第7話 修行
簡単そうな特訓に、クロウはほっと胸を撫で下ろす。一方レイアは無い胸をこれでもか、と張ってみせると、
「筋肉を鍛えるには筋トレが1番じゃ。特にお前みたいな痩せっぽっちはな。まずはウォーミングアップの軽いランニングからじゃ。体を温めることで全身がほぐれ、怪我の防止にもなるのじゃ」
「なるほど、わかりました。で、どれくらい走りますか?」
「そうじゃな、湖を1000周じゃ」
「わかりました……って、えええ!!」
「急になんじゃ、大声をあげて」
「だ、だって……」
そんなに走ったら筋肉は温まるどころか溶けちゃいますよ、という言葉をなんとか飲み込んだ。
1000という数字にも驚きだが、そもそもこの湖も小さいものではない。今は亡きカイナ村くらいならすっぽり入ってしまうだろう。
無理。
そんな二文字が頭を埋め尽くす。しかし、わざわざ自分のために考えてくれた練習メニュー、無下にはできないしーー。黙り込んでいるクロウの顔を、レイアはじっと覗きこむと、
「もしかして修行の内容に不満でもあるのか?」
「えっ」
核心を突かれて、どきりとするクロウ。
「やはりな! そうではないかと思ったのじゃ」
「……すいません」
「謝るなくて良い。わらわが数を間違えたのじゃ」
「それじゃあ」
「うむ、1000周は少なすぎたのじゃ。5000周に変更じゃ」
◇
「ーーはあっ、はあっ」
ランニングを始め1時間、クロウは早くも息が絶え絶えになっていた。並走しているレイアは、息ひとつ上がっておらず、涼しい顔で、
「なんじゃー、まだ14周目じゃぞ! ペースも遅いのじゃ。もっとキビキビせぬか」
「ヒイヒイ、す、すいません。も、もう、げっ、限界れす」
そう言うが早いが、クロウは地面に倒れ込んでしまった。レイアは呆れ顔で、
「おい、オス! さっさと立たぬか」
「すこ、少し、休憩させて下さい、ハアハア」
「根性なしめ! それならわらわにも考えがあるのじゃ」
レイアは指笛を吹く。すると空から青いドラゴンーーチビが降りてきた。
「レイアしゃま〜、呼びましゅたか〜?」
「うむ、チビよ。お前に少し修行を手伝って貰おうと思ってな」
「お安い御用でしゅ。……で、その問題のオスがいないでしゅか?」
「のじゃ?」
クロウは木の陰に隠れて震えながら、1人と1匹の会話を聞いていた。
伝説のモンスター、ドラゴン。御伽噺の中だけだと思っていた存在が目の前にいるなんて!
その大きさはもちろん、鋭い牙や爪。全てが恐ろしくてたまらない。
ーー突然、体が宙に浮いた。
えっ、と思った時にはもう遅い。
チビにシャツの襟台を咥えられ、クロウは宙吊りなっていた!
「うわーっ! 助けてくれーー!! 食べられるーーっ!」
「なんじゃ、逃げる元気がまだあるではないか」
「そ、そんなことより降ろして下さいよぉ!」
「仕方ないのう。チビ、降ろしてやるのじゃ」
レイアの命令で、チビは口を開ける。クロウは無慈悲にも地面に叩き付けられた。
「昨日は怖がってなかったではないか」
「……あの時は必死でしたから。と言いますか、こんなに大きいのになぜ名前が『チビ』なんですか?」
「最初は手乗りサイズだったのじゃ」
「そんな安易に名前付けちゃ駄目ですよ」
「うるさいでしゅ! チビはチビという名前を気に入ってるでしゅ!」
2人の間にチビの巨大な顔面が割り込む。
クロウは悲鳴をあげた。
「チビはこんなに可愛いのに、失礼な奴じゃ」
「だ、だって、食べられちゃいそうで、怖くて」
「それは大丈夫じゃ。人間は食べないよう躾けてあるのじゃ、なあチビ」
「ニンゲンハタベチャダメデシュ、ニンゲンハタベチャダメデシュ、ニンゲンハタベチャダメデシュ」
クロウをじっと見つめながら、チビは滝のように大量の涎を垂らす。クロウは再び悲鳴を上げた。
「臆病なヤツ、だが修行には好都合なのじゃ。チビよ、オスのランニングを手伝って欲しいのじゃ」
「はいでしゅ。でも何をすればいいでしゅか?」
「簡単なことじゃ」
レイアは意地悪そうに微笑む。嫌な予感。クロウの背筋に冷たい汗が流れる。
「走っているオスを後ろから追いかけるのじゃ。もし足を止めたらーー」
「どうするでしゅか?」
「かじってやるのじゃ!」
「それは美味しそ、じゃなかった、重要な任務でしゅね! 了解でしゅ」
チビと目が合う。子犬のようにクリクリした瞳、しかし瞳孔が徐々に細くなっていき、獰猛なドラゴンの瞳にーー。
「ヒイイイッ!!」
クロウはたまらず逃げ出した。
「待つでしゅ〜」
ずしーん、ずしーん。
地鳴りとともに鼻息だろうか、生暖かい空気が追いかけてくる。クロウはもう恐ろしくて、恐ろしくてーー。
振りかえることもできず、一心不乱に走る。
「はっはっは。その調子であと4986周じゃ」
ーーこうして地獄が始まったのだった。
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