第22話 蘆屋玲の七月十二日① 

 毬奈はソファーでクリームシチューへバケットを浸してから口へ運んだ。ううーん、と、とても幸せそうだった。


 玲は、近くに座っていた。さすがにやりがいを感じてしまった。これほど態度に出されると陰陽師を辞めても……いやダメです。と、律しておいた。


 テレビからは朝の情報番組が流られていた。この食事は毬奈の夕食扱いだった。

「玲ちゃんってホントに陰陽師なんだよね?」


「まぁ……」


 綴は過度のシスターコンプレックスは、家族として認められる人間が毬奈しかいないからだった。


 それだけの事情を抱えていたので、今は理解も出来たが、そこを抜きしても可愛がりたくなる気持ちはわからないでもなかった。


 食事を作れば、美味しい美味しいと笑顔で皿を空にして、そのときに一日の話題を楽しそうにも語ってくれる姿は至福の時でしかなかった。


 ここに関しては、綴と同意見だった。


「じゃあ、髪の毛を無くしてほしい。毎日洗うの大変だから」


 それならば儀式を使わずとも可能。バリカンを家電量販店で購入してきましょう。などと口にするわけにはいかなかった。


 そのようなことをすれば綴に何をされるかわからない。最悪、命の危険だってある。それに、いらぬことをしてくれたと世界を敵に回しそうでもあった。


「美容院のデリバリーもあるそうですよ」


「詳しいんだね」


「うちは山が近くて、美容院が無いんですよ。私も年頃。それなりには身なりに気を付けたい。いい手段はないかと調べたことがありました」


「そんな山奥からこの辺まで通ってるんだ。大変だね」


「ま、まぁ……」


 迂闊だった。掘られると、ボロが零れてしまっていた。その場合に備えて、綴にはそういう設定ということにしてもらったことに感謝した。絶対に伝えはしないが。


「じゃあ美容院のデリバリーをしてるの?」


「いいえ。自分で切ってみました。最初は変な形になりましたが、慣れればこの通り。なかなか様になっているでしょう?」


 うーん……。と、毬奈は腕を組んでしまっていた。


「日本人形みたいだよ」


「日本人形とは美しい造形をしているからこそ、髪型もそうある。毬奈ちゃんの意見はその通りかと」


「玲ちゃんにやってもらうのもいいかも」


「失敗したら綴に殺されます。やらせないでください」


「あー……殺すかも。玲さんの髪型を無茶苦茶にしてから殺しそうだ……」


 あの兄にしてこの妹という発言だった。


「とはいえ、伸びすぎて不便そうではありますね。美容院のデリバリーは真剣に考えたほうがいいかもしれません」


「でも、ガワがあるからやっぱいいかも」


「ガワ?」


「配信のときのあれ」


「あぁ……」


 天獄えでむのアバターのことを指しているようだった。素顔を晒して配信しているわけではないので確かにそっちには問題は無さそうだった。


「ホントは顔を出して配信してもよかったんだけどね」


「いえ、出さないで正解です。やべーやつらが湧きそうなので」


「おにいも同じことを言ってた。俺の手を血で汚させるなって言ってた」


「言いそうですね……」


 玲はスウェットのポケットからヘアゴムを取り出した。


「長時間の調理の際は、髪を縛るようにしています。少しですが楽になるかもしれません。やてみますか?」


「やる!」


 毬奈は背を向けたので、玲は立ち上がって後ろ髪を一本にした。巨大な馬の尻尾のようなポニーテールが誕生した。質量を持ち過ぎていた。


「どうですか?」


 そう訊ねると、身体を揺らして確認し始めた。


「耳の後ろがスース―していいかも。お風呂出たらまたやって!」


「はいはい」


「ありがと!」


 綴の過去を語っているときは、とても大人びていた。けれど、あれはそういう内容。普段の毬奈は人懐っこくて、一つ年下の可愛いだけの友人のような後輩のような妹のような感じだった。


「しかし、Vtuberは大変そうですよね。みんながみんな優しいわけではなさそうですし」


「いやぁ……これがアンチと戦ってるときのがスパチャが飛ぶっていう……負けんなえでむちゃんタイムがあるんだよねー……」


 この世は、陰陽師にもわからないことが多すぎた。


「そちらの文化に疎いのですが、そういうものなのですか?」


「わかんない。Vtubetこそ、ちょー多様性世界って感じだからなぁ。ライン超えなきゃなんでもありっていうか……」


「少し調べてみたのですが、個人でフォローが十万人ってすごい数だったようですね」


「もっとすごい人はいるけどねー。でも、その人よりも私を選んでくれた。だから、報いなきゃいけないんだ。アンチといっぱい戦っている姿を見せないといけないんだ……」


「メ、メンタルが大変そうですね……」


「そこはゲームで発散っていうか。『ヴァロックス』の続編を友達とやってる。あ、全員、女の子だよ!」


 なぜか、異性の介入を異常に気にしていた。


「そのゲーム。叔母が作ってたやつです。前作ですが」


「えっ、マジ? どんなことをやってたの?」


「大学のインターンでプログラミングをやってたとか。昔から自作ゲームをコンクールに出したりしていましたので、本当はその道を続けたかったのでしょう」


「今は何をやってるの?」


「おん……」


 あ、危ない。口が滑りそうになってしまった。


「おん?」


「お、音楽……関係です……」


「DTMとかそっち系ぽいね。プログラマーやってたみたいだし」


「そ、そんな感じですかね……わ、私も詳しくは知りません……」


「そっかぁ。いいなぁそういう仕事、楽しそう」


「今から勉強すれば間に合うかもしれませんよ」


「大変そうだからやめとく。自分で作るよりもお金を払って作ってもらったほうが楽そうだし、いいものも上がってきそう」


 社会の仕組みを説かれている気がしてしまった。


「小さい頃、叔母のゲームのテストプレイをよくやらされていたのですが、バグ修正のたびにパソコンに向かっている姿はとても地味でした。根気がいる作業なのでしょうね」


「私も最初に配信したときは一人も来ないのに、えー、とか、あー、とか、画面に向かって叫んでた。すごく虚しかった。でも、コツコツやってたら増えてくれてた。なんでもそうなのかも」


「ま、毬奈ちゃんはたまにすごく大人びた発言をしますね……」


「そうかな?」


「そうですよ。ついでに、座右の銘も教えてもらえると嬉しいです」

「追い詰められると、人間は結構強い」


「なるほど。私もそれを試してみるとします」


「どうせならVtuberで試さない? 設定は陰陽師の末裔で……ガワは日本人形ぽくして……名前は……」


「いやいや。私は絶対に向いてないですよ。顔見知りとすらすぐにケンカをしてしまうような性格ですからね」

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