8.少年の宣戦布告

 [4月 11日 8時 0分 横浜市 遊佐川高校]

 生徒がまだ疎らなこの時間に平塚逸樹は登校していた。学校の下駄箱で靴を履き替えるところだ。驚くことに腕や後頭部の傷は傷跡あったものの、完全に若い皮膚が張っていて完治に近い状態になっていた。

 結局、昨晩は目が覚めたら 吸血鬼……否、ヴァーミリオンと名乗る少女、雪下雨姫は居なかった。それどころかヴァーミリオンの男の死体も受けた傷も何もかも消えていた。

 当然目覚めて即座に警察に通報しようとしたが、自分の傷含め、証拠が何もかも残っていなかったのだ。自分でも信じきれてない内容を話しても悪戯に思われるだろう。

 混乱が止まないまま、早朝に家に帰ることになった。一日家に戻らなかったが、幸いにも両親は仕事で帰ってきてなかった。制服も少し擦れていたので、裁縫箱を引っ張り出し不慣れな手付きで制服を修繕した。

 ひょっとすると昨晩の出来事は全て夢なのかと疑ってしまう。

 『ヴァーミリオン』という人の血でしか生きることができない吸血鬼も、雪下雨姫という少女も全部幻覚か妄想なのだろうと思い始めた。


「おはよう」

「ああ、お早う。…………え?」


 逸樹はあまりにも自然体な挨拶に、なんとなくそのまま返してしまったが、その声は聞き覚えがある。視線の先の人物を見て身構えた。

 下駄箱で出会ったのは雪下雨姫その人だ。


「ゆ、雪下⁉ お前なんでここに居るんだ!」

「ん? 私もここの高校に通ってるんだけどね? 一緒一緒。気づかなかったの?」

――そういういえばコイツ、うちの制服着ていたな。最初に出会ったときに色々ありすぎて、制服がうちの高校とか全く気にならなかった。


 逸樹はどうしてそんなことを見落としていたのだと、自己嫌悪に陥ってしまう。同じ一年生用の緑色のネクタイを結び、白いワイシャツと、紺色のベストの制服。

 そして雪下には胸を抉られた傷跡が無さそうだった。制服の上だから確認はできないが、深手を負っているようには見えない。


「ひょっとして夢なのか? お前も健康そうだし、朝起きたら何も無かった……いや、昨晩、俺は本当に事件に巻き込まれてたのか?」

「全部事実だよ」


 雪下は携帯機器を取り出すと、ネットのニュースを開いて逸樹の目の前に突きだした。読めと言うことだろう。今朝のニュース速報で内容は例の連続殺人事件に関して。

 そう、平塚逸樹と雪下雨姫が昨日遭遇した殺人事件と同じ場所の。

 つまり全て事実だったのだ。


「お前ッ!」

「少し話そ」


 雪下は靴を履き替えると校内の渡り廊下の方へ歩いて行った。人気の無い場所へ移動するのだろう。その意図を汲んで逸樹も後を黙ってついて行く。外は暖かく桜の花びらが散り続けている。だがこの二人の空気は、そんな良い日和とは不釣り合いな重々しい雰囲気だった。

 逸樹は雪下を見ながら思った。昨日の全てが事実なら目の前に居る少女は殺人鬼を殺した殺人犯。自分は今、罪を犯した人間と話していることになる。十分に慎重になって話を聞かなければならなかった。雪下に悪意は感じられないが、自分も殺される可能性も捨てきれない。

 自然と手に汗が滲み出る。心臓の鼓動がはっきりと感じられるぐらいに恐ろしい。


「大丈夫、朝に何もないのは昨日のヴァーミリオンの痕跡を全て消したから。たとえキミが何をどう騒いでも誰も信じてくれないし、何も見つからない」

「何でお前はそんなことを……その、殺したりなんか……」

「多いから」

「何……?」

 

 逸樹は話を急かすような相槌をうっても、雪下はあくまでマイペースに話を続けている。


「最近ね、関東を中心にヴァーミリオンが異常な増え方をしているんだよね。原因は全く分からないけど、はっきり言ってそれは本当に危険な状態なの。多くのヴァーミリオンが人間の血を求めていたらどうなると思う? ここら辺一帯は地獄になるよ」


 答えを導くのは簡単だった。昨夜のようにヴァーミリオンが殺人を犯している、そんな奴が他にも居て、一斉に事件を起こしたらどうなるのか。多くの人が犠牲になってパニックになる。そして、あの規模の破壊が各地で起これば、どうなるかなんて想像に難くないだろう。


「同族の不始末は自分達で始末をつける。私は同じヴァーミリオンとして人間を守る義務がある。そのためにヴァーミリオンを間引いてるの」


 昨夜のヴァーミリオンの男が雪下に向かって罵倒していた言葉は確か『同族殺し』だったか。その意味がようやく真に理解できた。

 雪下雨姫は吸血鬼でありながら、同じ吸血鬼を狙う処刑人なのだ。


「横浜には前任の『処刑役』が居たけど、死んじゃって。今は私がこの地域を担当してるの」

「守る義務だとか言って人殺しを正当化するのか……?」

「逸樹、キミは初めて会ったときからすごい勘違いをしている。ヴァーミリオンは人間の形をしているだけの化け物だよ。猛獣が人を襲ったら、その猛獣は駆除される。それと同じ理屈だよ」

「雪下、それは違う。どう見てもお前らは人間だろ!」

「ううん、重ねて言うけどヴァーミリオンは『純粋に』人間じゃない」


 お互いの会話の歯車がだんだん噛み合わなくなり平行線になる。


「怪物は人間の姿をして人の目を欺く。見るべきは形じゃなくて本質なの。昨日の殺し合いを見てたよね。私達の力、性質、残虐さ、どれも人間とはかけ離れてるよね?」


 雨姫はいつものような雰囲気ではなく少し饒舌になり、刺々しい雰囲気を出して逸樹にも凄んできた。明らかにヴァーミリオン憎んでいるようだった。

 多分、自身も含めてだろう。でなければ、あのような恨みのある顔つきはできないはずだ。


「何より人間の血液。人間を餌にして生きている人間の天敵だよ。怪物は人間に関わっちゃいけない。私達は死ぬべき存在」

「……」


 両者共お互いの目を逸らす事なく睨み合っている。


「やっぱりお前は間違っている」

「……」

「確かにお前らは人とは違うかもしれない、でも思考は、主義、感情、俺たちと同じことを考えている! だからお前らは俺には人間にしか写らない。お前の言う姿形じゃなくて本質的にもだ!」

「逸樹……そんなの関係ないって。知能が高いから人間認定される道理はないよ。私達の性質、人間を糧にする。この二つの条件がそれっていれば怪物。それでいいよ」

「んな言い草あるか! たったそれだけの理由で許される殺人もあってたまるか!  そもそも怪物なら法が通じないなんてのは、お前の独り善がりの持論ロジックだ……殺していいなんてエゴだ!」


 逸樹は到底納得できなかった。平和を尊ぶ視点は雪下と同じだ。

 しかし決定的に思想の方向性に差異があるのだと感じた。雪下は吸血鬼の存在、性質、根本的に人に当てはまらない部分を見て、化け物と断じている。だが逸樹は逆に吸血鬼には人に共通するものがあると信じて人間だと庇った。

 お互いしばらく沈黙の後にまた口を開いた。


「雪下。昨晩のお前の行為はただの『人殺し』だ。立派な犯罪だ。俺はお前を絶対に許すわけにはいかない。見過ごすことは俺にとってのルールに反する。今は無理でも必ずお前の悪事を晒してやる」

「……そう」

「俺はお前を絶対認めない」


 精一杯の拒絶を目の前の雪下雨姫ヴァーミリオンに、いや、に浴びせてやった。

 自分の正義感を貫きながら雪下の全てを否定するつもりで宣戦布告をする。


「それじゃ、キミは私の敵だね」

「ああ、お前は俺の敵だ」


 そう言って逸樹は雪下雨姫に背を向けた。雪下も何事もなかったのかのように歩みを進めていった。中庭に春風が吹き、桜が粉雪のように舞い上がり、そしてひらひら螺旋を描きながら緩やかに落下していく。桜吹雪が隔てたかのように二人の距離は遠くなっていく。

 この都市の不条理に、醜悪な世界へと身を投じる決意を新たにした。

 青い瞳の吸血鬼に対する拒絶を込めて――――――。

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