6.ヴァーミリオンについて

 外はすっかり夜になった。黄金色に輝く月が浮びあがり、黒々とした空が広がる。遠くからサイレンの音が鳴り響いている。きっと今起きた殺人現場に向かっているのだろう。

 雪下に連れ出され、辿り着いたのは現場からそう離れていない雑居ビル。

 周囲の光源は乏しく、路地裏とそう大差のない所だが、雪下が言うには人混みは避けたいらしい。ビルの階段を上り三階建ての屋上で一息つくと雪下は続けた。


「ヴァーミリオンはね、吸血鬼なの」

「吸血鬼なんて居るわけがない」

「世間一般の吸血鬼とはまた別モノ。私達は『自分の血液』を持たず、人間から血を奪うことによって生き延びてるの。ヴァーミリオンの体内には『人間の血』のみが循環する。そういう種なんだ」


 逸樹は話を半信半疑で聞いていたが、表面的な態度は常識的に考えて有り得えないという態度を取っていた。


「はっ……口から出任せを言うなよ。誰が信じるか」

「キミは実際に見たでしょ。私達の力を。それが何よりの証明だと思うけど」

「……っ」


 二階分までジャンプしたあの男の運動神経、連続殺人の不可解な手口、この少女達の光る瞳。それらは否応なしに彼女らの存在に説得力を持たせてしまう。否定したくても認めざるを得ない。


「自分の血が無い吸血鬼ってなんだよ。輸血でもしてるのか?」

「全然違うけど、今はその理解でいいよ。人間の血だけが巡ると言っても、本来は私達の血じゃない。だから体内に取り込んだ血液は、次第に腐るから新しい血液を取り込まなきゃいけない。新鮮な血が無いと生きてはいけない。だから人間から死にもの狂いで血液を奪いに行く」


 血が無い人種と考えれば幾分か納得できる。他生物の細胞を奪って自分の物にする生物だってこの世には存在する。

 ヴァーミリオンという存在の場合、それが血中細胞だったという話なのだろう。


「警察も発表はしてないだろうけど、被害者は皆、血が吸われていると思うよ」

「不可解なことはまだまだある。お前の氷の剣はどうやって用意した! それに連続殺人の手口だって!」

「それも説明してあげる」


 雪下は屋上にある水たまりの近くで座り込み、指で水をつついた。


「な……⁉」


 水たまりから水が浮いて出た。無重力に晒されたように雫が宙を漂う。まるで水に意思があるかのように、水たまりから蔦のように水のロープが生い上がる。

 そして今度は浮いている水が凍り始めた。氷結時の弾ける音がすると、瞬く間に氷細工が出来上がった。雪下はあまり表情を変えないが、僅かに得意げに笑みを浮かべた。


「別に珍しいことじゃないよ。ヴァーミリオンなら誰でも持っているような力だし。ああ、それと何よりの証明になるのはコレ」


 雪下は額に手を当て、遠くを見渡すような仕草をする。手のひらの影が丁度、眼を暗くした。

 すると雪下の瞳は月のように青く輝きだした。


「私達の瞳は暗闇にかざすと薄く輝く。それがヴァーミリオンの証」

「お前、本物の吸血鬼なのか……」

「まあ他にも身体能力や生命力は人間よりもずば抜けてる怪物なのは分かってもらえたかな?」


 最早、詐欺や手品かと疑うことすらできない。


「さ、もう十分納得したなら帰りなよ。あのヴァーミリオンなら殺しておくから」

「は? 殺すだと⁉」

「うん」

「お前、本気なのかッ!」


 いきなり雪下から出てきた言葉に逸樹は動揺した。


「話が飛びすぎだ! いきなり殺すって……警察に相談は⁉ 逮捕して貰うのが普通だろ!」

「誰も私達を信じない。無理だよ」

「殺人がどういう意味か分かって言ってるのか⁉ 犯罪だ馬鹿!」


 落ち着きかけていた逸樹の気分はまた逆戻り。否、先程よりも明確な敵意を持って雪下を睨み付けた。だが、敵意を向けられた雪下は、「はあ」と溜め息をつき呆れた顔をしていた。その態度がさらに逸樹の神経を逆撫でにする。


「犯罪者であれ人を殺すなと言っているのが分からないのか!」

「あのね、ヴァーミリオンに法なんて当てはまらない。なぜなら私達は人間じゃないから。現にヴァーミリオンが殺人を起こしても、警察は『人間の犯行』として調べる。 ヴァーミリオンは人の犠牲で成り立つ生き物。だから暴走した奴らが人に手をかける前に殺さなきゃいけない」

「言ってる意味がわかんねぇよッ!」


 この娘は壊れている。命の尊厳なんて元々知らないかのような態度。むしろ人を殺すのを悪いことだと思わない。そんな純粋さが残る分、尚更質が悪く聞こえる。


「きた」

「な、何が」


 いきなり雪下が真横を向き始めた。反射的にその方向へ向いた動きはまるで、猫を脅かしたときに身構えられるあの姿を連想させられる。逸樹には、人間には感じられない何かをこの『吸血鬼』は一早く感受した。


「さっきの奴が嗅ぎつけてきた」

「おい! こら!」


 すると雪下はいきなり逸樹の肩を掴むと、力尽くで引っ張り上げる。

 細腕一本からは想像もできない怪力で逆らえる余地もない。体勢を崩されると、背中と膝裏を持ち上げられ雪下にお姫様抱っこされた。

 当然ながら逸樹は赤面してじたばたと暴れるが、雪下はお構いなしに抱きかかえたまま、雑居ビルの屋上から下を僅かに目視すると飛び降りた。


「うぁあああぁあああッ⁉」


 刹那の浮遊感の後、全身に鳥肌が立つ感覚を味わいながら二人は落下していく。

 そして一瞬の内にビルの隣に駐まっていた車に着地する。十メートルはあるだろう高さからの落下。車のフロントガラスと金属が粉々になる音からして、もうそれは上からの激突と言い直してもいい程の衝撃だった。

 抱かれている逸樹にも痺れるような衝撃は来ていたが、傷を負うことはなかった。車に足から落ちた雪下は無傷。にわかに信じたいが、逸樹の重さを含めた全落下の衝撃を全て脚で吸収していたのだ。

 この細足で無事でいられる事自体、人間では到底あり得なかった。

 逸樹の体は無事ではあるが、精神的な衝撃は大きく、心臓の鼓動が激しく波打ち腰を抜かしていた。声も痺れたかのように擦れ擦れになっていた。


「と……とび、とび、飛び降りるなら一声かけろォッ!」

「もうすぐ近くまで来てる。悠長なこと言ってられないから」

「お、お、おろせえ! あと車! 器物破損!」

「調子狂うなあ……とりあえずキミ安全な場所に運んだら――――」


 雪下は硬直した。そして目を見開き道の遙か遠くを直視する。視線の先に居たのは、先程の野球帽を被っていた殺人犯だろう。男は逸樹達を見つけるなり、走って迫ってきていた。


「み、見つかってるじゃねえか! 結局!」

「丁度いい。探す手間が省けたよ」


 数十メートルの距離を一気に詰めていく。野犬が疾走するような速さから、それはは路地裏の殺人を犯したヴァーミリオンで間違いなかった。

 逸樹にはつい今しがた遠目からどうにか見えた殺人犯だが、雪下はそれより前に見るまでもなく気が付いていたことになる。


「見つけた……血が足りねぇんだ! オレのナカの血は使い物にならネぇ……」


 男は見るかに調子が悪そうだった。蒼白の顔で息を荒くして近づいてくる。男は二十代ぐらいと思われるが、衰弱と憔悴が現れた表情は老けているようにも見える。男は涎を垂らしながら、血走った眼で逸樹に狙いを定めている。ここで逸樹もようやく自分が狙われていることに気が付いた。


「なぁ、おい……そのガキをオレにくれよ……お前はだいぶ余裕そうじゃねぇか」


 街灯の届かない暗闇の中で雪下と男の瞳はそれぞれ輝きを放っていた。その瞳が輝くときはまるで、殺しの切り替えのように。


「能力発動――――!」


 雪下にとして下ろされる。地面に転げ落ちた逸樹は痛そうにしたが、雪下は眼前の敵の排除することに意識を集中させている。雪下は制服下の腰回りに装着しているペットボトルホルダーを外し、ミネラルウォーターを開けた。

 すると水は容器から這い出て雪下の手に集まる。そして薄く延びて、凍り付くと最終的には九十センチになる氷の西洋剣を作り出した。


「ヴァーミリオンは生きちゃいけない。だから――――死んで」


 剣を構えた雪下雨姫の目つきが変わった。


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