第38話 暇になったから歌う

 一気に覚醒する。ワイン色の壁があり、灯りの数が少ないので、薄暗い部屋となっている。高級なベッドマットに触り心地の良いシーツ。外の様子が分からないため、どれぐらい寝たかは不明だ。ご丁寧に荷物は椅子にまとめられている。数秒で経緯の整理をする。バスケをした後、正門で待ち合わせをしていたところ、ホスト野郎から催眠をくらって、睡眠薬を飲まされて、ベッドにいたる。


「巻き込まれとるやんけ!」


 ベッドマットを叩きながら、謎の関西弁で小さくシャウトをする。警戒をしていたはずが、事件の被害者となってしまった不甲斐なさ。何て情けない。悔しい気持ちと苛立つ気持ち。色々なものが混ざり合う。


「連絡しないとマズイ」


 独り言を言いながら、移動をしようとしたが、身体が思い通りに動かない。舌打ちをする。催眠という異能は本当に厄介だ。仕掛けた本人がいないのに、効果がまだ残っている。身体の異変は今のところ、催眠による影響だけになっている。キスをされているか不明だが、お生憎……ファーストキスは済んでいる。甘えん坊の舞原さん。ありがとう。お陰で助かった。


「結界を貼っておこう」


 今の私では脱出は不可能。それでも望みはある。行方不明による捜索だ。ユートンさん達が警察に報せるし、GPSを発信させている。問題は時間がかかるということだ。ならばやれることはただひとつ。出来る限りの時間稼ぎをすることだ。そう思った数秒後。


「げ」


アルビノの男が入って来た。当たり前だが、余裕そうだ。近づいても無駄だ。既に結界を貼っている。奴は何も無い透明の壁とぶつかり、情けない声を出しているに違いない。あの催眠の仕組みが分からない今、可能性がありそうなものは全てを遮断させた方がいい。嗅覚と聴覚に刺激するようなもの。また、目を合わせるか。忘れていた。彼の姿が見えなくなるほど、結界の色を濃くしておく必要がある。無難に黒色で良いだろう。少しずつ見えなくなっている。


「これは舞原さんに感謝かなぁ」


 舞原さんは治安の悪い地域にも行く。そのため、身を守る知恵や技術を持っている。高校二年時に参加した交流会で教わった。縁のないものだが、念のためと思って学んだものだが、ここで役に立つとは思ってもみなかった。


「くっそ暇になった。仕方ない。スマイル動画メドレーでもやろう」


 仮にアルビノの男が他の異能力を有していたとしても、結界を破るような系統のものである可能性は低い。そう簡単に破れない。異能力者本人がいれば、結界は数時間の維持ができる。まだ催眠効果が残っているから、身動きが出来ない。ぶっちゃけ暇なのだ。誘拐されたにも関わらず歌う。傍から見れば頭のおかしい行動ではあるが、人というものは暇になると死ぬ生き物だ。


「あーでも何から歌おう。ガチャ☆ガチャか。中ボスが強過ぎて倒せない。胡散臭い陰陽師の歌。色々あるなぁ。どうしよう」


 もうどうとでもなれ。私の声が奴のところに届くことはない。事実上の一人カラオケだ。というわけでエロゲーのオープニングから歌い始める。十歳の時はリズムが良い曲だと思っていたが、高校生の時にやばい言葉が所々あることに気付いた。ちょっと調べて、元々がエロゲーであることを知った。無知とは恐ろしい。次もエロゲーの曲を歌おう。


「井上! 聞こえるか! 歌うのストップ!」


 自分のスマホから、心から安心できる富脇君の声を発していた。ここでストップはキツイ。


「えー!? まだサビまで行ってない!」

「お前今の状況を分かってるのか!?」


 富脇君の苛立つ声は流石にびっくりする。心配していることもあるだろう。ある程度伝えておかないといけない。


「それは分かっている。だから結界を貼って、助けに来るのを待ってる。そのお陰で暇してるけどね」

「とりあえずお前は無理すんな。変なことも……いや既にやってるな」


 呆れたような声を出していた。あれちょっと待てよと、私は今更気付く。スマホを操作していないのに、勝手に動いている。遠隔操作という奴だ。


「富脇君。ひとつ質問していい?」

「あー分かってる」


 ひとコンマかからずの返事。私は即座に反応をする。


「いや私何も言ってない」

「もう時間はないからな。細かい話はまた後でだ」


 富脇君の声が聞こえなくなった。ひとりカラオケを再開して、彼が来るまで歌ったままだとふざけていると怒るだろう。そこまで私は愚かではない。催眠効果が切れるまで、静かにするしかなかった。

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