第8話 手料理

 修行が始まり数刻後、太陽が真上に来た頃。


「そろそろ休憩にするのじゃ!」


 待ちに待ったレイアの台詞。次の瞬間には、クロウは地面に大の字に寝転んでいた。


 足はもちろん、チビに何箇所も噛まれたせいで全身がくまなく痛い。地面は硬かったが、湖から吹く風は冷たくて心地よい。


 お許しも出たことだし、このまま横になって少し休もう。そう思い、瞼を閉じようとした瞬間である。クロウの顔に影がかかった。

 影の主は、レイアだった。膨れっ面で、クロウを見下ろしている。


「誰が寝て良いと言ったのじゃ! 起きぬか、馬鹿者」


「そんなぁ、休憩だって言ったじゃないですか」


「休憩は休憩でも、食事休憩じゃ」


 そこでようやく、クロウは腹が減っていることに気がついた。思い返せば昨日からろくに食事をしていない。

 クロウはフラフラと立ち上がると、


「食事って、レイアさんが作ってくれたんですか?」


「当たり前じゃ。他に誰がいる」


 女性の手料理など、身内以外では初めてだ。クロウは心の中でガッツポーズをした。


 ◇


「ほれ、これが食事じゃ」


 レイアが差し出した皿を見て、クロウは絶望した。


 まず匂い。滅茶苦茶生臭いのだ。まるで腐った魚。思わずえずいてしまうほどの悪臭っぷりである。


 そして見た目。液体のようであるが、問題はその色だ。


 青い。


 その青さときたら今日の青空よりも濃く、鮮やかだ。昔、村の祭りの出店で売っていたラピスラズリによく似ている。

 宝石として見る分には美しいが、食べ物となると全く食欲をそそられない。いや、むしろ食べるのは危険だと脳が警報を鳴らしている。


「……これ、なんですか?」


「スライムじゃ」


「スライムって、モンスターの?」


「それ以外になにがおる」


 再び皿に目線を移す。青い液体から、コポコポと泡が発生する。


「これ、食べられるんですか?」


「食べられるに決まっておるだろう。スライムは高タンパク低カロリーで、筋肉を付けるのには1番いい食べ物なのじゃ。わらわの離乳食もスライムだったくらいじゃ」


 スプーンでスライムを掬ってみる。ぷるぷると弾力性のあるソレは、スプーン一杯分と思えないほどずしりと重くてーー。


 これ、本当に食べられるの?


 躊躇するクロウを尻目に、レイアはスライムを食べ始めた。


「ん〜、この味! 懐かしいのじゃ」


 そしてなんの抵抗もなく、レイアは二口三口と食べ進めていく。


 もしかして、見た目や匂いがアレなだけで美味しいのか?


 クロウは意を決して、スプーンを口に入れた。


「……!?」


 あまりの不味さに、スプーンを落としてしまう。

 口に広がる激しい苦味。その不味さときたら、脳が嚥下を拒むほどだ。


 ーー吐き出したい。


 しかし。


「どうじゃ? どうじゃ? 筋肉が付きそうな味じゃろ?」


 レイアの、ルビーのようにキラキラ輝く瞳。

 そんな目で見つめられたら、吐き出せないじゃないか!


 ごくん。


 クロウは涙目になりながらスライムを飲み込んだ。


「……はあはあ、すごく筋肉が付きそうな味ですね」


「そうじゃろ、そうじゃろ」


 ニコニコ笑顔のレイアに、クロウが本当のことを言えるはずもなくーー。


 せっかくレイアさんが用意してくれたんだ。これも修行だ!


 そう思い直し、地面に落ちたスプーンを拾う。


 さあ、食べるぞ!


 そう意気込むものの、やはりあの不味さは尾を引く。

 二口目を目の前にして、クロウの手は完全に止まってしまった。


「どうしたのじゃ? 早く食べるのじゃ」


「あ、あの、その……美味しいから、ゆっくり食べようかと」


「それは駄目じゃ」


「えっ、でも」


「早く食べないとーー」


 レイアが言い終わる前に、突然、視界が真っ暗になる。

 何かが顔に被さったようだ。口と鼻も覆われて、息ができない。


 何かを引き剥がそうとするが、ドロドロしていて掴めない。

 この感触はーーまさか、スライム??


「ほら、言わんこっちゃないのじゃ。早く食べないからスライムが目を覚ましてしまったではないか! このままだと逆に食べられてしまうぞ。はやく引き剥がすのじゃ!」


 レイアの怒声が聞こえる。

 言われみれば、顔がピリピリ痛いような。まさか溶かされている?


 恐怖に囚われた、クロウは顔に被さったスライムを掻きむしる。

 しかし所詮相手は液体、引き剥がすことは叶わず。

 クロウは酸欠で意識を失った。


 ◇


 筋トレと言う名の地獄はますます熾烈を極めていった。 


 腹筋10000回

 スクワット10000回

 腕立て10000回……


 ハードなノルマはもちろん、少しでも休もうものならチビが襲いかかってくるおまけつき。その上、食事は3食スライムだ。


 普通の人間なら匙を投げる過酷な修行だったが、クロウは何度も死にそうになりながらも黙々とこなしていった。


 弱さは罪だ。

 強くなって、魔王軍に復讐してやる!


 その思いだけが、クロウの心を支えていた。


 ◇


 2週間経ち、スライムの味にもようやく慣れた頃のこと。

 朝目覚めたクロウは、自身の身体に変化に気がついた。


「……腹筋が割れてる」


 それだけではない。腕にも脚にも筋肉がついたようで、触ってみると硬くなっていた。


 クロウは居ても立ってもいられず、湖まで走った。そして上半身だけ裸になると、湖面に全身を映す。

 そこには筋肉粒々、とまではいかないが、がっちり体型のクロウがいた。今まで鶏ガラと揶揄されていた彼にとっては大きな成長だ。


「おお〜」


 思わず声が漏れる。

 次に腕に力こぶをつくってみたり、サイドチェストポーズをとってみたり。  


 突然、湖面に映ったクロウの姿が大きく歪む。

 ぶくぶくと泡が発生し、大きな波紋が広がりーー。

 そして水面からひょっこり顔を出したのは、レイアだった。


「おい、オス。何をやっているのじゃ」


「それは俺の台詞ですよ!」


「わらわは朝の水浴びじゃ。お前はなんじゃ、ニヤニヤしながら変なポーズをとって」


「こ、これはその……。筋肉が付いたことが嬉しいって言うか……」


 レイアはクロウの身体を舐めるように見ると、


「なるほど、少しはマシな体型になったようじゃな」


「やっぱりそうですよね! このまま筋トレを続ければもっとムキムキに」


「いや、もう筋トレは終わりじゃ。自重トレーニングで鍛えるのには限界がある」


「それってつまりーー」


「うむ!」


 ザブーン!!


 大量の水飛沫と共に、レイアは空高く跳び上がった。空中でクルクルと回転しながら、地面にすたりと着地。


「修行は次の段階じゃ!」

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