25.初老の男①

 [4月 19日 15時 39分 横浜市 遊佐川高校]


「逸樹よー、今日こそ放課後遊ぼうぜー」

「急ぎの用事があるんだ。じゃあな!」


 尚也の誘いを断り、早足で階段を降りていく。そこで途中詩織に呼び止められる。

 心配そうな顔をして逸樹をまじまじと見つめていた。


「逸樹、この前もめてた件は、もう大丈夫なのよね?」

「もう心配いらない」

「そっか、ならいんだけど」

「まあそいつのせいで新しいトラブルは起きてるけどな!」

「え、何それ?」


 詩織は苦笑いしつつ、なんだそりゃとツッコミを入れて来た。


「とにかく本当にありがとう詩織。お前が居なかったら俺は今日もずっと机に突っ伏していたかもしれない」

「なら良かった良かった! じゃあ行ってこーい!」


 溌剌とした詩織に見送られると、そして昇降口を抜け出すと全速力で走り出していった。通学バッグは異様に重たくて走るのに邪魔で抱えたまま走っても疲労が溜まるが、ただ包帯とか絆創膏とか使えるものは少しでも多いに越したことはない。


「おーい! そこの走っている少年、少しいいかね?」


 校門の前で、男性に声をかけられる。自分事なのか迷ったが、周りに人が居ないことから多分自分に向けて話しかけてきたのだろう。


「え、俺のことですか?」

「ウンウン。少年のことだ。いやぁ探した探した」

――誰だこの人……?


 呼び止めてきたのは初老の男性。茶色い髪をしているが、白髪がいくつも混じっていて灰がかって見える。髪の毛を後ろに流しているが、片側が何房かすだれになっている。鼻から下にも立派な口髭を蓄えている。

 顔つきは堀が深く、顔の影が色濃い特徴がある。逸樹の主観的な感想だが、見かけだけなら西洋の富豪、渋い洋館が似合いそうな『ダンディ』な男性だ。

 服装は墨色の瀟洒なトレンチコートを着て、喪服のような黒スーツ、白いパリッとしたシャツを着ている。体格は大きく、百八十センチを優に越す。

 何よりも気になるのが、煙草のヤニ臭さ。衣服にまで染みついているので距離を取っていても漂ってくる。そしてこちらを値踏みするような視線もそうだが、全体の印象からも怪しさが滲んでいる。


「すみません。どちら様ですか?」

「失敬。わたしはフジシマと申す者だ。少しお話よろしいかな?」

「申し訳ないですけど、急用があるんです。また後日改めて貰えませんか」


 勧誘か何かと思い、若干逸樹も強張ってしまい押しのけるように撒こうとした。


「色々込み入った話をしたいのだよ。例えば、ここ最近世間を騒がせている連続殺人や吸血鬼について……とかでねえ?」

「――――ッ!」

「単刀直入に聞こう。少年はヴァーミリオン雪下雨姫と一緒にいた人間かね?」


 いきなり核心を突いた一言に逸樹の体は硬直した。この男は何故ヴァーミリオン知っている。この男は何者なのかと改めて疑問に思う。


「まずはコーヒーでも飲もうじゃないか。平塚逸樹君?」


 フジシマと名乗る男は不気味な笑顔を絶やさず、逃げられないように逸樹の肩をがっしりと掴む。

 その彫りの深い顔には影が差し込んでいた。その顔つきからして何か恐ろしい企みがある。そんな気がしてならない。



……



 [4月 19日 16時 15分 横浜市 高島 喫茶店]


「あの……俺予定があって凄く急いでるんですけど」

「そう焦らずに、ここはわたしの奢りだ。好きな物を頼みたまえ」


 逸樹はフジシマという男に喫茶店に連れて行かれた。調査範囲からも駅からもだいぶ離れた所にある人気の無い店。数人の客が新聞を読んだりしている。

 拉致されるとばかり思っていたが、今はこうして喫茶店の席につかされている。喫茶店でくつろいでいる客とは裏腹に。この二人は違った。


「どうしたんだね? 遠慮しなくて良い。わたしの行きつけの喫茶店だからね」

「じゃあ、ブレンドコーヒーを」

「ではわたしも同じものにしよう」


 フジシマは喫茶店の店員に対しては愛想良くしており、お互い顔見知りのような雰囲気を出していた。途中煙草を取り出す仕草をしていたが、全席禁煙であることを思い出したかのように残念そうにして煙草を胸にしまう。


「最近は喫煙所が減るわ減るわで、とにかく喫煙者の肩身が狭くてね」

「はぁ」


 緊張が解けぬまま、コーヒーが出来上がってしまった。

 逸樹は運ばれたコーヒーに手をつけられない。向かいの席に座り、満面の笑みでいる男の腹の内を探るのに必死だからだ。いきなり声をかけてきてヴァーミリオンとの関係を匂わせてきている。警戒もする。

 正体について考えた結果、導き出される可能性は二つ。前者はこの男がヴァーミリオンである。後者は人間であるか。前者であれば、連続殺人鬼の可能性もあるし殺されかねない。だから不安だ。

 仮に後者の人間だった場合でも、この男の意図が汲めない。


「取って食ったりはしない。さあ、飲みなさい」


 催促され渋々コーヒーを取る。そのままカップを持ち上げてコーヒーの香りに鼻を鳴らしながら、ようやく啜りはじめる。見栄を張ってブラックのまま飲んでいるので苦い。コーヒーを嗜まない逸樹にとっては苦い熱湯にしか感じられない。


「無理をする必要はない。子供の舌は敏感だからね。砂糖とフレッシュを入れても笑ったりせんよ」

――既に馬鹿にされている気がするが。


 コーヒーを一口飲んだ後にミルクや砂糖を入れて誤魔化す。香ばしいが、どうにも口には合わなかった。


「貴方はヴァーミリオンですか? 雪下とどういう関係ですか?」


 初老の男性もコーヒーカップを取る。優雅な持ち方をして、コーヒーの香気を鼻でめいっぱい吸い込んでいる。そして口に含んで存分に豆を嗜んでいた。


「安心したまえ、わたしはヴァーミリオンではなく、れっきとした人間。何なら暗闇に入っても構わんよ」


 その胡乱な言動からはいまひとつ信用できないが、日陰に入って尚、フジシマの瞳は黒褐色のままだった。


「もう一つの質問に対してはそうだな。わたしは雪下雨姫君の名目上の保証人だ」

「雪下の味方……?」


 逸樹はほっと胸をなで下ろした。それを聞いて僅かに口に含んだままのコーヒーをようやく喉に流し込めた。

 だが次第にその言葉に違和感を覚え始める。


――いや、待て。味方ってことは。


 逸樹の表情を読んだフジシマは、先んじて逸樹の内的独白に答えた。


「勿論彼女が殺しをしていることも知っているとも。何せ彼女にヴァーミリオンの情報を流している言わば雇い主だからね」

「じゃあ、アンタが雪下の言っていた……!」


 だがその途端、逸樹の安堵は再び警戒に変り今度は敵意まで向けた。


「それで……雪下の『雇い主』が、俺に何の用ですか?」

「釘を刺しに来たのだよ。最近、雨姫君が人と接触したという話を受けてね。ただあまり詳しく話さないものだから勝手に調べさせて貰った」

「許可なく個人情報を得るなんて、姑息ですね」


 逸樹は、この男の正体は探偵か何かだろうと想像した。今の世の中、素人でもちょっと調べたぐらいでも素性が知れてしまう情報社会だが、その手段を熟知し実行できる職業は限られている。


「まぁ、聞いていたより仲が良さそうだね?」

「そんなことはないです」


 逸樹はフジシマの言葉をばっさりと切った。


「フジシマさん。あいつとはいわば休戦状態にしているだけで、あいつに対する敵意は払拭できませんよ。今行動を共にしているのも牽制を目的ですからね。仲が良いというのは誤解ですよ!」

「いやあ、すまないすまない」


 すごい剣幕で睨み付けてくる逸樹に対して、ああ要らぬ誤解をしてしまったと謝罪してフジシマは汗を拭う。

 雪下と逸樹はむしろ未だ険悪な状態である。


「あと喋り過ぎでしょう。この会話録画しますよ、そのまま警察にバラすこともできますよ」

「それは無理だねぇ。だってわたしが『警察』なのだから!」

「はあ⁉」


 予想の斜め上の答えだった。だが警察に所属する人間なら確かに人一人の情報ぐらい簡単に得ることができるし、権力を有している分、探偵よりも数倍達が悪い。


「信用できませんね。所属を明らかにして貰いたい」

「警察だとも。正確には公安警察という分類だが」

「公安……?」


 公安警察。東京都では警備局、その他県警では警備部に所属。通常の殺人、強盗事件を担当する所謂刑事とは違い、日本に対して行われる国際テロリズムや国家体制を脅かす団体、事件の調査を行っている。

 非常に秘匿性の高い警察組織。

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