第4話 育成

 レイアは男を頭から足先まで舐めるように観察する。


 黒髪に碧眼。不細工でも美形でもない、つまり特徴のない顔立ち。服装は白い開襟シャツに吊りズボン。レイアより頭ふたつ身長は高いが、痩せっぽっちで長い手足は木の枝のように細いーー。

 レイアが今まで会った中で1番弱そうな男だった。そして何やら見覚えのあるような?


「突然呼び止めてしまってすいません。俺はクロウ・ギルシスと言います。さっきブイデさんに投げ飛ばされた者、と言えば分かりやすいですかね?」


「ああ、あの時の。で、何の用じゃ。わらわと戦う気か?」


 クロウは慌てて手をブンブン振ると、


「ま、まさか! 戦っても相手になりませんよ」


「それなら何の用じゃ」


「その、実はお願いがありまして」


 お願い。

 レイアはその言葉が嫌いだった。


 強者レイアは他者から何か頼まれることが多い。やれ誰かを倒してくれだの、やれ面倒事を解決してくれだのーー。

 お願いごとの大半は、レイアにとって容易いことが多い。

 しかしレイアは慈善家ではないし、褒美も賞賛も欲しくない。お願いごとなど煩わしいだけ。いつもなら無視するところだ。


 しかし、この男の目。他の者と違い、強い意志の炎が灯っている。


 少しだけ興味を持ったレイアは、クロウと名乗る男の話を聞いてやることにした。


「申せ」


「ありがとうございます!

 俺はカイナ村という田舎に母親と妹と共に住んでいました。何もない村でしたが、俺はそれなりに幸せに暮らしていました。しかし半年前、いきなり魔王軍が俺たちの村を攻めてきたのです。村は焼かれ、俺の家族も殺されました」


「断る」


「えっ、まだ話は途中ですよ」


「わらわに魔王を倒して欲しいと言うのだろ? わらわは多忙故、そんなことをしている暇はないのじゃ」


「違います、違います! 俺が言いたいのはーー」


 クロウはそこで言葉を切ると、大きく息を吸い、こう言い切った。


「ーー俺を弟子にして下さい」


 予想外の言葉に、レイアは驚く。


「はぁ? お主、何言っておるのじゃ」


「俺は自分の手で魔王軍に復讐したいんです! でも生まれて17年、戦いなんてしたことがなくて。だから師匠となる強い人物を探していたんです。ブイデさんに会いにきたのもそれが目的でした。でもレイアさんを見て、俺が目指すべき強さはこれだって思ったんです!」


 クロウはそう言いながら、レイアの手を握った。ゴツゴツとした感触に、ほんのりとした温かさ。


 ーーな、なんじゃ、これは?


 レイアの心臓が、ドクン、と大きく脈打った。それはどんな強敵と戦った時にも感じなかった高鳴りだった。


 レイアは慌てて手を振り解くと、


「ぶ、無礼者! 貴様程度がわらわのように強くなれるわけないだろう。わらわがここまでくるのにどれだけ努力したと思うのじゃ!」


「努力ならいくらでもします! だからどうか……どうかよろしくお願いします」


「しつこい!」


 レイアはクロウに背を向けると一目散に駆け出した。後ろから声が聞こえた気がしたが、一度も振り返ることはなかった。


 ◇


 レイアは町から少し離れた森にやって来た。

 帰りを待っていたドラゴンのチビはパァッと笑顔になり、


「あ、レイアしゃま。お帰りなさいでしゅ」


「うむ、ただいま帰ったぞ」


「今回のオスはどうでしたか?」


「ダメだったのじゃ」


「そうでしゅか? チビはてっきりいいオスがいたかと」


「は? なぜじゃ?」


「だってレイアしゃま、ニコニコしてるでしゅ」


「そ、そんなことないのじゃ! わらわはいつも通りじゃ」


 レイアは緩みきった表情筋を引き締める。全身が熱い。心臓がドキドキしている。この程度の運動で心拍数が上がるはずはないのに。


 レイアは考える。原因はあの貧弱なオスに違いない。よく分からないがあのオスは危険だ。もう近付かないようにしよう。


「待って下さーい! レイアさーん」


 振り返ると、クロウが息を切らせながらこちらに向かって走ってきた。


 レイアは素早くチビの背にまたがると、


「チビ! 早く飛ぶのじゃ」


「はいでしゅ」


 チビは大空に羽ばたいた。

 

 ほっと一安心のレイアは前を向く。陽は落ちかけ、西の空はすっかり茜色に染まっていた。頬を撫でる風は冷たい夜風に変わっており、火照った身体を覚ましていく。


 このまま、あのオスのことは忘れよう。


「レ、レイアさん……」


 クロウのか細い声がレイアの耳に入ってきた。

 馬鹿な! ここは空の上だ。

 レイアは周囲を見回す。しかしクロウは見当たらない。


「下です、下」


 レイアは下を覗く。チビの前足に、クロウがしがみついていた。

 レイアは声を荒げた。


「馬鹿者! お主死にたいのか!」


「お願いします。どうか俺を弟子にして下さい」


「なぜこんな無茶をする? 命あっての物種じゃろ!」


「強くなれないなら生きている意味はありませんから」


 レイアは言葉を失った。

 見上げるクロウの瞳が、死の淵に立っている者とは思えないほどギラギラと光っていたからだ。


 2人はしばらく見つめ合った。レイアには永遠のように長く感じられてーー。


 しかし永遠は存在せず、唐突に終わりを告げる。


「も、もう限界……」


 そう呟くと、クロウはついにその手を離してしまった。真っ逆さまに落下していくクロウ。


 レイアは考えるより先に、チビの背中から飛び降りていた。


 ◇


 畑では2人の農夫が苗の植林作業を進めていた。


「今日はもう終わりにするか」


「おお、そうだなぁ」


「ん、なんだあれ?」


 農夫の1人が茜色に染まった空を指差した。指先には黒い点。しかし黒い点は徐々に大きくなっていきーー。


「こっちに落ちてくるぞ!」


 農夫達は慌ててその場を離れた。


 ドン!


 地響きが轟く。

 地面には大きなクレーターができ、その中心には1人の少女が立っていた。褐色の肌に、炎のように真っ赤なツインテール。レイアだ。

 その腕の中にはクロウが、いわゆる『お姫様抱っこ』された状態で抱えられている。クロウは気絶している様子で、目蓋を固く閉じていた。


 レイアはクロウの顔をじっと見つめる。

 なぜ気になるのか。どうしたいのか。

 いくら考えても答えは出ない。


「レイアしゃま〜」


 バッサバッサと羽音を鳴らしながら、チビが空から降りてきた。


「急に飛び降りたから驚いたでしゅ〜。ん? なんでオスを抱っこしているでしゅか? 仲良しでしゅか?」


「そ、そんなわけないのじゃ」


 レイアはクロウから手を離した。気絶しており当然受け身などとれないクロウは、地面に後頭部をしたたかにぶつけ、さらに深い眠りについた。


 その様子を見て、チビは嬉しそうに笑う。


「そうでしゅよね! レイアしゃまがオスと仲良しなんてありえないでしゅ」


「ま、まあな。はは……」


「そんなことよりも、ここなんか変な場所でしゅね。小さな木がたくさんありましゅ」


 クロウから興味を無くしたチビは周囲を見回す。畑にはたくさんの幼木が等間隔に植えられている。


「チビよ、これはりんご畑じゃ。今は小さな木も育てればいずれ大木になり、たくさんの果実が実るのじ……」


 その瞬間、レイアの全身に電撃が走った。

 小さな木も育てればいずれ大木になり、たくさんの果実が実る。

 ならば人間も育てればーー?


「おい、オス! 目を覚さぬか!」


 レイアは気絶しているクロウの胸ぐらを掴み、ガクガクと揺らす。

 流石のクロウも目蓋を開け、


「う、うーん。あと5分……」


「なにを寝ぼけておる! しっかり目を覚ませ! そんなでは、わらわの弟子が務まらぬぞ!」


「……えっ」


 そこでようやくクロウは覚醒したようで、碧眼を大きく見開く。


「ほ、ほ、本当ですか? 俺を弟子にしてくれるんですね?」


「早まるな。条件が2つある」


「なんでもやります!」


「まず第一の条件だが、わらわより強くなることじゃ」


「え、えぇ! なれますかね? ちょっと自信がーー」


「できぬのか?」


 レイアに睨まれ、クロウは縮こまる。


「……努力します」


「うむ、よく言った。それに安心するが良い。もうひとつの条件は至極簡単じゃ」


「良かった。で、二つ目の条件と言うのは?」


「わらわより強くなったあかつきには、少しばかり子種を分けてくれ」


「はいはい、喜んでーーって、えええええ!?」


「なんじゃ、急に大声を出して」


「だ、だって! こ、子種だなんて! つまり、子供を作るってことですよね。子作りは好きな人とするべきであってーー」


「うるさいのう。やるのかやらぬのかはっきりせぬか!」


 冷たく言い放つレイア。

 クロウはしばらく考えると、


「……分かりました。条件を飲みます」



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