二章 蒲公英の光

9.昼間の校舎にて

 [4月 15日 12時 40分 横浜市 遊佐川高校]

 四件目の殺人事件から数日経過した。事件当日は学校近くで殺人があったということで、学校側も注意喚起と見回りを実施。学生達も流石に動揺を隠せず、テレビの向こう側の話でもなくなってからは事件をふざけ半分で話題にする生徒も少なくなった。

 逸樹は被害者が既に四人目でも、人生初の殺人事件に出くわす。そして殺害された女性。報道で名前を知り、不可抗力とはいえ、亡骸を置き去りにしたという罪悪感も芽生えており、ここ最近は満足に眠れなかった。

 眠りを妨げるのはもう一つ。ヴァーミリオンという存在だ。

 それは吸血鬼の別称で、自らの血液が体内に存在せず人間の血液を啜り生きる種族。特徴は驚異的な運動神経、特異な能力、そして暗闇では瞳が輝くこと。

 そして、自らをヴァーミリオンと名乗った雪下雨姫、文字通り『輝く瞳』は、蒼い月のような色味を出していた。

 雪下の目的は現在関東圏にヴァーミリオンが異常発生する現象を突き止め、尚且つ、人間に害をなすヴァーミリオンの殺しを目的としている。所謂『同族殺し』の殺人鬼。


――そして雪下雨姫と敵対することを決意。あの蛮行を止めるためには……。


 ここで思考が止まってしまう。

 平塚逸樹は一人で瞑想するように過ごし、物事の整理をしている。

 昼休みにさしかかった直後で場所は理科室や家庭科室が並ぶ特別教室棟。昼休みにこの棟に顔を出す生徒は少ないし、学校内に限れば静かに思案するには最適の環境だ。

 逸樹は昼休みを待ちこの棟までわざわざ足を運んだのだ。授業中に物事を整理すれば済む話だが、逸樹は真面目なので授業中に関係のないことは極力避けている。

 考えをまとめにここへ来たのはいいが、逸樹は考えがうまくいかず憂鬱に悩んでいた。


「この前はああやって啖呵切ったが……」


 あの殺人事件の日、窮地を雪下雨姫に救われたが、逸樹と雨姫は考え方に根本的な『ズレ』があり、そして両者共に自身の敵であるという宣言をしたのだ。

 多感な時期の少年少女特有の宣戦布告は、表面上は青臭くて華やかに見えるが、あの時は決して、そんなオプチミスティックな雰囲気ではなかった。

 殺人という大罪。それを犯した雪下は絶対に許せない。


「だが俺じゃあ、あいつに対抗できない……か」


 あの晩、自分にできたことは捨て身に近い時間稼ぎ。さらに得た結果は一瞬気をそらした程度だった。自分に殺し合いを阻止する力が無いことは自覚していた。

 結局警察には行くことできなかった。警察は真っ先に頼るべき存在と思ったが、これまでの殺人が解決していないこと、絶対とは言えないが、警察自体があの非常識な奴らの存在を隠匿していることも考えられる。また、現状何も証拠を持っていない自分では、警察に真実を説明しきるどころか逆に矛盾を抱えて疑われてしまうだろう。

 雪下雨姫の罪を暴きたい所だが、今は八方塞がり。警察にも、両親にも、友達にも何も相談できない。元よりこの件には何もできなかった。

 結論が出ずに頭を抱えていると、先程よりもさらに悩みが増してくる。


「……しょ……よいしょ」


 踏ん張るような声が掠れ掠れに聞こえてくる。

 理科室の方からだ。理科準備室の扉が開いているから誰か居るのだろう。さっきから、ちょっとした好奇心に駆られ様子見る。


「ふ……ぬ!」


 理科準備室入り口の向こうには女子がめいっぱい背伸びをしながら棚の上にあるダンボールを取ろうとしていた。

 しかし身長が低く、背伸びをしても棚のダンボール箱を指先が当たるだけで、まるで届いていなかった。


「取りましょうか?」

「え?」


 逸樹は軽い気持ちで深く考えずに理科準備室に入った。女子は先輩かもしれないし、たとえそうでなくとも、礼儀正しい振る舞いを心がけたいので敬語を使った。

 よほど切迫した状況でなければ、落ち着いたコミュニケーションもとれる。頑固者として通っているが、なんだかんだ友達は多い方だ。我が強く、怒らせると面倒くさいという印象を持たれ易いが、いざ接してみると案外他人と合わせられて融通が利いたりするというのが周囲からの逸樹への評価だった。


「……あ」


 きょとんとしている女子の代わりにダンボールを取ってあげる。

 その女子より身長が二十センチは高い逸樹は、背伸びをせずとも楽にダンボールを取ることができた。


「はい、これで大丈夫ですか?」

「あ、ありがとうございます!」


 女子の表情はぱっと明るくなりお礼を言ってくれた。前髪で目元が隠れているが、口角の吊り上がりで表情はなんとか読める。


「あ、同学年なんですね」


 ふと見ると制服のネクタイの色が緑だった。一年生は男女共にネクタイの色が緑色だ。二年生は赤、三年生は青色。つまり色から察するに目の前に居る女子は一年生。つまり逸樹と同学年。

 女子は同世代と比べてもかなり小柄で、前髪が長く切り揃えられたショートヘアで、愛嬌のある顔をしていた。身長も低く、小動物的な雰囲気もある。


「みたいですね。あ、同学年ならそんなかしこまらなくても大丈夫です……」

「あ、ああ、ごめんごめん。初対面だとつい」


 そう言いつつ、女子の方は敬語のままじゃないかと思いながら、砕けた口調に戻す。


「えっと、助かりました! 次の授業に必要な物出すように頼まれていて……」

「そんな。別にいいよ。俺は当然のことをしただけだからな」

「あはは……」


 女子はたじろぎながらも会話を続けている、恐らく本来は人見知りするタイプであまり人との会話に馴れないのだろう。ただ健気にも人と話そうという努力をして、一生懸命になっている彼女を見ると、逸樹が抱えていた悩み事も、その間だけは忘れさせてくれる。

 そこに準備室の外から軽やかな足音が聞こえる。また誰か来たが、相手が教室に入るまで気がつかなかった。


「こんにちは」


 突然割って入るように『挨拶』をされた。凜とした涼しげ、その声を逸樹はよく覚えている。その声で自分は依然としてその人間に敵対心を抱いている現実に引き戻された。


「雪下雨姫……!」


 雪下は準備室の入り口に寄りかかっている。明らかに日本人離れした整った容姿と病弱にすら見える白い肌、準備室に差し込む光が金髪を透かしていた。初対面の女子は同性でも、やや見惚けた視線で雪下を眺めていた。しかし直後に、はっと我に返り首を横に振った。

 逸樹の形相は眉間にしわが寄り、目つきも悪くなり一気に怒りに変わっていった。

 ひりついた空気を読み取った女子も、ばつが悪そうにしていた。


「え、あ……なんか、ごめんなさい」


 そのまま準備室を出て廊下から階段を下り足早にその場を立ち去っていった。

 雪下はその女子の足取りを冷めた目つきで見送る。姿が見えなくなって尚、階段を降りる足音が完全に消えるまでずっと階段の方向を見つめ続けていた。そして、視線を逸樹に戻す。「ああ、忘れていた」と言わんばかりに気の抜けた態度だった。


「うん、逸樹調子よさそうだね。傷も何ともなさそうだね」

「は。吸血鬼ってのは、昼間出歩いても平気なのか」

「……まぁ、別に大丈夫。日光浴びて灰になるのはただの作り話だから」


 皮肉を込めた一言をまるで気にもとめず、雪下は変わらず冷徹な無表情を貫いたままだ。その表情から感情の片鱗すら読み取ることができず、表情が全く変わらず人間味を感じない。無気味でしょうがない。

 それがまた逸樹の非難の気持ちを空振りさせてしまい、怒りを煽る。


「それで。雪下、お前何の用があって来たんだ!」

「警告しに」

「何……?」

「キミさ。これ以上ヴァーミリオンに関わると死ぬよ?」


 敵である雪下からの警告。雪下はここで初めて眉を釣り上げ、表情を変えて睨みつけた。


「あの時のことはたまたま運が良かっただけからさ。次はないと思った方がいい」

「は……?」

「殺人現場に居合わせたキミはヴァーミリオンに襲われたけど、私が居なければ死んでいた。あの現場で殺された女性ひとと同じ風になってた。実際に死ぬ寸前だったよ。これ以上関わるならキミは遠からず死ぬ。だから今すぐに全部忘れた方がいい」


 凄みと説得力があった。何度も何度も、殺し合いをしてきたのだろう。逸樹の経験した死の一晩よりもっと色濃い経験をしたのだろう。だからこそ、その境地まで至った者にしか出せない説得力を有しているのだ。

 だが、逸樹も引き下がることはなかった。死の数に比例して凄みが増す相手を野放しにできない。自らの正義感が意地でも引き下がることを拒んでくる。


「ご忠告どうも。だけどな。俺は誰の犠牲も出させないし、この件に関わった人間は全員罪を受けるべきだ! 俺は俺の意地を全うしてやるさ!」


 一瞬、雨姫から目を逸らしかけたが、警告を嘲笑し、その提案を一蹴した。

 それから自身を鼓舞するように重ねて宣言した。


「いずれ必ず! お前も人殺しの罪を償わせてやるから覚悟しろ!」


 この一室での空気は実際には戦いは起こらないが、しかし一触即発とも言える状態に達していた。


「……くれぐれも気をつけて。ヴァーミリオンは、私達は何所に潜んでいるか分からないから、キミ達と同じ姿でキミ達を狙ってるから」


 雨姫は部屋を後にした。雪下は不満が残る顔で理科室近くの階段を降りていった。

 そのためか一個一個の挙動に力が入っている。一見すると小柄だが動きには荒々しく、不釣り合いな歩き方になっていた。


「キミはまだ知らないんだよ。私達ヴァーミリオンどれだけ醜いか」


 後に残された逸樹は結局、敵対関係が自分達の宿命なのだと気持ちを再燃させた。

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