第3話 二度目の目覚め

ジリリリリ!

 けたたましく鳴り響く目覚ましの音で僕は目を覚ました。夢?とても長い夢を見ていた様な気分だ。

 思い出した様に腹部へと手を伸ばすが、もちろん出血もしていなければ傷口も無い。

 僕を刺してきたあの子供は一体誰なのだろうか?闇の中で僕に話しかけて来たあの真っ赤な輪郭を持った人型は何者なのだろうか?夢を見ることなど稀で、大体は目を閉じ深い闇の中を漂っている内に目覚ましの音で目を覚ます。というのが僕にとっての睡眠になっていた。

 やかましく鳴り響く目覚ましのスイッチを軽く叩くと、重だるい体を無理矢理起こした。

 午前七時。いつもの時間だ。のそのそとベッドから抜け出し、遮光カーテンで光を遮断された薄暗い部屋の中を進み、吊るしてあるスーツを手に取ると寝室を出た。

 ひんやりとした空気が体を撫でる。秋口だというのに今日は随分と冷えている。天気も悪いのかどこか湿り気のある廊下はまだ夜の様な闇と静寂に包まれていた。

 窓のない真っ暗な廊下は、この世とは隔絶されたどこか違う世界へと繋がっている道なのではないかと言う感覚にさえ陥らせる。ガタガタと震えながら方向感覚を失いそうな手足で一歩一歩リビングの扉へと進んで行く。

 リビングのドアノブに手をかけ捻ると、ギィという嫌な軋み音と共に扉が開く。

 目の前に広がった光景は、少しだけ僕の予想とは違っていた。晴天だった。カーテンの隙間から光が溢れ、外からは爽やかな雀の歌声が聞こえていた。

(よかった。また今日に繋がった)

 不思議な安心感に包まれながら毎朝のルーティーンをこなして行く。

 カーテンを開き朝日を取り込むとケトルのスイッチを入れる。ジョウロに少し水を汲み、窓際のサボテンに水を差そうと近づけた時、サボテンの変化に気付いた……少しだけ変色した部分がありサボテンが枯れて来ているような気がした。

(水をやりすぎたのか?土は乾いている様に感じるが今日は水を差すのはやめておこう)

 グツグツと音を立てるケトルのスイッチを押し、コーヒー粉末を入れたマグカップにお湯を注ぎベランダへと歩いた。

 ベランダの扉を開けると、モワッとした空気が体に覆いかぶさって来た。目覚めて廊下を進んだ時の感覚との違いに戸惑いつつも、コーヒーを注いだマグカップを口に運ぶ。残暑と言うよりは初夏に近い気温に顔を顰めながらコーヒーを一口含む。

 熱湯を注いだはずなのだが生温く苦味が強い。マグカップを覗き込むとドロッとした黒い液体に自分の顔のシルエットが映り込む。

 人型に縁取られた真っ黒なシルエットが、夢で見た人型を連想させ、薄気味悪さを感じ視線を観覧車へと向けた。

 僕に彼女がいたり家族がいたのならば、あの観覧車を見に行けるのに。などと夢物語を考えながらゆっくりと回転する観覧車を眺めていた。

 下の道路は、相変わらずロボットの様に同じ動きを繰り返しながら歩く人間達が、駅へと吸い込まれて行く。

 雄大な空へと伸びる巨大な遊具に興味を持つ事も目を向ける事もなく、地面を見つめ歩を進めている。僕はそれらを目の淵に捉えながらも視線は観覧車へ向けていた。

 この人間達は何を楽しみに生きているのだろうか?今日死ぬかもしれない。明日を迎える事が出来ないかもしれないなど考えながら生きているのだろうか?

 いや。こんな歯車としてしか動いていない連中はそんな事考えていないだろう。機械の様に毎日の業務を繰り返し、ただただ当たり前の毎日を消費しているだけに過ぎない。駅へと吸い込まれて行く人間達に苛立ちを感じボソリと呟いた。

(そんな無駄な毎日を繰り返すくらいなら死んでしまえよ。お前達の無駄な明日を僕にくれよ)

 何故そんな言葉を口にしてしまったのかは分からないが、普段の僕からは想像出来ない乱暴な言葉を発してしまった事に、自分の事ながら驚いた。気まずい気持ちになった僕は、マグカップに残ったコーヒーを一気に口に含むと、振り返って部屋へ向かおうと歩き出した。

 コーヒーの苦味が強すぎて顔が歪めたその時だった。背中に凄まじい寒気を感じたのだ。殺気と言うのだろうか、駅に向かっていた人間達が一斉に僕の背中を睨みつけている様な、殺気を込めた視線が突き刺さっている様に感じた。

 (もしかしてさっきの言葉が聞こえてしまったのだろうか?いや。ここは五階だ。大声で叫んだのならば聞こえてしまったかもしれないがボソリと呟いた程度に過ぎない。)

 気のせいだ。きっと気のせいに違いない。背中に突き刺さる殺気を振り払う様に急ぎ足で室内へと入った。

 白いレースのカーテンが生温い風を受けてカラカラと揺らいでいる。その音に混ざる様にキッチンから水の滴る音が聞こえてきた。さっき水を汲んだ時にしっかり蛇口を閉めていなかったのか?急ぎキッチンへ向かうと、蛇口から滴り落ちる液体がシンクを真っ赤に染め上げていた。

 (……錆?違う。これは血液か?)

 蛇口から不気味に滴り落ちる液体を止めようと慌てて蛇口を閉めるが、どれだけ力を込めようと液体が止まる事はない。むしろより量を増しボタボタと水量を増して行く。

 ボコッボコと音を立てる排水溝からは黒い液体が逆流して蛇口から漏れる赤い液体と混ざり合い、赤黒く量を増して行くと、シンクいっぱいに溜まった液体は溢れポタポタと床を濡らし始めた。

 必死に蛇口を握る僕の目の端にふと人の姿が映った。窓際に置いたサボテンの目の前に誰かが立っている。

 窓から差し込む光が逆光になって、顔は確認出来ないが、明らかに男性とは違う少し丸みを帯びたシルエットに長い髪、女性だろうか。

 小さなジョウロを持ち、サボテンに液体を注ぎ込んでいる。鉢からはキッチンで汲んだものであろう赤黒い液体が溢れ出していた。サボテンが枯れてきていた理由はこれか!と女性に向かって叫ぶ。

「やめろ!そのサボテンに触るな!」

 その声に反応した女性がこちらを振り返り、隠れた顔が露わになったその瞬間。激しい怒りが込み上げてきて僕は一目散にその女性に向かって走り出していた。

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