第11話 フェンリル
街は地獄絵面の様相なっていた。人々は逃げ惑い、民家の門扉は固く閉ざされる。
クロウは何事かと思い、周囲を見回す。すぐに正体はわかった。人々が逃げていくのと逆方向、かなり離れた場所にいるのにその姿はやけに鮮明に見える。
美しい銀色の体毛。
巨大な体躯。
鋭い牙。
一目見ただけで全身が震え上がるその容貌、初見であるのにすぐに確信する。
間違いない、フェンリルだ。フェンリルはゆっくりとこちらへ向かって近付いてくるではないか。
ーー逃げなくては!
他の人間がそうであるように、クロウもフェンリルに背を向ける。その瞬間、レイアのことを思い出した。
討伐に向かった彼女はどうなった?
クロウは恐ろしくて仕方なかったが、勇気を出して振り返る。
「あれ?」
フェンリルの様子がなにかおかしい。目は固く閉じられているし、手と足で地面を擦るように進んでいるし。まるで何かに運ばれているみたいだーー。
クロウはフェンリルに向かって歩き出した。
背後から咎める声がしたが無視して前に進んでいく。
一歩一歩、決して軽くはない歩みを進めていく。そして手を伸ばせば届く程の距離まで近づくと、こう叫んだ。
「レイアさん!」
フェンリルはその歩みを止めた。そして首を持ち上げると、
「のじゃ」
フェンリルの巨大な顔の下から、レイアがひょっこり現れた。
「レイアさーん、びっくりしましたよ」
「恐れることはないのじゃ。このフェンリルはとっくの昔に死んでいるのじゃ」
「レイアさんが倒したんですか?」
「うむ、当然じゃ。ワンパンで倒したのじゃ」
レイアはドヤ顔で、無い胸をこれでもかと張ってみせた。そしてレイアはクロウの肩越しに視線を送ると、
「これでもわらわは弱いと言えるかの?」
クロウが後ろを振り返ると群衆があった。物珍しげにこちらを見る人々の中に、顔面蒼白の人物がひとり。
眼鏡の若い女性ーーレイアをことごとく否定した受付嬢だ。彼女はこくこくと何度も頷く。
「ようやくわらわの強さを理解したか。さ、冒険者登録するのじゃ」
レイアが受付嬢に歩み寄る。しかし大柄の中年男性が2人の間に割り込んだ。
「お待ち下さい」
「なんじゃ、お前は」
「申し遅れました。私はスーボ、『ドラゴンのひげ』のギルドマスターです。この度はフェンリルの討伐、ご苦労様です」
「1番難しいクエストと聞いていたが肩透かしじゃ。このギルドの底が知れるのじゃ」
「はっはっは、耳が痛い限りです。実はギルドで一番強い冒険者、ブイデという者なのですが、最近辞めてしまいまして。なんでもすごく強い少女に喧嘩で負けて、自信を喪失したことが原因らしいです。そのせいで我がギルドは深刻な戦力不足なんです」
クロウは青くなる。ブイデが辞めた原因ーーどう考えてもレイアのせいだ。しかしレイアは全く覚えてない様子で、
「肉体だけではなく精神も弱い奴だったのじゃな」
「……そこで貴方様にお願いがあります。どうか我がギルドの金級冒険者になって頂けないでしょうか?」
「冒険者は分かるが、『金級』とはなんじゃ?」
「実は冒険者にはランク制度があります。
全部で5段階ありまして、下から銅級、青銅級、鉄級、銀級、金級です。ランクが上がれば上がるほど、難易度や報酬の高いクエストが受けられるようになります。ランクは実力とギルドへの貢献度で決定します。登録時は実力の有無に伴わず、全員1番下の銅級になるのですがーー今回は特例です」
「つまり金級冒険者になれば強いモンスターと戦えて、しかも『お金』もたくさんもらえると言うことじゃな! それはお得じゃ! 受けてやるのじゃ」
「ありがとうございます」
スーボは深々と頭を下げる。
その瞬間、群衆はわっと歓声を上げた。
「すげー、あのスーボさんが頭を下げてるぜ」
「いきなり金級冒険者だってさ」
「フェンリルも無傷で倒すなんて、すごい強さだ」
人々は口々にレイアを褒め称える。
ーーやっぱり、レイアさんは凄いなぁ。
他の大勢と同じ様に、レイアを賞賛しようと口を開く。しかし気が付いてしまった。レイアのルビーの瞳が、悲しげに潤んでいるのを。
ーー褒められているのに、なんでそんな顔をしているんだ?
クロウは開いた口を閉じると、レイアの赤髪頭を優しく撫でる。
「のじゃっ! いきなり何をするのじゃ」
「元気出して下さい」
「……ッ、わらわは元気なのじゃ。無礼者め!」
レイアは顔を真っ赤にしながら、頭を振り回し、クロウの手を振り払う。ついでにツインテールが頬をピシピシと打つ。
「痛いです! やめて下さい!」
「これに懲りたら、二度とわらわの高貴な頭を撫でようと思わないことじゃ」
レイアはそっぽを向いてしまった。どうやら怒らせてしまったらしい。元気づけようと思ったのに。
「これはフェンリルの討伐報酬と、少ないですが契約金です。お納め下さい」
スーボからレイアに革袋が手渡される。
「ほれ、オス。この『おかね』は全部やる。必要な装備一式揃えるのじゃ」
レイアは中身も確認せずに、クロウに向かって革袋を放り投げた。クロウはなんとか受け取るも、そのずしりとした重さに驚かされる。
一体いくら入っているんだ?
好奇心に負けたクロウは革袋を開く。中には鈍く輝く白金貨が20枚入っていた。
「こ、こんな大金貰えませんよ!」
「わらわが良いと言っているのだから、気にするな」
「でも」
「……お前には早く強くなってもらわねば困るのじゃ」
レイアに睨まれたため、クロウはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「さ、『おかね』も手に入ったことだし武器を買いにいくのじゃ!」
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