銀朱殺しの青
爪臭
EP1 月の瞳は雨に蓋われ
序章 碧眼の吸血鬼
1.ヴァーミリオン
吸血鬼――――。
その言葉を聞いて人は何を思い浮かべるだろうか。
伸びた犬歯。日光を浴びると灰になる。大蒜が弱点。昼の間は棺桶で眠り、夜に活動する。容姿は蒼白な肌に貴族風の衣装を身に纏う、そして何よりの特徴は吸血鬼と言う字の如く『人の血を吸う』ことである。誰もがこの想像にすぐ至る。
比較的近代の映画で確立された様式美とも言えるその姿、古典的な吸血鬼像はこの現代社会にも深く浸透している。
ただそんな話をしても『ただの伝承』と一蹴され誰も信じないだろう。
しかし彼らは確実にこの世に存在している。
実際の彼らは犬歯が発達しておらず、日光や大蒜も弱点になり得ない。
また吸血鬼は何故血を吸う理由についても血液を栄養源にするのとも、本能的な衝動とも少し違う。ましてや血を吸って仲間を増やすのは近代小説の中のお話だ。
吸血鬼が吸血する理由。それは自分の血液が存在せず、故に他者の血液で補う必要があるから。
空想と現実であまりに乖離した特徴を持つが、彼らはこの現代に確かに在った。
「助けて、助けてッ!」
夜が更け、空には白い月が出ているが、流れの早い雲が月を隠そうとしていた。
閑散とした商業施設、屋上に続く血痕、その先にはここに勤務している若い女性が足を引きずりながら逃げ回っていた。
女は右脚を酷く損傷していた。鋭利な物が貫通し、肉は抉れて、骨まで削れ、傷口の反対側まで見える程の広さで、その傷口から目印のように血を垂れ流していた。使い物にならない右足を補う為に、壁に手をついて片足だけで跳ねながら進む。
必死の形相で歯を食いしばりながら、死に怯えながら、涙を流しながら、ただ元凶から離れる行為に終始する。
「うぅ⁉」
暗闇から放たれた凶器が女性の肩を射抜いた。骨と骨の間を縫うように突き刺さったそれは、鋭利な
「お願……い、お願い、殺さないでッ!」
女性は白熱灯が照らす屋上の扉前まで追い詰められ、背中を付けていた。扉は施錠されており、しかもここは警備の巡回も来ない時間帯で、防犯カメラも皆無。無人のフロアで叫んでも誰も来ない。
命乞いに対し、情け容赦なく殺害を試みる。得物は氷でできた清冽な剣。本物にも劣らぬ鋭さを持ち、その剣で心臓を一突きにする。思い切りよく皮膚を貫き、肋骨を勢いだけで折って、急所を確実に潰す。
「あ、あ……ぁああああッ!」
「……」
「う……あ……」
「……」
女性は胸を貫かれながらも、凍てつくような氷の剣を握り締め、何とか押し戻そうと足掻いてくるが、力を入れてさらに胸の奥深くにまで刃を通す。
骨に当たり引っかかるような不快さ、肉の繊維を破っていく感触。それらが剣を通して掌にも伝わってきた。次第に女性の抵抗する力が弱まり、完全に死に絶える過程を余さず手にしかと感じた。
「三件目」
女性の死体が照明にくっきりと晒される一方で、暗闇の中には小さな青い光が二つだけ灯っている。
輝きの正体は瞳。その持ち主は氷の剣を操り、女性を殺した者だった。夜行性動物のように目に入った光を増幅しているのではなく、正真正銘、瞳から燐光を放っていた。
まるで暗幕に穴をあけたように、瞳の色彩だけが異様に浮き立つ。闇夜の中で輝く瞳の色は青で、晴天の空のように澄み、そして瞳孔は黎明の空のように深い。
昼は人間の皮を被りながらも、こうして夜になれば露になる明らかな異質な特性。
これこそが吸血鬼の最大の特徴。吸血鬼と呼ばれる者達の本当の姿。
それは暗闇の中で瞳が輝くことだった。
女性を殺したのは『吸血鬼』。しかし、その『吸血鬼』はつい今しがた女性を殺した直後でも、眉一つ動かさず、落ち着き払っている。
そして死体の襟元を掴んで闇の中へ引きずり込んだ。
『吸血鬼』は死体を運ぶ途中、フロアの硝子窓から外に広がる街並みを眺める。そこは日本の関東有数の港町である横浜市の夜景。
もう一度言う。現代にも吸血鬼は確かに存在する。ただこの呼び名は少し古い。
人種や集団、国家が時代と共に呼び名が変わってくるように彼ら吸血鬼もまた、新しい呼び名を得ている。
その名は。
ヴァーミリオン――――。
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