第5話 悪夢
ーー世界は赤で塗りつぶされていた。
夕焼けの赤。
燃え盛る炎の赤。
飛び散る鮮血の赤。
クロウの故郷、カイナ村。王都から遠く離れた、農業が盛んな小さな村。
山に囲まれ、名物といえるものもなく平和だけが取り柄だ。いやだったと言うのが正しいか。
現在、カイナ村は魔王軍に襲われていた。
「はあはあはあ……」
クロウは全速力で走っている。足はもげそうな位痛いし、肺は今にも爆発しそうだ。
しかし足を止めるわけにはいかない。背後から迫るは、大量のゾンビ。噛まれた人間もゾンビになるらしく、ゾンビの中には見知った顔がいくつもあった。話好きのサラおばさん、いたずらっ子のトム坊や……。
なぜこんなことになった!
ついさっきまで普通の日常だったのに。
いつものように畑仕事を終わらせ、夕食の支度をしていた。乱暴に玄関ドアが開いたと思ったら、大量のゾンビが家の中に雪崩れ込んできてーー。
なんとか妹を連れ出すことはできたが、足の悪い母はそうはいかなかった。
母の末路を想像するだけで、視界がぼやける。
「キャッ!!」
クロウのすぐ背後を走っていたクロエが派手に転んだ。
クロウはクロエに駆け寄ると、
「クロエ、大丈夫か?」
「痛っ!足を挫いちゃったみたい」
「えっ」
「うぅ、お兄ちゃん、どうしよう……」
クロエは3歳年下の、クロウの妹だ。
両親は一緒なのに平凡フェイスなクロウに似ず、村でも評判の美少女だ。
特に自慢なのは腰まで伸びる黒髪。枝毛一本もない艶やかさで、髪に反射する光が天使の輪のように見えるほどだ。性格は少し生意気なところもあるが、優しくてーー。
妹のピンチにクロウは迷わず、自身の背中を差し出す。
「おんぶしてやる。ほら、乗れ」
「で、でも」
「早く! ゾンビに追いつかれるぞ」
「う、うん」
クロエはしぶしぶ兄の背中に乗った。妹を背負ったまま、クロウは歩き出す。
当然だが、1人で走るよりスピードは遅い。
「お兄ちゃん、このままだと追いつかれちゃうよ」
「大丈夫だ」
そうは言ったものの、背後から聞こえるゾンビの唸り声と足音は段々と大きくなっていく。
手は震え、涙で頬は濡れていた。体力ももう限界で、しかし足を止めることはできない。
このままでは2人ともーー。
いっそクロエをーー。
そんな卑怯な思考が頭に浮かんだ時である。
「あらあら、美しい兄妹愛ねぇ。私感動しちゃったぁ」
目の前に、全身真っ白な女が立っていた。
血の気のない青白い肌に、純白レースを何十にも重ねたドレス。地面に着くほど長い銀髪は、夕焼けを反射してキラキラと輝いている。
「綺麗だ」
こんな極限状況下で口から出たのは、呑気な感想。しかしそれくらいその女は美しかった。
顔・スタイル、どのパーツを見ても完璧で、まるで神が作り出した芸術品のようだ。
「お兄ちゃん! あの人おかしいよ!」
クロエに肩を叩かれ、我に返る。
妹の言う通りだ。なぜ村人でもない女が、モンスターに襲われたタイミングでいるのか。
しかも唇が不自然なほど赤い。その赤さときたらまるでーー。
「ち、血だああ! うわああっ!」
「あら、ごめんなさいねぇ。食事中だったもので」
女はクスクス笑いながら、ハンカチで口を拭く。
「はい、これで大丈夫よぉ」
「な、なんなんだお前は?」
「私ぃ? 私は吸血鬼、カーミラ。一応、魔王軍の四天王の1人よぉ」
「ま、魔王軍だって? まさかお前がカイナ村を……」
「そうよぉ。小腹が空いたから襲っちゃったぁ」
クロウは震えた。怒りではなく、恐怖で。
なぜなら、カーミラの満月のような金色の瞳が、どこまでも真っ直ぐで澄んでいたからだ。人をたくさん殺しておいて全く罪悪感を感じていない。いや、それどころか楽しんでいる。
コイツは化け物だ。早く逃げないと!
「ざーんねーん。逃げ場はもうないのぉ」
カーミラが細く白い腕を広げる。
そこでようやく、自分達がゾンビに取り囲まれていることに気がついた。
「ね? もう絶対絶命って感じでしよぉ? そこで2人に提案がありまーす。どちらかが私のおやつになるなら、もう1人の命を助けまーす」
「は? な、なにを言っているんだ」
「美しい兄妹愛で感動させてもらったお礼よぉ。制限時間は10秒〜。選べなかったら、2人とも死んでもらうからねぇ」
「待ってくれ!」
「だーめ。それじゃあ始めるわよぉ。いーち!」
クロウは悩む。
兄として自分が犠牲になるべきなのだろうが、クロウはまだ17歳。可愛い恋人も欲しいし、できれば結婚もしたい。他にもやり残したことがたくさんあった。
「はーち」
もう8秒だと!!
クロウは焦る。このままだと共倒れだ。早く俺が名乗り出ないと。
声を出そうと、口を開ける。
しかし声が出ない。緊張で口の中がカラカラなせいだろうか。
「きゅーう」
違う。
俺は怖いんだ。自分で『死』を選択することが。
その時だ。
意外な人物が口を開いた。
「わ、私が死にます」
妹のクロエだった。恐怖のせいだろうか、声は震えしかも裏返った。
カーミラはにっこり微笑むと、
「わかったわぁ。じゃあ妹ちゃん、こっちにおいで」
「……約束は守ってよね」
「もちろんよぉ。あなたの勇気に免じて、お兄ちゃんは助けてあげるわぁ」
「じゃあね、お兄ちゃん。おんぶしてくれて、ありがとう」
クロエは笑顔を作ってみせた。
しかし目には涙が滲み、頬は引き攣っている。
なんと強い子だろうか!
それに比べ、妹が名乗り出たことに安堵している自分の弱さときたら!
クロウは激しい自己嫌悪に襲われる。
「う、うわああああ!!」
次の瞬間、クロウは走り出していた。右手を強く握り、カーミラに殴りかかる。
それは勇気からくる行動ではなく、やけくそだった。頼む、何か奇跡が起こってカーミラを倒してくれ!
悲しいことに、いや、当然奇跡は起こらなかった。
「えっ」
気がつくと、クロウは宙を飛んでいた。カーミラに殴られたのだろうか、それとも蹴られたのだろうか?
それさえも分からないまま、クロウは地面に叩きつけられた。
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