第10話 潰えた明日

気がつくと僕は暗闇の中を歩いていた。

 右も左も前も後ろも分からないまま、ただひたすら真っ直ぐに歩き続けた。いつから歩き続けていたのか、どれくらい歩いたのだろうか。目的地の無い暗闇の旅はいつか終わりを迎える事が出来るのだろうか。

 ただ一つ確かな事はこの真っ暗闇の中、薄らと。ぼんやりと見えてきた光に向かって確実に進んでいるという事だけ。

 思考も働かずフラフラと歩き続ける。光に魅了された蛾の様にただ一直線に光を目指し続ける。あの光に辿り着けばこの暗闇から抜け出せる様な気がしていた……だが唯一の救いにも思えた光はそんな大層なものではなかった。

 ようやく辿り着いた光。その正体は暗闇の中ポツンと置かれたテレビ。砂嵐の様なザラザラとした不鮮明な映像を映し出し、ゆっくりと不規則に明滅を繰り返している。

 そしてそのテレビの前には、体育座りの格好で一心にモニターを見つめている少年の姿。この少年に僕の姿は見えているのだろうか?ただただひたすらモニターを見続けている。

 僕はこの少年の後ろからテレビのモニターを見ていた。不鮮明だが何か映像が流れている。

 首から下しか見えていないが、スーツ姿の人間がモニターの中で力無くユラユラと揺れている。だらりと肩を落とし左右にフラフラと振られている姿はとても生きている人間とは思えない。見えづらいがチラリと映る首元には何か絡まっている様に見えた。

(これは。誰かの首吊り映像?)

 こんな衝撃的な映像を見続けている少年の顔を見て僕は驚愕した。

 一切目を逸らさずに両目から大粒の涙を流し続け、一心不乱にモニターを見続ける少年は……僕自身だった。

 小学校の高学年くらいだろうか。成長期を迎え母に愛されなくなった頃の僕。感情なくさめざめと涙を流し、揺れるスーツ姿の人間を見続ける君は何を思う?

 やがて命を燃やし尽くした様に、ゆっくりと消えていく映像。再び闇に覆われそうになる中、少年はゆっくりと立ち上がり闇の中へと歩いて行く。僕もついて行っていいだろうか?いや。きっと彼と同じ道に進む事は出来ない。だって彼は僕と違って理解してしまったのだから……僕は少年が向かった方向とは逆に歩を進めた。飲み込まれてしまいそうな闇の中、力無くフラフラと横たわった。

 暗い地面の中、孵化を夢見る虫の様に。希望に満ち溢れた明日を夢見る少年の様に。

 この空間に時間という概念があるのか分からないが、かなり長い時間横になっていた。いつから見えていたのか、気がつくとポツンと星の様な光が輝いていた。

 横たわりながらその光をぼんやりと眺めていた。ゆっくりとだが確実にその光はこちらに向かって来ていた。闇をかき消す様な眩しすぎるその光に、目を閉じその光の到着を待った。

 やがて到着したその真っ赤な光に全身を包み込まれ、温かな光の中で僕は目を開いた。

 寝ていたのか。気絶していたのか。目覚めた僕は部屋の中で倒れ込んでいた。辺りはもう真っ暗で月の光が部屋に差し込んでいた。

 まだ意識の混濁している僕の目に飛び込んできたのは、月明かりに照らされ血の様に真っ赤な花を咲かせたサボテンだった。

(咲いた。父さんのサボテンが。ようやく花をつけてくれた!)

 僕はフラフラと立ち上がるとサボテンに近付いた。秋の始まりを感じさせる肌寒い空気に包まれた室内で、真っ赤に色をつけたサボテンが色鮮やかに咲き誇っていた。

 その希望の様な鮮やかな色に触れてみると、わずかだが心が満たされた気持ちになって、その場で跪き鉢を優しく抱きしめた。ふと花から甘い香りが漂っている事に気付き少しだけ顔を近付けた。

 その匂いを嗅いだ瞬間、激しい不快感と拒絶感に襲われその場で嘔吐してしまった。

 この香りは間違いない。忘れられるはずもない……母の付けていた香水の匂いだった。

(どうしてサボテンから香水の匂いがするんだ……まさかあの時母さんの血を吸っていたのか?確かにサボテンにはかなりの血が付着していたのは覚えている)

(また邪魔をするのか。僕から父さんを奪っただけでは飽き足らず、唯一僕に残された父さんを感じさせてくれる物。それすらも奪ってしまうのか)

 激しい苛立ちを感じ、僕は力任せにサボテンの花をむしり取った。その衝撃で植木鉢は床に転がり土が溢れた。

「いたっ」

 花と同時にいくつもの針もむしり取ってしまったのだろう強く握りしめた拳からは真っ赤な血が滲み、拳の中でぐちゃぐちゃになった花と混ざり合って行くのが分かった。

(母さんがいけないんだ。僕と父さんを捨てたくせに……勝手な都合でまた僕から父さんを奪い去ろうとした。あんたがいなければ僕と父さんは今も幸せに暮らせていたんだ!)

 月明かりの下、無惨にも床に転がる花を失ったサボテンを憎々しげに睨み付けると、拳の中で僕の血と混ざり合った花を床に叩きつけた。

 激しく激昂したからだろうか。頭痛と眩暈が襲ってきた。おぼつかない足取りでフラフラと寝室に向かい倒れ込む様にベッドに横たわった。

 やってしまった。怒りに囚われていたとはいえ自分で希望の花を摘んでしまった。またいつか花は咲いてくれるだろうか?いや。もうどうだっていい。だって希望に溢れた明日なんてもうやってこないのだから。あの日から……父と母を失ってしまったあの日から、永遠に最低の今日を繰り返しているだけ。いつかこのループを終わらせないといけないのは分かっていた。だけど……僕だって希望に溢れる明日を夢見たっていいじゃないか。いつかそんな日が来るって夢見て眠ったっていいじゃないか!

 激しい頭痛と眩暈、そして全身が倦怠感に包まれ徐々に思考は低下していき、眠ったのか気を失ったのかそれすらも分からないまま、僕は闇の中を漂い続けた。

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