして気持ち悪がりつつも、的確に状況の整理を始める。


「死体は食いちぎられているのかね?」

「体内にある血液も吸い取られています。これじゃまるで獣ね」


 辛うじて人の形を留めている部分も、肉ごと無惨に食い千切られている。

 ヴァーミリオンの発達した皮膚や筋肉を食い破る芸当ができるとすれば、それはやはり同じヴァーミリオンだろう。


「ついこの間も、犬に変身するヴァーミリオンと戦闘したという報告があったねえ」


 フジシマは歯型にそって肉が削れた死体を革靴で転がして確認する。


「同僚の手に渡る前に、こちらで隠匿したい。後は頼んだよ」

「では、死体の処理はこちらにおまかせ下さいな」

「頼むよ、私もここ最近は事件の揉み消しばかりで忙しいからねえ」


 現場にいた他の人手は抱えていた寝袋を広げ死体を入れようとする。


「元々雨姫君に頼もうと思っていた依頼が最近、どっさり減って楽できてはいるが……」


 横浜市は本来であれば雪下雨姫一名の手に余る規模だ。

 故に最近は様々な事件が横行し、話題に埋もれてしまう上に、迅速な処理と隠蔽工作で報道になるのを防いでいる。特に凶悪な犯罪に絞って対処している状態だ。

 無論、公安吸血鬼特殊案件課や、フジシマの権力の外にあるフリーランスのヴァーミリオン狩りも横浜に大勢居る。

 しかしここ最近は脅威度の高いヴァーミリオンばかりが立て続けに狩られている。


「まあ、しかしこれでようやく『規則性』が分かってきたようだねえ」


 特に変死体が横浜近隣でよく見つかる。

 フジシマは四つ折りにされたコピー紙を広げ、遺体と見比べて深く頷いていた。

 そして血を啜った形跡があることも看破していた。


「今回の事件は間違いなく奴の仕業……『共食い』か……」


 フジシマはハンバーガーを腹の中に詰め込んだ後、煙草を取り出し、火を付けた。

 今回の下手人がいかに手を焼かせる存在であるかを考えると、一服しなければ気が済まないのだ。


「フジシマさん。東京組から報告」

「んん? いや参ったねこりゃ」


 情報屋から新しいヴァーミリオンの凶悪犯のデータが送られる。


「間が悪い。雨姫君が『共食い』と遭遇してしまうのも時間の問題だねえ」


 深く吸い込んだ煙を鼻から吹き出す。宙を舞う煙は雨にかき乱されてしまう。


「もし出会ってしまったら、最悪殺されてしまうかもしれん」


 フジシマは吸い殻を水溜りへ投げ捨てて火を消した。

 スマートフォンを胸ポケットから取り出し、雪下雨姫の番号へとかけた。


「もしもし雨姫君、仕事の時間だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る