5.青の少女吸血鬼

 その氷の刃は鋭くて、透き通っていた。氷の中には気泡一つ混じっておらず、まるでガラスでできていると錯覚するような優美な氷。それでいて肌が痛くなる程の凍てつくような冷気を発し、繊細で美しい剣だった。

 その剣は地面に座り込んだ逸樹の上から首元の経脈に音もなく突き付けられている。刃に詰まっている殺気で全身が突き刺されるような気分だ。

 逸樹は今、誰か知らない女に刃物を向けられている。その女は逸樹の右後ろに立って見下ろしている。

 鋭い氷が首元を冷やしているにも関わらず、逸樹の首筋からは汗が滝のように噴き出てきた。

 ゆっくりと逸樹は振り返った。意地か、状況把握か、それとも好奇心か、立て続けに遭う恐怖で麻痺していて、自分自身でも分からなかった。


「え……?」


 逸樹の目に映ったのは青い瞳の少女だった。青い瞳は暗闇の中でも煌々と薄く、静かな輝きを放っていて、逸樹が真っ先に連想したのは見たこともないはずの青い月だった。夜に染まらず光を灯した少女の青い瞳は悍ましく、とにかく鮮烈な畏れを抱かせる迫力だが、それと同時に見る者を魅了してしまう妖艶さも兼ねていた。

 逸樹は恐怖と美しさが混在した意識で満たされて、自分が置かれた立場を忘れている。

 その少女の輝く瞳に目を奪われていたのだ。


――何者だ、このは……目が青く光ってる……⁉


 しばらくその瞳を見つめた後、ようやく瞳以外にも視線が行く。

 髪の毛は淡い金髪。少女の一動に合わせてなめらかに靡いている。

 長さは肩を越す程度で、髪の毛を黒いリボン束ねてハーフアップにしている。

 肌は透き通るような色白で、一目見ただけでも弾力があって柔らかそうな、例えるなら赤ん坊のように綺麗な肌だ。顔立ちは髪や肌よりも目を引き端正だ。まつ毛は長く瞳は二重で大きく、無表情でも華やかさがあって、上手く形容できないが綺麗な顔立ちで面食らう。体格も小柄で学生服を着ている。

 正直、醜悪な顔を連想していたが、目の前に居るのは、日本人離れした西洋系の血の混じった美しい少女だった。

 その美形だけに制服と少女と氷剣のミスマッチさに次第に意識が正常に戻されると、逸樹は現状を理解し始めまた冷や汗をかき始めた。


「お、お前……!」


 逸樹は思考を回転させた。今まさに惨殺された死体がある出来たての殺人現場にいる。

 女性の死体があり、そして氷の剣を持った少女が自らに刃物を突き付けている。発見者である自分を殺そうとしている。そうなればこの少女の正体はただ一つ。殺人犯だ。

 つまり次に殺されるのは―――。


「お前が殺したのか?」


 煌く瞳の少女は手に力を入れて、剣を激しく振るった。

 口封じのために殺されると確信した。


「――――!」


 だが少女は逸樹を切りつけはしなかった。

 代わりに逸樹の頭上で剣を振りかぶると、鈍い音が路地裏に鳴り響く。逸樹の頭上で『何か』とぶつかり、少女が持っていた氷の剣が砕けた。


「な……⁉」


 逸樹は始め、頭上で何が起こったのか理解できなかった。

 氷の粒が降り注ぎ、さらにこの場にもう一人野球帽を被った男が現れたのだ。いつの間にか居たその男もまた、確かな殺意を向けている。男はあからさまに憤って顔を歪めていた。


「チッ」


 男は上から降ってくるように現れ、逸樹に対し不意打ちを仕掛けてきた。だが失敗に終わり舌打ちをしている。

 この暗闇で男の瞳もまた光を宿していた。瞳は若葉のような緑色に輝き、恐ろしく闇に不釣り合いな色だった。

 男は逸樹だけではなく、少女に対しても殺意を向けている。この二人は共犯ではないらしい。

 一方、少女の方は、氷の剣が粉々に砕けてしまったが、そんなこともまるで気にも留めず、折れた剣を男に向けてもう一度切り付けてきた。氷は美しい軌道を描き、風を切るような一瞬の斬撃を行う。

 素早い斬撃に対し、男は体を反らして躱し即座に後ろに跳躍した。

 その跳躍の高さはおよそ人間の限界を超えており、男の身長の何倍も跳び上がった。男は建物の二階に取り付けてある室外機の上に乗り、もう一度同じ跳躍を繰り返して屋根に登りそのまま姿を消した。


「逃げた」


 映画のワイヤーアクションのような大跳躍を目の当たりにしても、少女はすまし顔だった。対照的に逸樹は状況の半分も理解できないまま、呆然と座り込んでいるだけだった


「あ……あ……?」

「……キミ大丈夫?」


 少女は片方の革靴の踵を軸にして、くるりと回って逸樹のほうを向く。先程の残酷さを伴った無表情さはがらりと変わって、穏やかな顔つきで話しかけてきた。まるで別人のようだった。


「間違えちゃってごめんね。キミが犯人かと思った」

「そ、そんなことはどうでもいいッ!」


 逸樹もようやく目まぐるしく変化する状況に、理解と感情が追い付いてきた。そして起き上がると目つきが鋭くなり捲し立てるように少女に指をさして怒鳴った。


「この女性を殺したのは、お前の仕業か⁉ お前は何者なんだ!」

「私は雪下ゆきした雨姫あまき。『ヴァーミリオン』と呼ばれている吸血鬼――」

――ヴァー ……吸血鬼だと? こいつは何をふざけたことを言っているんだ?

「そして同じヴァーミリオンを殺し回っている『処刑役』だよ」


 雪下雨姫。そう名乗った少女は横たわる女の死体には無関心で、わずかに一瞥をくれてやっただけ。まるでもう見飽きたかのような反応を示している。


「あと、コレをやったのは今逃げた男だよ」

「今はそんな場合じゃない。雪下と言ったか。け、警察を呼ばせてもらう! いいな⁉」


 逸樹は目一杯拳を握り締めて雪下を睨む。無論目の前の少女が犯人で嘘をついていて殺されるかもしれない可能性も否めない。


「警察ならもう呼んでおいたから大丈夫。すぐ来てくれるよ。じゃあ私はこれで」

「待てッ! 死んでいる人を放っておくのか⁉」

「うん」


 雪下という娘は逸樹の凄まじい剣幕にもまるで動じず、飄々とした態度で受け答えていた。それが余計に逸樹の癪に障ってしまう。


「ふざけるな! お前には説明の義務があるはずだ! 人が死んでいるんだぞ⁉ 状警察を呼んだだけで立ち去るなんて常識がないのか! それに氷の剣そんなものを持っているなんてお前は怪しい。だから、ここは通さないぞ!」


 逸樹は一本道の路地裏に立ち塞がった。少女は気怠そうに顔を顰める。


「通すも何も、キミもここから消えなきゃいけないから」

「な……! 俺を殺す気か⁉」

「そうじゃない。キミはさっきの奴に顔を見られてるよ。アイツは戻ってくる。目撃者である私達を殺しにね。アイツの殺人はまだ終わってない。ターゲットが増えただけで、まだ殺し続ける最中」


 目を光らせる少女は、輝きのない疲弊しきった逸樹の目をじっと見つめていた。


「詳しい話が聞きたいなら、しょうがないけど話してあげるよ。だけどここじゃ危険。それは分かってくれる?」

「そう言って逃げるんだろ。今からお前を警察に突き出す」

「キミの話を信じる人、いないと思うけど?」


 冷静に考えれば雪下の言うことも一理ある。二階まで飛び、目が光る吸血鬼を名乗る者が殺人を、なんて話はとても現実とは思えない。ここで無理に話をこじらせる必要もない。話を聞く価値はあるはずだ。この少女を逃がさない目的を含めてだが。


「ひとまずは……いいだろう」

「ところで、キミの名前はなんていうの?」

「平塚逸樹だ」

「よろしくね逸樹」


 雪下は一瞬だけ微笑みを見せた。

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