3.平塚逸樹の日常②
少し歩いてから学校にはすぐに到着した。
県立高校『
入学してまだほんの数日も経たない逸樹にとって、馴れない新しさは言葉にし尽くせない高揚感を抱かせてくれて、それが細やかな心地よい感覚でもあった。
午前から昼過ぎにかけて日の光が強く差す玄関口。そこに下駄箱がある。
光沢のあるローファーを脱ぎ真っ白な上履きに履き替え、自分のクラスである一年一組まで階段を上がっていった。
教室に入ると、クラスメイト達がいつもよりもどよめいていた。騒ぎ方や不穏な言葉があちこちから聞こえる。今朝のニュースでも放送していたように、校内でも連続殺人事件の噂でもちきりだった。
クラスメイトとは知り会って間もないが、普段とは違う妙な熱に浮かされているのは表情と会話、断片的に拾う殺人事件の内容だけですぐに分かる。
逸樹はクラスメイト達とお互いにおはようと声を掛け合いながら自分の席についた。席替えもしておらず、廊下側から名前順に配置されているため、席は窓際の席から一つ左、最後席にある。
苗字がマ行だったら日当たりのいい窓際に座れたと悔やんだが、詮無き事だ。
「殺人ってこの辺だろ?」
「もう三人目だってね」
「全員惨い殺され方したってさぁ。ヤッベ~」
雑多な話し声が教室を飛び交う。彼らにとって殺人は恐ろしく残虐な行為と認識しているはずだが、それでも非日常的な事の起こりに興奮を隠せないのだろう。
まだ入学して他の彼らにとっては知らない子達と話すきっかけ作りや、あるいは近隣で起こった殺人に対して推理をすることによって、ちょっとした探偵気分を味わうにはもってこいの話題なのだろう。そんな彼らを遠巻きに見て、逸樹は顔を顰め悪態をつく。
「不謹慎な奴らだな。人が殺されたのになんであんな楽しそうに話す?」
「よ、逸樹。皆殺人事件で盛り上がってるな!」
机に頬杖をつくと、後ろからいきなり話しかけられた。
「尚也……」
逸樹に話しかけた少年は
肩まで伸びた明るい茶髪、サイドは刈上げ、ピアスを開けてシャツのボタンを二つ外している。加えて緩めたネクタイと制服もだらしなく着ている。
見るからに『チャラい』姿だが、高身長で鋭い目に、顔立ちは同年代とは思えない程に大人びており、妙な気品がある美男子だ。軽快な見た目もそれに伴いとても似合う。男から見てもイケメンだと持て囃しそうになる。逸樹の顰め面とは対象的に、にっこりした笑顔を絶やさない。
彼はふらりとした足取りで逸樹の座る席に近づく。
「尚也、殺人事件はそんなに娯楽に映るのか?」
「誤解するなって! 人が死んで楽しいわけじゃない、殺人鬼が近くに潜んでいると生活にスリルが出てくるってもんだろ」
「やっぱり不謹慎な気がするな。非日常に憧れるにしてもあんまりだ」
悲劇的な死とはそれ自体が許容できなくても、印象深く残り続ける。尚也の言わんとしていることも逸樹とて理解はできる。しかし、犯罪や人の不幸で浮かれるのはどうにも共感できなかった。
「相変わらず堅物だなぁ。まんま
「あ、お前! 学校ではスマホを開くな!」
「はいはいうるせー」
尚也はスマートフォンを手に取ると、ニュース動画を表示して逸樹の席に立てて置いた。
[遺体は一部が激しく損壊しており、連続する通り魔事件の可能性があると思われます。さらに今回の殺人は不明な点が多数あります。警察への取材の結果、犯行方法は勿論、凶器の発見にも至っておらず、未だに捜査の進展がない状態です。またネット上では、この一連の連続殺人について……]
事件のあらましを見て、逸樹は深いため息をつくと画面から目を逸らした。
「もういい。分かったからスマホをしまえ」
逸樹はただ事件を面白半分で傍観している同級生とは違い、本気で事件を起こした犯罪と、その犯人に対して激しい憎悪の感情が芽生えてきた。
「こんなものは犯罪行為を手品みたいな演出しようとしている悪辣な行為だ。絶対に許せないな」
「お、興味湧いた?」
「興味なんてないッ!」
逸樹は尚也を睨む。これ以上不謹慎な軽口をたたけば、その口を塞ぐと言わんばかりの顔をした。しかし尚也は、一瞬気まずそうな顔を見せたが、すぐに顔色を変えて持ち直した。
「まあまあ、オレが悪いわけじゃないだろ?」
「……まあ、そうだが。この話はもうお終いにしよう。いい話題ではないだろ」
「そだな。朝っぱらからするもんじゃないな。するなら、クラスの女子についてだな……」
「その話も却下だ」
舌を出して逸樹を茶化す尚也を叱り飛ばし、お互いこの話に触れないことでその場は収まった。
……
学校も入学したてとなれば、本格的な授業開始ともいかず、その日は各担当教科の先生の自己紹介や授業説明を受け、一日が過ぎていった。放課後までに殺人事件に関心を持って話す者も少なくなっていた。今日は何所に遊びに行くとか、部活は何に入るとか、そんな日常的で学生らしい会話にすっかり戻っていった。
彼らにとっての『連続殺人』は、そんなしつこく話題にする程の魅力はなく、単に新しいクラスメイトと話題のタネであり、消費するだけのゴシップでしかない。
新入生の大半は既に部活見学や、新しい友達と遊びに出かけるといった日常に戻っている。
「尚也、今日は気をつけて帰れよ」
逸樹は席を立ってバッグを肩に掛けた。
「お、一緒に帰らんの?」
「通学路の見回りしてくるんだよ。連続殺人犯がこの地域に潜んでいないとも限らないからな」
「げ……オマエそんなことやってんの? それ普通は先生がやることだろ?」
もの凄く引きつった笑顔をみせる尚也。きっと内心、物凄く変な真面目君と思われているに違いない。
「俺を誰だと思っている。風紀委員会所属になったんだぞ? といっても見回ったらすぐ帰るし、怪しい奴がいないか見るだけだ」
「逸樹、オマエなあ……マジなの? それやってなんか意味あんのかよ?」
「自己満足だ。意味がなくても、俺の気が済むまで地域や社会に貢献するだけだ」
だが逸樹はそんな露骨な態度を見せられても意にも介さない。
何故なら今日一日で逸樹にはある使命が芽生えたからだ。
「それに殺人なんて、最も秩序を乱す反社会的な行動が許せないからな! 身の回りに起こっているだけで腹立たしい!」
「は、はは……まあ、気い付けろよ」
「ああ。また明日!」
そう言い捨て、教室を後にした。
別に善行をして優越感に浸りたいわけでも、ましてや犯人を捕まえて目立ってやろうという気もない。ただ自分の日常が脅かされることに、調和のとれた規則正しい周囲の環境が脅かされることに耐え切れず、居ても立ってもいられなくなっただけだ。
何故なら、平塚逸樹は『規範の従僕』だからだ。
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