一章 連続殺人事件・邂逅

2.平塚逸樹の日常①

 [4月 10日 7時 10分 横浜市 神奈川区]

 春の陽光が射すマンションの一室。

 平塚ひらつか逸樹いつきは高校へ入学して早々、気を引き締め、登校の支度をしている。部屋の食卓の上には朝食のパンと飲みかけの牛乳、食べ終わった空の食器。テレビをつけてニュース番組を流している。

 自宅から三十分もあれば余裕で間に合う。むしろ今から出たら早すぎるぐらいだ。


[今年三月に売却された横浜アークランズタワーですが、売却先は非公表となっております。その買収金額は延べ数千億円に上り――]


 深縹こきはなだの制服のブレザーに袖を通し、逸樹は食い入るようにニュースを見ていた。普段ニュース番組はつけっぱなしで特に注視しておらず、時計かラジオ代わりにしていたが、内容が内容なだけに今日は注目せざるを得なかった。


[続いてのニュースです。横浜市で起こる連続殺人事件ですが、既に市内では三人が犠牲になって――]


 場面が変わり、ニュースキャスターが現場で身振り手振り交えて状況を説明しているが、わざとらしく騒ぎを煽るような伝え方で、不謹慎さを覚える。


「はぁ、全く無秩序な世の中だ」


 逸樹は一連の事件への不合理さや悪辣さに不快感を露わにしつつ、テレビを消す。


――身だしなみよし。


 服装の乱れがないかもう一度確認をする。シャツのボタンも第一ボタンまで全て留めてネクタイもきつく締め上げる。キッチリしすぎた制服の整い様はカタログの見本を彷彿とさせる。

 黒髪を分け、引き締めた口元に睨み付けるような目つきで、いかにも生真面目な雰囲気を漂わせている。

 顔立ちは整っている方だと本人も自覚しており、正統派の眉目秀麗。

 同年代の男子に比べれば背丈も平均より高く、体つきにも恵まれている。面構えも凜々しく、年齢より少し大人びているように見られもする。

 仕上がった格好に満足がいき、通学バックを肩にかけて自宅から出た。

 外は空気がまだ少し冷えているが、眩しい朝日の下はじんわり暖かい。ビルの硝子や車の車体に光があらゆるものに反射して町全体を輝かせている。

 年々開花の次期が早まっていく。しかし早くも桜が散りつつある。今年は遅咲きだった桜も、既に見納めの時期にさしかかっていた。


「おっと、赤信号か……」


 短い歩道で足を止める。距離にしてほんの二メートル程度で見晴らしも良く、車も滅多に通らず、大抵の人が信号を無視するような所だが、逸樹はここを赤信号で渡ったことがない。

 平塚逸樹は風紀を重んじる。学校では風紀委員会に所属を希望し、ポイ捨ても、信号無視も決して破らない。日常生活での気の緩みを見せず不気味な程に『規範』を守る少年である。

 自身にとってのアイデンティティは『規則』であり、神経質なまでに整理整頓や自分が課したルールを徹底する。つまり絵に描いたような頑固者なのだ。

 ルールを絶対に守る『規範の従僕』。それが平塚逸樹をそうたらしめるものだった。

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