27.初老の男③
「フジシマさん。アンタまで何なんだ。協力するのは雪下には了承は取っています!」
この男がこの件に関して何の関係があるのかは分からないが、一言言われた程度では引き下がれない。
明らかに焦り苛立つ逸樹は時計を見始めた。早くしなければ雪下との待ち合わせに遅れてしまう。既に先を越されているならせめて追いつかねばならないというのに。
「まだ分かっていないようだ。今がどれだけ緊迫した状態に置かれているか想像できないのかね」
「は?」
「ヴァーミリオンはあらゆる身体機能が高く、重火器に匹敵する異能力をほとんどの個体が兼ね備えている。だから警察官が持つ拳銃程度の武装で太刀打ちできる生物ではないのだよ。逸樹君はそんなものを相手取っているのだよ」
フジシマはカップの中のコーヒーをスプーンでかき回す。
「残虐かつ屈強な怪物に立ち向かっても、人間ではただ無駄死にするだけだろう。ソレ、雨姫君からも何度も言われなかったかね?」
逸樹には雪下の冷徹な顔が思い浮かんだ。そして今まで逸樹はヴァーミリオンに何度も立ち向かったが、力で競り勝ったことはただの一度もなかった。
「悪いことは言わん。死ぬ前に手を切った方がいいんじゃないかね?」
「お断りします。俺の勝手でしょう」
「それは困る。わたしが困る。雨姫君には万全のコンディションで仕事をして貰いたい。少年のような人間のお守をさせながら戦わせるわけにはいかんのだよ」
その瞬間、逸樹の顔つきが険しくなった。逸樹の周りだけ異様な黒い瘴気がうずまいているような、そんな雰囲気を漂わせる。
「仕事……ってなんだよ……」
「雨姫君との契約関係までは話していなかったか。いやね、雨姫君のような天涯孤独な怪物の世話は誰がする? 誰が寝床や飯を与えると思っているのかね? 彼女の生活を保証する代わりに、彼女にはヴァーミリオン狩りを手伝って貰う。両者ウィン・ウィンの関係だ。ならこれは雨姫君の『仕事』と言えるだろう?」
「ふざけないでください……!」
今にもフジシマの顔を殴ってやりたい衝動に駆られる。また雨姫を怪物呼ばわりするフジシマが許せなかった。
「あんたら……結局は只の殺し屋の徒党だ……ッ!」
「どんな行動にも感謝であれ、報酬であれ見返りがあるのは然るべきだ。そうだろう?」
「黙ってくれ! 雪下を利用してる癖に……!」
「はっはっは、人聞きの悪い。あくまで雨姫君とは利害の一致して両者納得の上での関係だよ」
悪びれもせずにフジシマは笑い飛ばしてくる。開き直る分、雪下よりも
「それと我々はただ君の言う殺し屋の真似をしているだけではない。凶悪なヴァーミリオンを仕留める以外にも目的があるのだよ。それはヴァーミリオンの有用性の証明だ。わたしの所属する吸血鬼特殊案件課は未だに人間だけで事に当たろうとしている。だが、凶悪なヴァーミリオンを追い詰めるヴァーミリオン、その成果を見せたら彼らの意識も変わる。雪下君の存在は訴求力のある
「結局アンタの事情かよ……!」
逸樹はフジシマのやっていることを軽蔑する。このやり口は気に入らない。雪下は曲がりなりにも自分の正義の為に動いている。
だが、この男は目先の利権に執着しているようにしか見えない。
「確かに、選んだのも実行したのも雪下自身だ。それは絶対に許せない。でも、そんなことを子供にさせて、あんたは恥ずかしくないのかよ?」
「恥など微塵もないね。彼らには気の毒なことをしているが、間引かねばならぬ程に逼迫した状況なのは少年も理解できただろう」
フジシマはぬるくなった黒いコーヒーを飲み干した。
「ヴァーミリオンが一月で人一人分の血を吸い生き存えるなら、一年では十二人死ぬ。正確な統計は済んでないが、大量のヴァーミリオンがこの町に集結している。言えることは連中の数は百や二百なんて規模ではないという筈だ。考えてみたまえ、そんな数で月一のペースで人を殺せば?」
フジシマは「言わずとも分かるだろう?」という目で訴えかけてくるが、追い打ちをかけるが如く、フジシマはあえて口に出してはっきりと強調してきた。
「多数の死者。多くの事件。多くの民間人への露見。導かれるのは最悪の結果だ。彼らを殺害する是非を問う? そんな倫理観の枠に当てはめる段階はとうに過ぎている。今が奇跡のような平穏さだ。災厄に至る前に我々がどう彼らの凶手を防ぐか。それが重要なのだ」
フジシマという男はヴァーミリオンに対する殺しを是とするが、根本的な所で雪下とも考え方が違うような気がしてきた。
フジシマの口ぶりがそう思わせているのだ。今の言葉の裏に狡猾さが隠れている。
「国の上層部もこの状況を受け対処はしている。しかし連中の出鱈目な強さは警察程度の規模では餌にしかならん。さしずめ出前と同じだね」
笑えない質の悪いジョークを挟んで、茶化したかと思えば、いきなり眉をつり上げ、顔を強張らせる。彫りの深い目鼻立ちは濃い影を落とし、一層の迫力を持たせている。
「だからこそ、わたしは雪下雨姫を始めとする『吸血鬼を殺す吸血鬼』という必要悪を求めているッ!」
――……こいつ!
この男は雪下を道具としてしか見ていないのではないか。胡散臭く、とても個人的に肯定することはできなかった。
「そういえば、雨姫君から逸樹君についてこうも聞いた。人間もヴァーミリオンも殺させないと。犠牲を出させないなんて大言壮語を吐いたそうじゃないか!」
「それがなんだっていうんですか?」
「青臭い理想だ」
フジシマは両手を広げて、まるで演説をするかのような身振りで話を続ける。
「今の話を聞いて、この状態で、平塚逸樹君。君は一体全体どうやってヴァーミリオンも人間も両方救えるのかね?」
「それは……」
逸樹は何も言えなかった。フジシマの突きつけてきた現実はいかに自分の考えが理想と願望だけで積み上げられてきたのかを教えられた。
フジシマは諭すように静かに声をかけた。
「打ちのめされているのだろう? 考え悪いことは言わんから諦めたまえ」
「……できない」
「何だって?」
だが、逸樹の心は折れなかった。
「確かに何もかも解決するなんて今の俺には絶対にできない。だがな、間違いを正しい事として誤魔化すやり口が気に食わない。殺しは絶対不文律の悪だ」
テーブルに手をついて、秩序の従僕として逸樹は立ち向かう。
「雪下を誰も正さないなら、俺が雪下におかしいと言ってやる必要がある。俺は最後までこの事件に関わっていくつもりです」
「なら、死ぬ覚悟はあるのかい?」
「命の一つや二つ……賭けてやりますよ……!」
逸樹のぎらついた闘志を見て、フジシマの口元は緩んだ。
「ふ……はっは! 初めて見た! 只間違っていると主張するために鉄火場に乗り込む人間がいるなんてね! はっっはっは!」
揶揄っているのか、賞賛されたのか、それともその中間なのか、煙に巻くような曖昧な台詞に逸樹はむっとした。
「何にせよできているみたいだね。死ぬ覚悟」
「勿論!」
「なら止めるのは野暮だろう。もう行くと良いだろう」
「言われなくてもそうするつもりです」
逸樹は席を立ち、店から出て行こうとする。
フジシマは一息つくと、空のコーヒーカップに角砂糖を落とした。溶けきれない砂糖はカップの底でざらざらと崩れるばかりだ。
「しかし、この世界は君の正しさでは測れない程、善悪が溶け合っているのだよ」
フジシマは去る逸樹を見送りながら、最後に毒矢のような言葉を贈る。
「精々、ヴァーミリオンに絶望したまえ」
ドアのベルが勢いよく鳴り響いた。
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