四章 共食い
61.雨の日
[5月 7日 11時 58分 横浜市 遊佐川高校]
ゴールデンウィーク明けの体育の授業は雨天につき、体育館でバスケットボールになった。
他チームと試合中の尚也。機敏に動き、華麗なドリブルフットワークで相手チームを翻弄する。
そしてボールを携えたまま大きく跳び上がり、宙からシュートを放つ。華麗にゴールさせた尚也はチームメイトとハイタッチしていた。
結果は尚也のチームの圧勝だった。
「いや~いい汗かいた」
「お疲れ様」
逸樹は試合で得点をつける役に回り、試合を観察していた。
試合が終わった尚也はタオルで汗を拭き取りながら逸樹の下へ駆け寄ってくる。
「尚也は運動神経抜群だよな。帰宅部なのが勿体ない」
「運動は授業だけで十分かな~」
尚也は所謂天才肌という奴だ。運動も何をやらせても上手に熟せる。
先程、逸樹も尚也と試合をしたが、見事に惨敗してしまった。
「逸樹もガリ勉かと思ったら結構鍛えてるよな」
「委員会活動優先とは言え、一応柔道部部員だからな……幽霊部員だが」
「あと、なんつーのかな。お前は観察眼が良いのか上達が早いよな。さっきオレとやった時も、後半から動きが格段に良くなったし」
「褒めても昼飯は奢らないからな」
「てへ」
逸樹の運動センスは尚也には遠く及ばない。最初から上手くできる尚也に対し、逸樹は地道に努力することで相手に追いつこうとする。
ただ昔から物覚えは良い方で、比較的早い段階で技術が身に付く方だった。
「女子は何してるんだろうなあ。オレの活躍見せたかった~」
「さあな」
ちなみに体育は二クラス合同で、逸樹達一組は雨姫の居る四組と行う。さらに男女で別れるので詩織が雨姫一緒に授業を受けているはずだ。
「あれれ? ひょっとして女子の体操着姿妄想してる? 雨姫ちゃん? 嘉山っち?」
「俺があの二人を疚しい目で見る訳ないだろ!」
「あでででで」
余計なおしゃべりをする尚也の頬を抓った。
体育の授業が終わり、教室戻る道すがら、同じく授業を終えた女子達と出くわす。
逸樹達を見つけた詩織は手を振りながら寄ってくる。詩織の傍らには雨姫も居た。
「女子は何やってたんだ?」
「ダンス」
詩織も雨姫も玉の汗をかいており、男子と同じぐらい激しい運動をしていたのが伺える。
白い体操着にショートパンツ。大胆に露出した二人の太腿、普段なら全く気にならないが、尚也の余計な一言のせいで、嫌でも意識してしまい、咄嗟に目を逸らす。
「し、しかし今日は生憎の雨だな……」
雨天の日は精神的な張りが失われる。だからいつも以上に姿勢を正していた。
他の面々も同じような様子で雨音に耳を傾けていた。
「雨だと部活も屋内になっちゃうし思いっきり走れないのよね」
雨憎しとはいかないまでも、陸上部に所属する詩織には、この天候は好ましくないらしい。
「私は雨好きだよ」
雨姫は珍しく自分から主張する。
「そうだな。雨姫ちゃんは名前にも『雨』入ってるし」
「愛着があるのね」
――こいつが雨好きなのは『相性』って理由もあるんだろうな。雨が降ればやりたい放題だし、まさに鬼に金棒という奴だな。
殺しに使えるという発想には逸樹も眉を顰めずにはいられない。
「名前もそうだけど雨の雰囲気とかも好き」
「雰囲気?」
「雨がいろんなものの雑音をかき消す感じが好き。人も晴れより出歩かないし、見えるのも聞こえるのも雨だけの単純な感じがいいかな」
「ま、雨にも風情はあるからな」
「逸樹はすぐ爺臭いこと言う」
雨の日は、ある意味で静寂である。
一定に続く雨音と、少なくなる人足は、世界に取り残されたような気分になる。そういう意味で雨が好きと言うのなら共感できる。
思ったより不純な理由ではなかったが、それでも逸樹は悪態をついてしまう。
「俺は雨の日は薄暗くて体が冷えるから好きじゃないがな」
「逸樹はもっと天気とか季節の移り変わりを楽しみなさい」
「そんな好き嫌い多いとモテないぞ。はははは」
失笑されて苛ついた逸樹は強制的に尚也にとって嫌な話題に切り替えた。
「浮ついた話も結構だが、お前忘れてないか?」
「なにが?」
「中間テストだよ」
先程まで能天気だった尚也の顔は一変し、絶望の顔に染まる。
「その話はやめてくれぇ……」
「勉強は学生の本分、然るべき準備をして臨むべきだ」
「イキイキしてるわぁ……」
五月に入り、学校ではそろそろ中間試験の出題範囲を告知するようになり、授業にしっかり取り組む生徒も多くなる。
「雨姫。お前も勉強は大丈夫だよな?」
「…………うん」
逸樹は今の雨姫のやたら長い間に訝しい視線を送る。
学業とヴァーミリオンの件、両方に気を遣わなくては。自分達はあくまでまだ高校生なのだから。
「じゃ、私戻るから」
「気分下がった……オレも先に戻る」
「あ、うん……じゃあね」
「ふん、勉強のことになったらすぐこれだ」
そそくさと雨姫と尚也は逃げて行った。そして後には詩織と逸樹が取り残される。
「そうだ逸樹、パンダ付箋ちゃんと使ってるからね!」
「お、おう!」
逸樹が中華街で買った付箋は今朝詩織に渡したばかりだった。
「てか、ゴールデンウィーク中華街に行ったんだ。大丈夫だった?」
「大丈夫って?」
「ほら、近くで大型犬が人に噛みついたって事件あったでしょ」
「あ、ああ、それか! 俺は巻き込まれなかったが、そういえば近かったな」
雨姫と出掛けた時に遭遇した犬男のヴァーミリオンの件は小さいながらもニュースになっていたらしい。
逸樹は思い切り嘘をついた。
「連続殺人もあるんだし、近頃の横浜はなんか怖いことになってるわね」
「まあ心配ないだろう。きっと誰かが何とかしてくれるだろう」
詩織はまるで様子を探るように世間話を小出しにして来る。
何か言いたそうにしている。
「逸樹ってさ。雨姫ちゃんと何かしてるの?」
「何かってなんだよ」
「ほら、最近逸樹ってば怪我がとにかく多かったでしょ。同じタイミングで雨姫ちゃんと一緒にいることが多くなったから、なんでかなって……」
詩織の核心を突く探り入れに、逸樹の身体は石のように固まってしまう。
そのあからさまな挙動を見逃してはくれず、詩織はさらに追求を深めていく。
「ひょっとして喧嘩とか、危ない暴力沙汰に関わってたりしないよね?」
「そ、それは……」
「それは?」
当たらずとも遠からず。逸樹の様子だけで推測するとはつくづく聡い。
逸樹自身は誤魔化しをよしとしない性格で、嘘が得意でもない。だから昔から詩織に対し嘘で塗り固めても見破られてしまう。
目の前に居る幼馴染みに秘密を隠し通すのは難しい。
だが、こればかりは
「護身術を習っている」
「うん?」
「近頃有り得ない程治安が悪いだろ。自分の身は自分で守る。それを習おうとしたのがきっかけで雨姫とは出会ったんだ」
「でも、雨姫ちゃんはそんなこと一言も……」
「口止めしているからな。正直、自分より小柄な女子に格闘を習うのは恥ずかしいし、言い出せないし」
恐らくだが逸樹が不在の間、詩織は雨姫にも同じようなことを聞いている。
逸樹はそれを加味して糊塗する。嘘に真実を混ぜると説得力が増すが、下手な真実は尻尾を出すことに繋がる。故に真実も合わせて加工する。
「雨姫は強いし、合意とはいえ本気だからな。あちこち怪我するんだよ」
「へえ……そう……」
詩織は手をあごに添えてしばらく逸樹の目を見る。この追及を躱せなければ、今後疑念がずっと付き纏う。その緊張からか首筋が熱くなり、冷汗をかく。
――咄嗟の出任せだ。流石に無理があったか……?
「いや、でも納得がいったわ……」
「へっ?」
「雨姫ちゃんの運動神経の良さは有名よ!」
身構えていたが、心配とは裏腹に詩織はすんなり納得してくれた。
それにしても雨姫がそんな噂の立つ人物だったことは意外だ。
「体力測定は女子の中でぶっちぎり。短距離走も大会記録にぎりぎり届かないレベルだけどそれでも、どの部でもレギュラー入り確定の即戦力!」
詩織は奇跡の逸材を発見したらしく、雨姫の運動神経について羨望混じりに語る。
文字通り人間離れしている雨姫が、ただの高校生用の身体測定で記録的な測定値を出すのは当然の結果だ。
恐らくまだ手加減しての結果だろう。逸樹は雨姫の力を目の当たりにしているから断言出来るが、本気を出せば大会記録なんて軽々超えるはずだ。
「あーもう、雨姫ちゃん陸上部に欲しいなぁ。あれで帰宅部って不公平だわ」
詩織は熱く語るが、逸樹は手で顔を覆い眉間に皺を寄せ、頭を抱えていた。
「ったく。あいつは悪目立ちするような真似しやがる……」
こうなってくると、あの娘は本当に秘密を隠す気があるのか甚だ怪しい。
「でも雨姫ちゃんが護身術ねえ……」
「嘘だと思うなら、不意打ちでも仕掛けてみるといい」
「遠慮しておくわ」
――とはいえ、後で口裏合わせておかないとな……。
雨姫の腕っ節の強さを担保にして、嘘を突き通そうとする。
雨姫が人間相手の喧嘩に負けない限り、この事実は説得力を持ち続ける。
「とにかく護身術に怪我はつきものだし、心配するだろうが大丈夫だ」
「そう……でもあんまり深い怪我はしないように。体育祭だって控えてるんだから」
「留意しよう。じゃあ俺も着替えるからまたな」
「はいはい。また後でね」
詩織に笑顔で見送られ、不審がる様子もなかった。
昼休みに差し掛かり逸樹も更衣室に戻る。
――ちゃんと隠し通せた……よな?
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