60.ぎこちない吸血
とにかく人目を避けつつ、すぐ近くにある高速道路の高架下に行く。人が通らない場所で、柱を背にしてから雨姫を座らせた。
「血が必要か?」
「平気……大丈夫だから」
こうは言うが、逸樹以上に疲弊している姿を晒していると心配だ。
「雨姫、俺の血で良ければまた飲むか?」
「い、いらない! まだ貧血程度だし……」
「体調がこれ以上悪くならない内に、血は取っておけ」
まるで病院に行きたくない駄駄っ子をあやすように言い聞かせる。
「俺が嫌いなのは分かるが、四の五の言っている場合かよ」
「……別にキミを嫌ってるわけじゃないよ」
「じゃあ少しは背負わせてくれ。俺はお前のことも助けたい」
雨姫は照れ隠しをするように口を手で押さえている。
だが頑なに血を吸おうとしない強情な彼女に、逸樹も痺れを切らした。
「あっそ。なら俺はさっきの犬男を追いに行くがいいのか? 俺を貧血にさせて動けなくした方が、余計なことをさせずに済むと思うが?」
「キミ、ずるい……」
煮え切らないことこの上ない表情だったが、雨姫はようやく諦めたかのように要求した。
「じゃあ手を出して」
「おう」
「言っておくけど、結構勢いよく血が出るから覚悟して」
「おう……」
逸樹は腕を差し出すと、雨姫は手持ちの水から氷の刃物を作り、逸樹の手首に押し当てる。
皮膚を手早くなぞられただけだが、驚く程出血する。
「痛て……」
「ご、ごめん」
逸樹の想定よりも勢い良く零れ落ちる血を、雨姫は両手の掌で血を受け止める。
血が掌の器一杯になるまで溜まると、血が固まらない内に口まで運ぶ。手の中に収まっている血溜りに唇をつけて血を啜った。
音を立てながら、雨姫はごくりと喉を鳴らし、存分に溜まった血を飲み干す。
「ぷはぁっ……」
震えるような吐息を漏らすと、また逸樹から出る血を掬うように手に留める。
「何でそんな変な飲み方するんだ?」
「しょうがないよ……他人の肌に直接口をつけて飲むのは、その、恥ずかしい」
「い、一応恥ずかしいって感覚あるんだな……でも、最初の吸血は直で噛みついていたよな?」
「あ、あれは余裕なかったから……」
二杯目を飲み終えた所で雨姫は、もう飲むのを止めようとする。しかし量的にはコップ半分に満たないはずだ。
「逸樹の血の出が悪くなったし、もう……」
「遠慮するな。何回も痛い思いするより、一度にいっぺんの方がいい」
「……ごめん」
逸樹はもう片方の腕で、二の腕を握り締めて圧迫する。血管が太くなると、また血が勢い良く出始める。鉄臭いと赤く染まった彼女の手は猟奇的に思えたが、命を繋ぐため助けるために必要ならば些細な問題だ。
意外だったのは、雨姫は吸血行為に羞恥を覚えているということ。
その拘りがすこし滑稽で、不謹慎ながら笑いそうになる。
「ぷは……あ、ありがとう」
「あ、ああ……」
三、四回繰り返し、雨姫は掌についた逸樹の血を綺麗に舐め取って血の供給が終わる。雨姫にもきちんと血が通う。
紙パックジュース一本分抜かれるぐらい出したので、貧血を起こす程ではないが、指先が痺れる。
雨姫の口元は血だらけで、まるで吐血したように見える。
「……ごちそうさま」
「お粗末様でした……?」
逸樹は持っていたハンカチを濡らし、代わりに雨姫の口を拭いた。ぎこちないやり取りをしたあと、用意のいい逸樹は荷物の中から緊急用の絆創膏と包帯を巻き丁寧に止血した。
「そういやお前らヴァーミリオンに輸血はできるのか?」
「できるよ」
「なら輸血でヴァーミリオンに提供すればいいじゃないか。そうだよ。これだけ人が沢山居るんだ。大勢の人が少しずつ血を分ければこの問題って解決できるよな?」
「そう簡単にいかないと思う。たとえ少量でも自分達の血を『餌』にする隣人なんて単純に気持ち悪い。生理的にも受け付けないと思うよ。キミが変わり者なだけ」
こればかりは雨姫だけの持論ではなく、一般論だ。
それをヴァーミリオン側の彼女から言われてしまうのが、身も蓋もない。
「それに輸血も結局血液に混ぜ物をしてるから、何割かは体内で分解されて吸収効率が悪いんだよね」
「難しいな……」
輸血用の血液は凝固を防ぐ成分が混ぜられている。おかげで血液の長期保存を可能としているが、ヴァーミリオンの場合は消化すべき成分と判別されるらしい。
ヴァーミリオンの存在を知りつつも、血液提供者になる人間は稀だろうと想像する。
この世界の事情を知り、彼らの助けようとするだけでも稀少な存在になり得る。
「俺も死なない程度なら血ぐらいいくらでもやるよ」
「……考えておく。同意を得られたらいいって話じゃないからね」
「色よい返事を期待してる」
周囲も夕日に染まりつつある。逸樹と雨姫の濃密すぎた一日が終わった。
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