21.雪下雨姫の吸血④
「彼女はもう何処にも居ないと思う」
椎名が死んだ事実がまだ受け入れられない。本当は生きているかもしれないという妄想に近い期待を抱いていたが、雪下はきっぱりとその可能性を切り捨ててくれた。
「遺体は……?」
「私達は死後、肉体が急激に劣化する。腐るとはまた違ったプロセスを辿ってね。一日も経てば遺伝子レベル判別が不明になるぐらい体が土くれみたく崩れ、それから数日すれば体内の血液と共に原型を留めずに完全崩壊する。だからあの女の子、椎名夕子の亡骸はもう残ってない。ただの『塊』でしかない」
「椎名の亡骸は確かにあるなら、弔ってやれないのか……⁉ 親元にも返してやれないのか……」
「彼女にも親は居ない。とにかく処理担当に渡した。私じゃどうしようもできない」
逸樹の額に青筋が浮いて出た。無表情を装いながらも口の中で奥歯を噛み締めていた。処理なんて、ふざけたことを抜かす。椎名は廃棄物じゃない。人間だ。そう逸樹は心の中で叫んでいた。
だが、もうどういう気持ちで目の前の女の子に接すれば良いのか分からないのだ。
「キミには殺しの瞬間を見せるべきじゃなかった」
――許せない奴だけど、でもこうして、接してみると自分が思っているより人間味がある。こいつだって、殺しはするが本当は嫌なのかもしれない。誰も死ななくて良い道を選びたいのかもしれない。だから雪下を責める理由は山程あるが、それを今は黙って居るしかない。だから堪えろ。落ち着け。
自分にそう言い聞かせていた。詩織の助言を今一度思い返しながら、自分の気持ちを静めた。
「お前はお前なりに最善の方法を探して、考えて悩んで結果ヴァーミリオンを殺すことだったんだろう。人を大事にしているのも本当なんだろう……」
「……別に赦してもらおうとも思わない。もう私は十一の命を殺している化け物なんだよ。恨むなら恨んでいい」
雪下は殺した相手を軽視してなかった。
人数も覚えて、心の傷として未だに残り続けている。
「今更聞くけどさ。お前は何でヴァーミリオンを殺すんだ?」
「他の人間にはできなくて私ができることだから。そこに私の感情なんて介在しない」
「そうかお前は、そう思うんだな」
殺しの役割を受け入れてしまっていることが悲しく思える。それに自分を化物と自虐し、それが相応しいと言わんばかりに感情を持たずに機械的に行動するのが尚更。
「なら、それを踏まえた上で言わせて貰う。俺も
逸樹はふらつく頭を横に振りながら立ち上がる。
気分は最悪の状態だが、根性だけが自分の肉体を保たせていた。
「あの時、やっぱり椎名を死なせずに済む道はあったはずだ! 普通の生き方はできなくても、それでも人間として生きることもできたはずだ! 人として生きることができないなら、殺して全てを奪うなんて正しくない。そんな理由で守られたなんて俺は納得できない……!」
逸樹は人差し指を雪下に向ける。そして深く、深く呼吸をした。
「ヴァーミリオンを殺すことは間違っている。だから俺はお前を認めないし、ヴァーミリオンをこれ以上死なせたくない!」
「それが……キミの言いたいことなの?」
雪下もまた頑なになって逸樹の目の前に立つ。並大抵の覚悟じゃ何人も殺せるはずがない、これまで積み上げてきた責任もあるのだろう。
なら、ここで逸樹に説得されて殺人を辞めるような玉ではない。重大な罪科を負っている者として、自身の主義はどうあっても曲げないという覚悟が伝わってくる。
「ねえ、だったらどうするの?」
「一つ頼みがある!」
「ふぅん?」
「ヴァーミリオンが起こしている連続殺人事件を一緒に協力して解決してくれ」
「……なんで?」
「五件目の殺人事件が起こったのはもう知ってるよな? でも、その様子だとまだ連続殺人事件は解決していないと見た」
「うん、キミの言う通りまだ続いている」
「結末が生かすか殺すかの違いがあるだけで、お互い事件を解決したいという目的は同じだろ。多分、お前まだ解決してないだろ。だったら二人の方が効率いい」
雪下はぽかんとした顔をしている。無理もない。出会った当初から敵意を剥き出しにしていた男からそんな言葉を聞いたら意味が汲み取れないに決まっている。
「き、キミむちゃすぎ……」
「そうか?」
「あと私は嫌かな。全然メリットがないし、どうせ邪魔するだろうし」
やはり雪下は拒否すると踏んでいた。
だが、逸樹はあからさまに意地悪そうな笑みを浮かべた。
「お前の窮地を救った貸しがあるだろ」
「む……」
「俺の血を啜ったことに負い目を感じるなら、頼みを聞いてはくれないか?」
「ずるい……」
そんなことを言ってしまえば、逸樹は何度も雪下に命の危機を救われている。
怪我だって治して貰っているが、この際棚に上げて勢いに物を言わせる。
雪下は悩んだ顔を見せていた。逸樹の要求と自分の借りを本気で天秤にかけているようだ。命を何度も助けた貸しに気がつかない様子だ。それすら比較にならない程、雪下雨姫にとっての『血を貰う』行為は重大ということまで織り込み済みだ。
「わかった……いいよ」
不服そうだが諦めたような顔をして承諾してくれた。
これは契約成立でいいのだろう。逸樹はやり切ってやった顔で雪下を見つめる。
「今回の件だけキミと一緒に行動する。だけどね、私にも信念はあるからね」
雪下の周りにどこからか集まってきた水が宙を漂い始める。暗い部屋に差し込む月の光で水が舞う光景は幻想的でさえある。
その力は雪下が持つ吸血鬼固有の力。ヴァーミリオンの持つ特有の能力を使ってきた。能力を見せることにより、力を持つ自分を阻止できるなら阻止してみろという脅しなのかもしれない。
「私は人を守る為にヴァーミリオンを殺す。その邪魔は絶対にさせないから……!」
「それでいい。俺かお前どちらが正しいかは白黒はっきりつけてやる。でも今は敵兼味方で構わないな?」
「……そだね」
雪下は水の能力を解くと、水は垂直に落ちて床に飛び散っていった。
「明日からまた連続事件の犯人を探すから、ついてくるなら好きにしていいよ」
「はいはい」
逸樹の周囲に張り詰めた緊張が解かれた瞬間、壁によりかかって座り込む。そしてなりを潜めていた貧血による吐き気の波がこみ上げてくる。
「う、お……まだ気分が悪いな」
「血を与えることは命懸けなんだよ。キミ、さっき殺さずに済む道とか言ったけどそれは甘ったるい理想だよ。ヴァーミリオンの体内の血液が腐敗したときに必要な血液の量は人間一人分。そして血液が腐るまでの期間は、運動量や代謝の関係で多少前後するけど約一ヶ月。その一月を生きる為に何人死ぬと思う?」
一月というあまりに短い血液の寿命。
単純計算でヴァーミリオンが一ヶ月を生き延びる度に一人を犠牲にするなら、ヴァーミリオンが十人居たら月に十人、百人いたら百人が死ぬ。
考えただけでもぞっとする事実だ。
「キミは多分血を分け与えれば解決するとか思ってそうだけど、無理だよ。たとえ全人類がヴァーミリオンの存在を知ったとしても、誰も血を与えてくれないよ」
「随分とはっきり言うじゃないか、実際起こったこともない癖に」
「どんなに見た目が近くても、自分達の血を吸う捕食者だよ。生理的に受け付けない」
ここまで吸血行為を毛嫌いする雪下を見ていると不意に疑問が沸く。
「なら、お前は今までどうやって血を繋いできた?」
「私は…………」
「いや、やっぱり言わなくていい。お前がどうして来たかなんて関係なかったな」
一瞬、雪下雨姫が誰かを殺している所を想像したが、ここまで人に手を出すのを忌避している雪下が人を殺めるほどの吸血をするわけがない。
事実、自分にも手心を加えてくれたこともあるため、その不安も杞憂に終わる。
「ところで、キミなんで今日訪ねてきたの?」
「あ、いや……それはこの前、俺はお前に酷いことを言ったから……それが原因で学校に来なくなっただろ? それについて謝りに……」
「え? 私は血が足りなくて体調悪くなって休んだだけだよ?」
「血が足りなくなった原因は俺を庇ったからだろ?」
「確かに血は失ったけど、でも私はあの時はまだ動けたでしょ? キミとの一件の後、また戦闘があって、そのときに血がたくさん出てこうなったの」
「……マジか」
「マジ」
逸樹はとんでもない勘違いをしていたことに気がつき、がくりと俯いた。
見当違いをして愧死しそうだ。確かにあれは失言だったが、そんなに思い詰めることでもなかったのではないかと。
「どうしたの?」
「いや、なんでもねぇよ……」
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