57.背負われる恥

 [5月 3日 14時 50分 横浜市 中区 海岸通]


「赤レンガ倉庫の方は賑やかだね」

「あそこ休日は結構な頻度でイベントがあるぞ」

「さすが地元民。知ってるね」


 中華街から出て時間を潰すが、ゴールデンウィークというだけあって、どこも彼処も人だらけ。人間酔いする程、人が行き交い道を歩くのも難しい。


――流石に疲労が溜まる……。


 まだ五月だというのに夏めく日差しのせいか、逸樹も体力的に本調子と行かず。

 それでも雨姫には疲弊を悟られないよう、しゃんとして気丈に振る舞う。

 雨姫に対する配慮というより、情けない自分を見せたくないという矜持だ。


「肩貸すよ?」

「い、いらんわ!」


 肩を貸そうとする雨姫に照れ隠しでつい攻撃的な対応になってしまう。それに。


――というか、まるで……デ、デートみたいでむず痒い気分だ。


 いくら相手があの雨姫とはいえ、道行く人の目を奪う美形の少女と一緒に歩くこの状況。万が一にもカップルに誤解されたかもと思うと気が気ではない。


「さっきから挙動不審。なんなの?」

「な、なんでもない……」


 だが雨姫はこの状況を何とも露程にも思っておらず、時折人を監視するような目で見続けている。

 逸樹の中にはまだ苦手意識も残ったままだ。一度持ってしまった心証はそう払拭するのは難しい。事、主義主張の話題で言えば、間違いなく険悪な関係性だ。


――雨姫がもっとクソみたいな性格だったら、嫌いになれたのに。


 だが、雪下雨姫の存在そのものが嫌いかと言われれば、それも違う。

 彼女のどこを好ましく思い、何処に嫌悪するのか、逸樹自身でも曖昧だ。


――今日誘ったのは、こいつのことをもっと知りたかったかもしれんな。


 しばらく考え事をしている内に、雨姫に突き放されてしまう。

 追いつこうとし走った矢先、視界が回転して足がもつれ、その場に膝をつく。


「どうしたの逸樹?」

「う……」


 起き上がろうとするが、上手く立ち上がれない。

 地面も傾いているかと錯覚するぐらい三半規管も揺らぐ。


「大丈夫⁉」

「ああ、すまん。急に眩暈がしただけだ」


 だが、その場しのぎの嘘も雨姫には通用しない。

 逸樹はこの一ヵ月で既に何度も怪我をしている。中でも特に大きな怪我を負ったのは一週間前、しかも既存外の医術で治癒させている。損傷の大きさに不釣り合いな短期間の治癒。肉体に負担がかかるのは言わずもがな。

 解釈によっては本来ならまだ病院のベッドで寝ているはずなので、この『副作用』自体がごく軽微なものともとれるが。得体の知れない治療の代償がこの眩暈なのかもしれない。

 雨姫は心配そうに背中をさするが、逸樹の眩暈はしばらく止まらず、揺らいだ世界を体験する羽目になった。


「悪いな。すぐ良くなると思うが……」

「とにかく休もう。ね?」


 周囲の人も何人か逸樹を見ている。

 そんな中、雨姫は警戒した草食動物のように耳を澄ませていた。人間よりはるかに鋭い感覚神経を持つヴァーミリオンだけに見える景色。

 第六感とも呼ぶべき感覚を持つ雨姫は少し不気味にも思える。


「……ッ?」

「どうした?」

「なんでもない。ちょっと運ぶよ」


 人混みを覗き、空を見上げ、近くの建物に首を向けた後、雑草を引っこ抜くように逸樹を引っ張り上げる。

 そして雨姫は逸樹を背負う。華奢な少女が自分より背丈のある少年を『おんぶ』している。それも軽々と背負うものだから奇妙な光景だ。


「お、下ろせ! 頼むからッ!」


 逸樹は顔を真っ赤にして、この耐え難い苦痛を雨姫に訴えかける。

 そのまま雑踏の中を突き進むものだから、とにかく奇異の視線で見られる。

 逸樹にとってはその視線は、無数の針に体中を貫かれるようなもので、恥ずかしさのあまり、愧死きししそうだった。


「じっとしてなきゃだめだよ。近くの公園まで我慢」

「重いだろ……お、下ろせ!」

「こんなの楽ちん。私ヴァーミリオンだよ?」

「くうう……っ!」


 逸樹は羞恥心で脳味噌が沸騰しそうだった。男としてのプライドはたった今、念入りに粉砕されている。穴があったら入りたい。

 雨姫の体は思ったよりもひんやりしている、さらさらの髪の毛や、服越しにでも伝わる肌のなめらかさに背徳的なものを感じ、必死に違うことを考えてやり過ごしていた。

 当の本人は、逸樹の必死な思いを気にも留めていないのだろう。


「……キミ、変だよ?」

「うるさいな!」


 公園に辿り着くまでの数分間が、地獄のような長さに感じた。

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