19.雪下雨姫の吸血②
ベッドに押しつけられた逸樹は雨姫に救済の提案をする。逸樹の表情は自棄的な諦めの顔ではない。口を引き締め、強い想いを露わにした顔。
その様子に息も絶え絶えな雪下の顔は真逆で困り果てて、覚悟を決めた表情をした。
だが、その表情もすぐに変わった。手をわなわな震わせ、口を開閉させて、それはもう盛大に言葉を詰まらせていた。
「ち、血を吸えって……キミはバカなの⁉」
「あ……馬鹿とか言うな! 馬鹿!」
今すぐにでも大量の血液を補給しなければ命に関わるヴァーミリオンと、そのヴァーミリオンに殺されても助けたい人間。どちらかこの場で命を落とすかもしれない緊迫感が漂う。
勿論、逸樹も死ぬ可能性は考慮している。以前にも二度も似たような状態で出会ったヴァーミリオンに悉く命を狙われた。今もまた、自分の命を落とすかもしれない局面は正しく頭の中に入っている。
恐怖心もある。平然としているのは強がりで無理矢理奮い立たせているだけ。だが自分以上に不安な娘が目の前に居るから、せめて毅然とした態度を取ることがこの場において最善の行動だと思いそうしているまでのこと。
実際は怖くてたまらなかった。
「もうほっといてよ……」
「苦しんでる人をほっとくなんて、そんな軽薄は俺自身の『ルール』に反する。だから俺の血で助かるならいくらでもくれてやる!」
雪下は体を震わせている。声量も弱々しく、呼吸をするのも苦しそうだ。
「自分の体を見ろ! そんなになってまで張るような意地か⁉」
雪下の体は全体的に蒼白で、生気がない。指先も痙攣している。爪は人間らしい血の通った桃色ではなく、白一色。肌が見える所はあちこちに黄疸や青痣ができている。血が通ってない手足から細胞が死に始めており、重篤な病人のようだった。
雪下は実際『他者』の血液で動いている常識の枠外の存在だ。ヴァーミリオンに一般人の肉体の常識は当てはまるかどうかは分からないが、人間ならすぐにでも処置をしなくてはならない。血を求めているならすぐにでも血を与えた方がよかった。
「キミには分からない……ッ!
「雪下、お前死んでも良いのかよ⁉」
「それでも……かまわない……!」
「ふざけんじゃねえぞ! お前!」
お互いがお互いの服を掴み合う。襲う側襲われる側で、すぐにでも闘争に発展しかねない気迫で食ってかかる。だが雪下は面食らっていた。彼女からしたら恨み言を言われ、見捨てられることはあっても、血を吸わないことで怒られるのだから、当人からしてみれば腑に落ちないのも当然だろう。
「お前が死に方選べる立場かよ……ッ!」
「な……え……?」
「死んだら、苦しむことも、喜ぶことも、伝えることももうできないんだぞ! 死んで居なくなるからだ! どんなに祈っても、願っても、死んだ人間は何も語らない! 生き返らない! それはお前が今まで散々他人にやってきたことだ。あの殺人鬼も、椎名も、お前が奪ってきたことだろうが!」
雪下の目の前でありったけの怒声を浴びせる。
無防備な相手を殴れない代わりに、殺された人達の代わりに、逸樹は自分でも信じられない程怒り狂った。
「なのにお前はあっさり自分で選んで死ぬのかよッ! ふざけんなッ! 甘えるな、お前は生きるんだよ! 逃げるな、お前に死なれてたまるか! 然るべき手段で罪を償わせられねェだろッ! 俺は納得しないし許さない! そこにお前の意思なんて関係ねえよ!」
「私は……ッ、私は……ッ!」
「血を吸って殺してしまうだと⁉ 上等だ馬鹿ッ! つべこべ言わずさっさと血を啜れッ! ヴァーミリオンッ!」
逸樹の気迫は凄まじく、殺しを重ねてきた雪下をも圧倒した。
殺したくなる程、目の前で挑発して、雪下から自分の意思を傾けさせればいい。
「でも……!」
雪下はそれでも尚、眉の下がった弱々しい表情を逸樹に向けるが、逸樹は黙って静かに怒り雪下を見返した。睨み付けた。
とても血を吸われる側の『か弱い人間』とは思えない太々しさを見せる。逆にそのまま喉笛を食い千切りかねない闘志に雪下も観念したのか歯を食いしばり、目をぐっと瞑る。
苦渋の決断を無理矢理強いてみせた。
「――――――ッ」
言葉はなかった。口を開けた雪下は逸樹の首筋、鎖骨より上の肉に齧り付いた。
体は密着しながらも、きちんと押さえ込まれていて、これで逸樹が暴れたとしても体勢は崩せない。無意識の内なのだろうか、押さえ付ける加減が強すぎる。
雪下の体温はないに等しく。少女の姿形をした無機質なものに圧迫されているような、人間にそぐわない感触が襲う。
「痛ッ……ぐッ⁉」
逸樹は激痛に耐えかねて声を漏らす。歯を必死に食いしばって声を漏らさないように苦悶する。
雪下の歯は尖っていない。よく映画や漫画に登場する吸血鬼と違って、歯の形は恐らく人間と同じ形をしており、犬歯も丸っこい。吸血の象徴たる牙はまるで吸血鬼らしくなかった。逆にそれがさらに痛みを齎す。顎に力を入れ、歯と歯で首の皮膚をつねるように噛み続けた。皮膚の弾力をものともせず食い破ってくる。
雪下は一度、噛むのをやめて首筋から口を離す。唾液に濡れた首には肉を抉る力で噛まれて、くっきりと歯形の傷がついた。
傷口からはじんわり出血してくる。存外に勢いよく漏れ出していた。
そして雪下はもう一度口をつける。今度は噛みつかず傷に唇をつけて吸い付く。そしてそのまま吸血を始める。
「む……ふっ……」
――なんだこれ、滅茶苦茶痛ッてえ!
雪下は未だ息を荒くしながら血をなめ回しながらじっくりと搾り取っていく。接吻にも似た光景だが、血を吸い取られている逸樹にしてみれば獲物の捕食にしか感じられなかった。
「ぐッ、ぅうう、うううッ!」
傷周りの神経が絶えず雪下によって刺激され痛みに苛まれる。血の出が悪くなると雪下は逸樹の首を締め付け、血管を圧迫することで、傷口から沢山血を出そうとする。
吸って。絞る。それを繰り返し繰り返し、時間をかけて何回も行われた。雪下の血を吸い出す力はとても強くて骨まで砕かれそうだった。
そして血が体内から出されるごとに、逸樹の体調も悪くなっていく。全身の血が雨姫に移っていくように、肌から赤みが消え、唇も青紫色に変わる。手足にも痺れが生じて全身から生気が抜けていく浮遊感に襲われる。
――意識が……遠くなる……。
急激な貧血により吐き気も強くなっていき、意識も朦朧としてきた。
――俺、このまま死ぬのかな。やっぱ死ぬのは嫌だな……くそ……。
血を必死に啜る雪下。体を締め付けられながら視界が塗りつぶされるように黒く変わっていく。自分の意志とは反して唐突にやってくる眠気。とうとう逸樹は失神してしまった。
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