7.連続殺人鬼との殺し合い
「ほざけ! 同族殺しがぁあぁああああッ!」
怒り狂った男はのめり込むような前傾姿勢で猛突進した。掌に何か握り締め、拳を上に仰げていた。待ち構える雪下も男の脳天に向けて突きの一撃を打ち込んだ。
男は切っ先が頭に届く前に、拳を思い切り振り下ろして『何か』を投げた。その瞬間雪下の背後にあるコンクリート壁が砕け散った。
だが雪下には今の一撃で分かったらしく、体を僅かに仰け反らせ、紙一重で躱す。
逸樹も遅れて分かった。これは投擲による攻撃だと、男が何を投げたのか、目で追うことすら叶わなかったが、男のあからさまな投球姿勢でそう推理できた。
だが、ただの投擲ではない。通常の投擲ではどう工夫しても再現できない領域。人では目で捉えることもできない速度、大砲のような威力を持つ剛速球だ。
――ヴァーミリオンなら誰でも持っているような力……これが。
ヴァーミリオンが持つ『能力』は個々で異なるらしい。雪下雨姫の場合は『水や氷』。この男の場合は『高速投擲』。逸樹には理解の及ばない超常的な力。
「殺す」
雪下はすかさず剣を握り治して再度斬りかかる。男は帽子の鍔を斬られながらも避け。空振りした刀剣は、すぐ傍にある道路標識の支柱を切り裂いた。鋼よりも硬い氷。殺傷生については言わずもがな。
「な、おい! 雪下!」
逸樹は手をあたふたさせながら、ヴァーミリオン同士の殺し合いを傍観するしかなかった。
そんな逸樹を見て雪下は大丈夫だからと言わんばかりに親指を立てた。戦闘馴れしているのだろう。よそ見をしながらも雪下は男から一撃も貰ってない辺り、余裕があるみたいだ。
だが、逸樹が心配しているのは雪下がその男を殺すことだった。殺人を犯させるわけにはいかない。それは正しい人間の在り方ではない。他人を見殺しにするのと同じだ。
――止めねえと!
男の大振りな能力はもう雪下はおろか剣に掠りもしない。
後ろに跳ねて下がった雪下は地面の水たまりに勢いよく足をつけると、そのまま水たまりを蹴り上げた。
「
水飛沫から氷の杭を作り上げてから、蹴り上げの推進力による高速の杭が何本も男に襲いかかった。
「うっおおお⁉」
男はとっさに腕で防御したが、右腕、両方の太腿、脇腹にそれぞれ杭が刺さり苦悶の表情を浮かべていた。そして目を背け怯んだ男めがけて雪下は剣を勢いよく振るう。
男の腹を刃が突き抜けると、男は大量に血を流し、更に慟哭する。
「がぁああああああッ⁉」
「とどめ」
男は激痛に体勢を崩して、その場に伏せている。絶好の機会と、雪下は男の息の根を止める為に胸部目掛けて剣を突き刺そうとしていた。
「やめろ!」
だが雪下はぴたりと動きを止めた。逸樹が男と雪下の間に割って入り、雪下を制止した。腕を掴み、逸樹は悲痛な眼で見て訴えかける。血まみれで瀕死のヴァーミリオンも雪下もどっちも予想外の事をされて動揺している様子だった。
「さっきから殺すなと言ってるだろ! それ以上は許さない!」
「……。キミには関係ない。これは私達ヴァーミリオンの問題」
「生きてるなら誰だろうと関係ない! お前らも同じ人間なんだ!」
「キミは――――」
「ひ、ひひひ! 甘ェんだよォ!」
笑みを浮かべた男は小石を拾って起き上がり、逸樹に向けて零距離で投擲してきた。これだけの怪我を負った人間なら、起き上がることもできない。既に無力化していると逸樹は勘違いしていた。そだが、れが命取りになった。
相手はヴァーミリオン。人間を超えた運動神経を持つ。
「ッ――――――――――……?」
逸樹は眼をぐっと瞑っていたが、しばらくしても痛みを感じず、恐る恐る眼を開けた。
「な……おい……ど、どうしてお前が!」
そこには逸樹と男の間に立つ雪下が居た。大砲のような威力の投擲を食らい、胸部を抉られていた。男の腕を押さえつけて止めたことによって直撃は免れていたが、鮮血が周囲に飛び散っていた。雪下はそのまま男を蹴り飛ばすと、男は道路を転がっていく。
「雪下、おい!」
雪下も力無く倒れて立膝を付いてしまう。すぐに雪下に駆け寄るも、雪下は弱々しい目つきになっていた。
「おい! おい!」
「ッ――――。キミが変な無茶するから……」
傷は気管に達していたのか、雪下の口からは赤い血が滴っていた。
――俺のせいだ……俺のせいだ! 俺が余計なことをしたせいで雪下が!
「うぅ……うぉおお」
「あの野郎!」
「血を……血ぃ……吸わせろ……血」
男が起き上がった。
猟奇的な表情はとても人間には見えず、血に飢えた猛獣そのものだ。
――このままじゃ死ぬ。殺される。多分全力で逃げれば、俺だけは逃げ切れる。しかしそれは却下、主義に反する。こいつら二人は悪人だが、そんなことは関係ない。時間が必要だ。雪下が逃げられるだけの時間。やることはもう決まっている。
逸樹には思考が巡り、吹っ切れたように男に向かって飛び掛かった。
「うおおおおおぁあああ!」
逸樹は男にしがみ付いた。殴るのではなく、制圧が目的だ。男ともみ合いになる。
しかし相手は満身創痍でも力で競り負けてしまう。逆に爪を立てられ皮と肉に食い込んで、千切れ深い爪の傷をつけられる。
その鮮烈な激痛は、争いとは無縁な日常を送っていた高校生にとっては耐えがたいものだった。
「ぐぁあああ! いってぇええ!」
逸樹の腕は引っかかれた傷口からは、フルーツの果汁のように血が飛び出してくる。男はそれを舐め回そうと吐息を漏らしながら。さらに力を入れてくる。
「くっ……ぉ! 馬鹿力が!」
目的は男に掴みかかるだけではない。彼らの身体能力が高いことは承知済み。
だから力で押さえつけるのではなく、工夫して押し倒すのだ。
「おらぁあああ!」
「が⁉」
逸樹は男のシャツの襟をつかんで、体を捻り肩の力で男を持ち上げる。そしてそのまま背負い投げをして男をアスファルトに叩き付けた。
思った通りだった。ヴァーミリオンは有り得ない怪力を発揮するが、相手も人間と同じ姿。なら重さも同じはずで、投げ飛ばすこともできるはずだった。学校で習った柔道の技を綺麗な形で再現する。
しかしそのまま押さえ込もうと男に組み付いたとき、男の掌は逸樹の顔を掴んだ。男の持っている能力は投擲だったことを思い出す。あの男は手に収まる小さな物しか投げてこなかった。だから人間の頭、それも胴付きの人間一人の重量を投げ飛ばすとなると、速度も出ないらしい。
だがそれでも、逸樹は数メートル投げ飛ばされて道路のガードレールに後頭部を強打した。逸樹はそれがきっかけで脳震盪を起こして視界が歪む。
「ぁ……――――――」
「このクソガキがあああ!」
よろけて酔っ払ったように覚束ない足取りの男。そんな状態でもヴァーミリオンの能力を使う。今度は道端に落ちている金属部品を手に取り、逸樹の頭に狙いを定めている。そのまま破裂させようという魂胆だろう。だが、それを実行するには至らなかった。
雪下雨姫が起き上がり、剣の切っ先を男に向けたからだ。
「平塚逸樹。キミは本当に無茶をするね」
「う……、雪下……?」
氷の剣を携え、金の髪と麗しい青い眼の吸血鬼が男の目の前に立った。
「あとは私がやる」
周囲から水が集まり、大量の飛沫が勢いよく周囲を旋回していた。水はまるで毛を逆立たせた生き物にさえ見える。
何度も邪魔された男は雪下を見るや、声にならない叫びを上げて、掌の表面から血が滲む程の力で全力投球をしに来た。雪下は落ち着いて剣を両手で構えた。
「すぅ――……!」
男が投げた物は螺子数本。まるでショットガンのように拡散され、とても人の肉眼では追い切れない速度で放たれる。こんなものが直撃すれば、たかが螺子とはいえ肉を食い破り、骨を砕くだろう。つまりは銃弾と同等の威力。
しかし、ヴァーミリオンの強肩と能力を合わせた技を雪下は見切った。その螺子の弾丸を動体視力ではっきりと捉えていた。弾幕の安全地帯にステップしながら、相手と間合いを素早く詰めていく。
投擲物を軽々と躱し切り、氷の剣を両手で持ち直してから力と勢いを溜めた。そして男を頭から斜めに体を一刀両断する。髪、皮膚、頭蓋、脳髄、それを一瞬のうちに二つに分かち、首、喉、心臓をするりと切り裂いた。
それから遅れて飛び出てくる血は赤黒く、どろりとして穢れていた。
ヴァーミリオンの男は一回だけ大きく痙攣したが、すぐに体が崩れ落ちて地面に血の池を垂れ流し続けていた。本来、皮膚と骨の中に納まっていたはずの臓物や内容物も一緒にこぼれ落ちて。
皮肉なことに猟奇殺人を犯した者の末路は、自分が殺していった人間と同じような姿に成り下がり死んでいった。
そして絶え絶えになる意識の中で逸樹は見た。穢れた血潮を浴びながら冷徹に佇む雪下雨姫を。
……
「逸樹、逸樹」
雪下に起こされてようやく目が覚める。どうやら暫く意識を失っていたらしい。
逸樹は急な呼び声で意識を取り戻し、これまで何があったかをだんだん思い出していく。先程までの事の顛末は朧気にしか覚えていないが、あたりに満ちる静けさと自分が無事であることから推測するに事態は収束したのだと感じた。
「雪下……」
「あ、起きた」
雪下は地面で寝ている逸樹の顔の前でしゃがんでいる。
後頭部は痛みと鼓動が脈打っている。疲労感がもの凄く、気を抜けば今にもまた眠ってしまいそうだ。瞼は重くなって意識や思考も途切れ途切れだ。
制服も擦れて腕も血だらけだった。とても風紀ある正しい姿ではない。今の状況を他人に見られたら何て言われるだろう。
このような格好は警察官に見つかればすぐさま補導されてしまう。
だが今は風紀を気にするよりも、まだ聞くことが山ほどある。絶対に聞かなければならないことが山ほど。まずは意識が途絶える直前に見た、あの出来事を確かめる。
「おい……あの男どうしたんだ……⁉」
「殺したよ」
「……お前! なん、で……なんでだよ!」
「あの場の最善は、殺すことだったから」
顔を腕で覆って必死に感情を抑えた。重篤な犯罪を止められなかった無力感、単純に人の生き死に様を近くで感じての情けや哀れみも含め、悔恨の念から唇を噛みしめた。
それを見て雪下は俯く。だが逸樹からは雪下の表情までは読み取れなかった。
「やっぱりキミは優しすぎるよ」
「ふざけ――――――――――」
「おやすみ」
逸樹は言葉を振り絞る前に事切れてまた意識が混濁した。雪下雨姫が体に何かしたのかもしれない。視界が暗転し、また深い眠りについた。
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