20.雪下雨姫の吸血③
「うっ……?」
しばらく失神していた逸樹が意識を取り戻し、初めて見た景色は灰色とシミの天井。
ベッドや天井が回転しているように感じる。
血を吸われすぎて平衡感覚が狂っているのだ。
体中からまだ悪寒がする上に、思うように体が動かない。辛うじて動く首を上げて見回すと雪下がベッドに座って俯いていた。吐き気が襲ってきてこれはまずいと、安静にベッドの上に寝転がった。今は誰がこの上で寝ていたのか、そんなことはどうでもいい。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。
ただ雪下を侵していた手の壊死は見られない。苦しそうな素振りも全くない。初めて見たときと同じ雪下、全快していると見ていい。
血を得れば、こんなにも早く回復するものなのか。
「ごめん……」
雪下は悔しそうな声で呟いた。
自分が謝罪をする他、逸樹は天井を見上げたまま、遅れたように雪下に答えた。
「……いや、……いい」
「本当にごめん!」
雪下はスカートの裾を握りしめて、くしゃくしゃにしていた。
後悔、畏れ、自虐、あらゆる負い目の感情は雪下の目の前にあるのだろう。
そんなことはない、安心させてやりたい。これは自分が選んで望んで頼んだことであって、責任を感じる必要はないと教えてやりたかったが、視界が揺れて思うように声を出すのもままならない。
「あやまるのは……俺の方だ……」
逸樹は寝そべったまま話を続けた。すぐ側にいるのに互いの目線はどちらとも話す相手に向いておらず、電話越しの会話をするような距離感があった。
「あの時助けて貰ったのに、お前のことを何も考えないで……その、酷いことを言った。お前は俺の命を救ってくれた……命の恩人だったのに……」
椎名殺されたときに取り乱して全てを雪下のせいにした。それに雪下に対して化物と叫んで罵倒した。どんなに怒っていようともそれは、尊厳を傷付ける言葉だ。
そんな過去の自分を叱り飛ばしてやりたくなって、唇を噛みしめながら、懸命に振り絞って言う。
「……ごめん」
お互いの沈黙はさらに続き、しばらく部屋の景色をずっと眺めていた。
月明かりが差し込み、埃が舞い上がるのが見える。古くなった木のにおいとか、余計なことばかりに意識が移ってしまう。
「それと、ありがとう」
「え?」
「何回も助けてくれて、お前が居なきゃ俺は今ここに居なかった。だから、ありがとう」
言う順番は多少前後したが、雨姫に対して文句も、感謝も、謝罪も言いたいことは全部言えた気がした。
「……ん」
しばらくして俯いていた雨姫は控えめな返事をした。瞳に少しだけ光が宿り、活気を取り戻していた。
逸樹はとりあえず胸をなで下ろしたが、緊張が解れると同時に目が回って吐き気がこみ上げてくる。血液が足りなくなって重度の貧血に陥っていた。眩暈が酷く、一時は気絶するぐらいの症状で、立ち上がるのは困難だった。
未だかつて陥ったことのない貧血に、つい文句を漏らしてしまう。
「ただ、な。頭がフラフラする……どんだけ血を飲んだ……」
ようやく雨姫は逸樹の方を向いた。僅かに、ほんの僅かにだが、心を開いてくれたらしく、いつもの調子を戻していた。
「これでも、体調を気遣ってちょっと貰っただけだし……この量じゃ気休め程度だよ。本来なら人間半分の量が必要な……はずだから」
「おま……もっと吸うのかよ……」
これだけ苦しい思いをして命を削って献血して、ただの気休めの扱いというのは、なんとも報われない話である。
「今更だが……そういえばお前の血液型は⁉ 俺A型だけどもし違ってたら……!」
逸樹はさらに顔面蒼白になる。先程まで勢いで押し切るあまり、血液を与えるに際しての最重要事項を失念していた。
一般的な常識として、血液型にはA、B、O、ABがある。実は他にも血液型というのはある上にRh因子というものも存在するが、この際それはさておき。
問題なのは輸血の際には一般的に同じ血液型が望ましいこと。何故かと言うと、血液中の赤血球には『抗原』、血漿には『抗体』いうものが存在する。違う血液型の血が混じってしまうと、血液が持つ抗体が違う抗原の赤血球を破壊してしまうらしい。そうなれば普通に命に関わる。
とはいえ、違う血液型でも輸血可能な組み合わせはあるが、とにかく同じ血液型なら心配ないはずだが、相手が吸血鬼の場合は想定外だ。
逸樹は今更ながらにそのことに気付き、肝を冷やしていた。雪下が『A型』以外の血液型だった場合、雪下の中にまだ残っている血液と、今逸樹が与えた『A型』の血液が反応して血中の細胞を壊してしまう事態に発展しかねない。
「私もA型だから大丈夫」
「よ、良かったぁ……こういう重要なことは確認すべきだった……本当にすまない!」
「大丈夫。別の血液型の血を飲んでも、血管に取り入れられることもないから」
一度頭に疑問符が付くと、次々と新しい疑問が生じてくる。そもそも経口摂取でどうやって血管に血を送るのか。唾液の菌が入る心配はないのか、等等。
「私達ヴァーミリオンにも人間と同じ血液型は一応あるよ。口から飲んだ血は胃袋に届く前に直接血管に吸収される。で、体質に合う血液だけ体内に取り入れることができる。合わない血液型なんかは飲んでもそのまま消化されるだけ。動物の血なんかも一緒かな」
「じゃあ躊躇っていたのは、俺の血液型が合わないかもしれないって理由もあったのか……?」
「そこは、本能かな。キミが私に合う血液なのはキミの臭いとかで何となく吸っても大丈夫って判別がつく」
「なんとも奇妙な体質だな……」
「裏を返せば、血なら何でもいいってわけじゃない。人間の血で尚且つ、同じ血液型じゃない限り血は体をすり抜けていく」
血が何でもいいなら、ヴァーミリオンは今頃公園の鳩で凌いでいるはずだ。
人間に近いのは見た目だけで、血を経口摂取で輸血できるとなると、確かに人間とかけ離れている。種として生き残る為に備わっている機能なのかもしれない。
「他にも生きるのに不都合な体質はだいたい克服してる。見た目は同じでも私達の方がずっと無茶が効く体なんだよ」
「しかしまあ、ヴァーミリオンってのは、血を吸えば吸うほどパワーアップするのか? お前の体調も、みるみる回復してるし」
「別に栄養にするわけじゃないから、量は関係ないかな。でも確かに血液が充実している場合は、体も凄いパフォーマンスを発揮できる。擦り傷なら数秒程度で治る再生力に、怪力も出せる。まあ血液不足でも人間以上の力が基本だけど」
「確かに今まで出会ったヴァーミリオンは全員凄い力持ちだった」
「ヴァーミリオンにとっての血液はガソリンみたいなものかな。ああ、でもガソリンみたいに消費はしないから、エンジンオイルみたいなものかな?」
「変な例えするなあ……」
彼女らヴァーミリオンにとっての血液は肉体増強の為のドーピングではなく、あくまで血液が腐るまでの一定期間中、体を良好に保つための役割ということだろう。
「「……」」
また会話が途切れてしまい、雪下は気まずそうに目を逸らしていく。
逆にいつ話を切り出そうか、逸樹は期を伺っていた。今日会いに来たのは謝罪の為でもあるが、もう一つ聞くことがある。
逸樹は渾身の力を入れてベッドから起き上がる。首を浮かせた段階で吐き気と眩暈がぶりかえして一気に全身に襲いかかる。まるで沈殿していたものが混ざり合うような、そんな気持ち悪さがこみ上げる。逸樹はまたベッドに倒れ込もうとするが、必死に体をふんじばって自分の体を叩き起こす。
「……! お、起き上がっちゃ」
それを見た雪下は焦りだして宥めてくる。加減はしたと言っていたがあくまで命を脅かす一歩手前の所だろう。病院でやる採血を超える量の血が体から抜けているのだから、雪下は逸樹の肩を軽く掴んだ。
ただ、脆い状態の逸樹をそのまま強く押えることもせず、本当に優しく手を置いたに過ぎない。
「なあ雪下、一つ聞いてもいいか?」
「ん?」
「椎名はどこにやった」
逸樹はくらくらして回転する意識を我慢しながら雨姫を睨み付けた。その顔はあの時のような目つきで明らかな敵意が戻っていた。
逸樹自身もそんな目はしたくはない。だが、どうしても問い糾さなければならない。
雪下も腹を括ったのか、冷徹な態度で逸樹に応えた。誤魔化すような真似せずに正面から真実をそのまま伝えてくれた。
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