24.別行動-保土ヶ谷区

 [4月 19日 12時 30分 横浜市 遊佐川高校]

 翌日、逸樹は昼頃になって登校した。一晩寝たが、朝になっても貧血に悩まされ、学校へ行っても授業に集中できない。ならば苦渋の決断だが学校には遅刻するしかなかったのだ。当然、朝の内に学校側に連絡済みだ。


「やっぱり少し気分が悪いな……」


 やはり雪下にはそれなりに血を吸われていたらしい。

 今日の放課後からの雪下との調査に気を引き締めていた。今、こうしている間にも誰かの命が脅かされているかもしれない。そう思うといても立ってもいられず、雪下を説得して放課後からと言わず、今からでも捜査に向かいたいぐらいだ。こんな状況下でも他力本願なのが歯痒い。


「だが今日ばかりは休むわけにはいかんな!」


 何にせよ今日で連続殺人に終止符を打つ。人知れず真相を闇に葬るのではなく、世間に晒す形での人間社会に即した解決を目指したい所だ。


「おはよう……って時間でもないな」

「おーおー。重役出勤か逸樹!」

「ちょっと貧血気味でな……」

「ははは。偉いなあ、オレだったらサボってるけど!」


 何気ないやりとりをしながら逸樹は自分の席に鞄を置いた。

 詩織はその後さりげなく逸樹の方へと近寄り、耳元まで顔を近づけて小声で囁いた。


「昨日はどうだったの? ちゃんと仲直りできたの?」

「……一応な」

「よかったよかった!」


 詩織は自分のことのように安堵したリアクションを取って、逸樹の肩を叩く。励ましてくれるのだろう。

 詩織の後押しがなければ、何も進んでいなかっただろう。雪下とも和解できなかった。結果は詩織に相談して心底良かったと思える。

 詩織の耳打ちに対し、尚也が知りたそうに逸樹達の周囲をうろついている。詩織は何でもないからと言って、そのまま解散させる。


――そういや雪下は学校に来ているのか? 一人で先に行ってるってことはないよな? まさか……な。


 昼休み間に逸樹は雪下の居る教室を訪ねた。しかし見渡しても居なかった。


――席を外してるのか? ああ、しまった。番号を聞いておくべきだった。


 それから五時間目、六時間目が終わった後に雪下の教室を訪ねたが、相変わらず不在のままで、律儀に放課後まで待った。

 約束の時間になったが、とうとう雪下を見かけることはなかった。仕方なく一年四組のクラスメイトの生徒に所在を確認する。


「ごめん。このクラスの雪下を探してるんだけど、今日学校に来てないか?」

「あー雪下さんなら今日は学校に来てないけど」

「そうか。ありがとう」


 おでこを出した女子生徒は関心がなさそうにしていた。

 初対面の逸樹が話しかけたので、逸樹を変わった目で見ていたが、話が終わると直ぐに友達と一緒にどこかに行ってしまった。


「あいつ……!」


 してやられた。律儀に雪下が約束を守ると思っていたばかりに、雪下に騙されてしまった。今頃は一人で捜索範囲の捜査を行っていることだろう。

 雪下はもともと約束なんて守るつもりはなかったようだ。勝手に一人だけで解決しようとしているわけだ。

 逸樹の眉間にはしわが寄リ、あからさまな怒りの念を抱いていた。約束を守らないという裏切り、正当性のない行為に眉を潜めていた。


――一人で突っ走りやがって! あれほど言ったのにまったく!



……



 これまでの雪下の行動については、今朝に遡る。


 [4月 19日 8時 39分 横浜市 保土ヶ谷区]


「逸樹には悪いけど、やっぱり私だけでいい」


 雪下は学校を休んだ。代わりに現場周辺の地図を片手に歩く。もう片方の手には水の入ったペットボトルを手に持っていた。

 背負っている通学バッグの中には教科書の代わりに、これでもかという程、ミネラルウォーターを詰め込んでいる。

 何の変哲もない、塩素を抜いただけの飲み水だが、雪下にとっては頼れる武器だ。

 肝心の体調も万全だった。倦怠感も薄れ、逆に力が漲る感覚に体は軽やかで昨日の衰弱が嘘のようだ。


「とりあえず廃屋をさがそっかな」


 しかし突然、雪下はぴたりと足を止める。人よりも圧倒的に優れている聴覚は足音をはっきりと聞き取っていたのだ。

 後ろを振り向こうとした刹那――――。


「来る」


 ほぼ直感的に、体の姿勢を傾けると、熱波が肌に突き刺さると思えば、そして直後に煌々とした火が雨姫を横切る。

 殺気と異常現象で状況を直ぐに察した。ヴァーミリオンが自分を殺そうとしている。火の勢いは火炎放射器と同等で、視界一面が火の光で遮られてしまう。路上の雑草を焼き切って、熱に空気が揺らめく。人間だったら焼死する威力だ。


「能力、発動――!」


 雪下は『能力』を発動する。

 反射的にペットボトルを開き、水が剣を模らせる。そのまま水を氷結させて完成させる。

 ヴァーミリオンが持つ固有能力にも識別名が付けられている。例えば雪下の能力は『Pale Blue』と呼ばれている。


「……!」


 雪下は氷の西洋剣を構えた。今の一度きりの攻撃で、相手がどの方向から攻撃をしてきたのかも看破できた。相手は曲がり角に隠れているつもりだが、その意味はない。

 光で反射した氷の刀を握り締め、穿つ雨のように神速の突撃を仕掛ける。


「チッ、血生臭いニオイがすっと思ったら、やっぱヴァーミリオンかよぉ⁉」

――昨日の逸樹の血を吸ったにおい……まだ薄っすら残ってるみたい。


 相手のヴァーミリオンは中年、無精髭で作業着を着た小太りの中年男性だ。人間がこの姿を見ても、映画なんかに出てくる優雅な吸血鬼とはかけ離れた容貌だ。

 男は一斗缶を抱えている。メタノールと書かれたシールが貼ってある。可燃性のアルコールの一種。

 男は有毒なアルコールを口いっぱいに含めると、火吹き芸の如く、勢いよく吹き出した。するとアルコールは忽ち揮発して、燃え盛る炎に変わる。

 このヴァーミリオンは可燃物の着火が能力と見ていいだろう。さらに燃焼しやすい物質に肺活量を足すことで火炎放射器のような射程と威力を発揮する。

 雪下は火炎放射の射線上から走って逃れるが、男は火を雪下の方へ向け追尾する。

 ペットボトルをもう一本取り出し、今度は水を一気に放つ。


「ぶっ⁉ くそお!」


 放たれた水は、炎を突き抜け男の顔にかかる。男は目を瞑り、口から出る火炎放射も止まる。男が顔を拭って視界を確保する間に、雪下は男の死角にまで急接近する。

 男が顔を上げようとしたところで、完全に男との間合いを詰めて、氷の刀剣を振るった。


「ぎっ……ぎゃぁあああぁあ! ぐぁああああああッ! あああぁあッあ!」


 雪下が振るった刀剣は男の右手から切り進み、薪割りのように右肘まで綺麗に裂いた。傷口から絶えず出てくる血液は氷の刀身に触れると凍ってしまう。

 男は野太いがらがらの悲鳴を上げた。その理由は遅れてやってくる痛みになのか、ざっくり切り込みを入れられ、枝分かれした自分の腕を見た恐怖なのかは分からないが、恐慌状態に陥っている。

 雪下は悲鳴にも眉一つ動かさず。男の首根っこを掴んだ。


「連続殺人犯の一味だよね? 仲間とアジトを教えてくれる?」

「な……なんの……ことだァ!」


 雪下は刀剣を捻って腕の中をほじくり回した。わずかに鈍化していた神経に、新たに大量の痛覚情報を送り込む。

 雪下はわざわざヴァーミリオンを苦しめて殺すことはしない。手間がかかるだけだから。

 逆になるべく苦しまない方法で殺そうともしない。

 だから、なるべく迅速に、確実に殺すためなら拷問もする。手足も削ぐ。必要以上の苦しみを与えることに合理的な説明がつくなら、自身の掲げる主義には反しない。


「ぎゃああぁあッ⁉」


 男は半狂乱で、目の前で淡々と敵を斬る雪下のことをヴァーミリオンではなく、死神に見えているだろう。雪下の要求に応えなければ死ぬと感じている男は激痛に耐えながら残った方の手で必死に暴力の制止を呼びかける。


「わがった! 言ゔ! いゔから!」


 汗でびっしょりの男は失血のためか顔色が悪くなっていた。男は誰かに助けを求めようと辺りをしきりに見回していたが、昼間のこの時間に、この近辺を通る人間は皆無である。

 それもそのはず、このヴァーミリオンは人が来ない地域を縄張りにするからだ。


「お、俺らは数人のグループで狩りをしているんだ! 連続殺人って体でだッ! リ、リーダーの指示に従ってるだけだぁああああ!」

「リーダー?」

「あ、ああそうだ! 外人のかなり強いヴァーミリオンだ! 仲間をたくさん集めてでかいことをヤルって行ってた!」

「人数は?」

「あぁああがああ!」


 今度は腕に氷の刀を押し込んでさらに切れ目を作っていく。一瞬ではなくごりごり骨を砕きながらノコギリのように切り進める。痛みは尋常ではないはずだ。


「俺を含めて五人だ! もう一人居たが殺された! 頼む! み、見逃してくれ! アジトの場所も教える! ぐっ……⁉」


 男はようやく気がついたようだ。首筋に異様な冷たさが走っていることに。


「が……ぁあ⁉」


 やがて全身が冷やされて凍り始めた、手足も鬱血して肌の表面には霜が張っていた。

 雪下の能力『Pale Blue』は水分操作。水に運動力を付与し、自分の思うまま水を宙に浮かせ動かし、逆に水を静止させることもできる能力。

 本質は水操作なので水分子の微細な運動にまで及ぶ。水を不動のまま固定、つまり熱運動すら停止させ、水を凍らせる応用も可能とする。


「ぁ……ヵ……」


 水なら何でも凍らせる。それはつまり体内の水分を凍らせ、生物を丸々一匹氷付けにする恐ろしい殺傷性能を持っている。触れるだけで凍死させるほどの力だ。

 そのまま冷たく何も言わない氷像になった男を撥ね退けて地面に転がした。男の体の一部はぶつかった衝撃でぼろぼろと崩れ始めた。

 雪下は手についた霜を、振り払って落とした。


「何も言わなくて良い。自分で探す」


 相手は虚偽の情報を自分に教えているかもしれない。初めから信用などしていないのだ。雪下が知りたかったのは、ターゲットのヴァーミリオンが居るかどうかであり、今殺した男が出てきた時点で推測は確信へと変わっていたのだ。

 平塚逸樹に頼るまでもない。与えてくれた調査の視点は確かに役に立ったが、必要なのは猟犬の嗅覚と相手を狩る力だけだ。

 今回は人間というイレギュラーが入りこんだが、何てことない。これまで通り相手を追い詰めて殺せばいいだけだ。

 雪下の殺気立った表情はやはり淡泊で、そしてひたすらに酷薄だった。

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